原発事故のこと 井伏鱒二 (1986年の文章)

原発事故のこと

井伏鱒二

 ソ聯のキエフ地方の原子力発電所に事故があったと新聞で見て、すぐ富山の松本君のことを思ひ出した。昭和十六年十一月、陸軍徴用でシンガポールに行く輸送船のなかで、僕は戦友として松本直治と知り合ひになった。松本君は徴用直前に結婚した人で、「今度もし俺が生きて日本に帰ったら、ぜひとも男の子を持ちたいものだ。俺は新婚の女房に男の子を産ませたい」と云ってゐた。ところが十七年十月、無事日本に帰還して来ると、東京での新聞社を止して郷里の富山で地方の新聞社に勤め、三年ぶりに丈夫さうな男の子が生まれた。やがてその子供は成長して北陸電力に勤め、「これからの電力マンが仕事に生き甲斐を求めるのは、近代科学の先端を行く原子力にある」と、若者らしい情熱をたぎらせて、東海村、敦賀の日本原子力発電所へ出向した。さうして能登に開発される原発の技術者としての将来に、いのちをかけたのであった。水力、火力の発電にはもう満足感がない。原発といふ新しい道への誘惑は、松本君にも痛いほど判ったが、それで結果的には、その憧れの原子力発電所で被曝して発病、入退院を繰返しつつ、舌ガンで死亡した。まだ三十一歳の若さであった。
 
 『原発死』といふ、子供を悼む手記に、松本君は次のやうに書いている。

 「短絡的に言ふなれば、原子力発電所で多量の放射線を浴び、ガンに冒され、闘病の末、死亡したことになる。私の思いを率直に云へば、平和利用の原子力の『絶対安全』を信じ、その『安全』に裏切られたことになる。これは私にとって衝撃の出来事であった。」

 「最近、アメリカのペンシルベニア州スリーマイル島で起こったあの“炉心溶融”寸前だったといふ背筋のゾッとするような、恐怖の原子力発電所の大事故があった。この原発事故の背後に横たはるのは、人間の断絶感だ。おかげで日本の原子力の火は一時期、一切がストップした。そして発電能力の最大を誇る関西電力の『大飯一号』の原発までが完全に止まった時、あの原子炉が『どんなバカなやつがやっても絶対安全』といふので『フール・プルーフ』と呼ばれてゐただけに、わたしの原発への不信はもはや動かしがたいものとなった。」

 「―原発の犠牲になった息子、許せぬ原発への不信―これに繫がって行く思ひが、五年余を経た今日、さらに深く私の胸を締めつける。私は、よく夜中、目をさますやうになった。水割りのウイスキーを少量飲んでも効果はなく、息子の死因への追及に心のたかぶりを鎮めるため、いつか睡眠薬の常習者になってしまった。市販が厳しく、知人の医師から手に入れるのだが、どの睡眠薬にも『習慣性あり』と書いてある。常用は命をちじめると注意する人もあるが、転々として眠れぬ夜を明かすよりはずっと健康にいいと思って常用を今も続けてゐる。原発への疑問が、時に私を襲ふ。」

 「発ガンと被曝の因果関係の立証は、科学的にも、また医学的にも難しいとされてゐる故に確たるものではなかった。ところが昭和五十二年、衆院予算委員会に於ける原発追求の中で楢崎弥乃助代議士(当時はまだ社会党所属)が、放射線被曝による死者は七十五人を数へ、うち半数に近い三十五人がガンによる死亡であるとの驚愕の報告を知り、それらの死者のうちの一人に私の息子名を発見してから、私の血は逆流した。そして自分の息子の死の原因が原発の被曝によるものとの確信を深めたが、それは今日に至るも弱まるどころか、より強固な怨念となって私の胸を締め付ける。もし国会の楢崎代議士証言の時、全米アカデミーのショッキングな研究報告の内容が発表されてゐたら、私の疑問はおそらく決定的なものになってゐたであらう。その全米科学アカデミーのショッキングな研究報告は、国会での楢崎証言のあった二年半後、すなはちスリーマイル島原子力発電事故を機に全米で盛り上がってゐる原発反対運動に油を注ぐに間違ひないほど強烈な報告を、米紙『ニューヨーク・タイムス』がすっぱぬいたものである」

 「それによると、『一九七五年から二〇〇〇年までに、原子力発電により全米でガンのため死亡する人の数は二千人に達するだらう』といふものである。原子力発電に伴ふ核燃料の開発、加工、運搬、再処理、保管などの過程で浴びる放射線の影響と、自然界に発生する放射線をプラスすると、ガン患者の数はもっと増える可能性があることを指摘、しかも原発計画が現在よりも拡大される場合や、放射性廃棄物処理などの問題を対象に入れた場合、さらにガンの発生率を高めるといふものである。」
 
「『原子力発電に伴ふ危険性』と題する主要調査の対象は、スリーマイル島原発事故の際に発生したラドン、クリプトン、クセノン、ヨウ素、炭素など放射性同位元素であり、それだけに各方面に与える影響は極めて大きい。
 また別の調査は『放射能によるイオン化現象の生物的効果』に関して全米アカデミー諮問グループが行ったもので、これは原発による放射線だけでなく、核実験による放射線の発生や医療用放射線、宇宙線に低レベル放射線の発生の影響も計算に入れてゐるもので、全米人口の約〇・一パーセントがガンに冒されるとの警告である」

 「原子力発電所は、その後ますます増設され、次々と日本列島を汚染の渦に巻き込んでゐると私は思ってゐる。そのことは、かつて戦争の足音が国民の上に暗く覆いかぶさった過去の思ひに繋がるのだが、一般にはその原発の持つ恐怖が意外に知られてゐない。あたかも戦争への道が、何も知らされないうちに出来上がっていったやうに―」
 
 
 松本君が書いた『原発死』といふ題の手記は、謂はば息子さんへの鎮魂歌である。私は松本君に頼まれて、この手記に対し「まへがき」の意味で、怖るべき原発はこの地上から取り去ってしまはなくてはいけない、といふことを書いた。「放射能」と書いて「無常の風」とルビを振りたいものだと書いた。
 今度、キエフ地方で原子力発電所に事故があったと新聞で見て、松本君は何と感じてゐるだらうと思ひを馳せたのであった。

◆覚え書
人間は絶対に原爆に手を触れてはいけないこと。

(昭和61年7月「新潮」)
【井伏鱒二自薦全集第十一巻より】

この記事は、以下より転載しました。
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