「原発事故で死んだ人はいない」と発言した電力会社の職員がいたが、ドイツの放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号によれば、福島原発事故の後、日本の新生児死亡率が高まり、出生数が減少していると伝えている。これは、放射能の影響で、赤ん坊が死んでいる事実と生まれるはずの生命が生まれることができなかった事実を示している。
福島原発事故後、日本の新生児死亡率が2011年5月と12月(事故から2ヶ月後と9ヵ月後)に著しいピークを示している。チェルノブイリ事故後、西ドイツでも1986年6月(2ヶ月後)と1987年2月(10ヵ月後)に最高値に達していた。また、日本全体で2011年12月に出生数の著しい後退が見える(マイナス4.7%)。福島県での減少がことに激しい(マイナス15.4%)。
◆フクシマ事故後の日本での新生児の死亡率
ドイツ放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号
アルフレッド・ケルプライン(Alfred Körblein)著
(2012年12月19日 無限遠点)から抜粋
<背景>
2011年3月11日に起きた福島第一原発の最悪事故後の健康被害に対する最初の兆候を、新生児死亡率の日本でのデータが示している。
1986年4月26日のチェルノブイリ原子炉事故後のドイツでの調査では、1986年6月および1987年始めと年末の早期新生児(生後1週間以内)の死亡率が異常に増加していることが明らかになっていた。
1987年2月と11月のこうした最高値は、妊娠女性のセシウム被ばくの時間的経過を7ヶ月ずれながらたどったものだ。これは妊娠中の重要な期間における胎児への被害の結果と解釈された。
ドイツの結果をもとに日本でもフクシマ後、同じような新生児死亡率の増加が予期できると言える。
<データ>
日本の新生児死亡率の月ごとのデータは、日本の厚生労働省のウェブサイトで見ることができる(https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1a.html.)
<結果>
フクシマ事故後、2011年5月と12月に新生児死亡率が著しいピークをみせている。
1987年2月と11月にドイツのデータが最高値を示したのは、妊婦のセシウム被爆を通じて、胎児が放射線被害を受けたためと説明できる。1987年11月のピークは、1986年から87年にかけての冬に放射線汚染されていた牛乳を摂取したためと説明できる。冬の間、初夏に収穫された放射線に汚染された牧草がサイロ貯蔵され、それが乳牛に与えられたからである。1987年2月のピークは日本のデータにおける2011年12月の増加に相当する。原子炉事故からの時間的間隔が、両方のケースでほとんど同じだからだ。
フクシマ事故から2ヵ月後の2011年5月における日本のデータのピークに対しては、筆者には放射線生物的に説明することができない。しかし、ドイツでも1986年6月、つまり1986年4月26日のチェルノブイリ事故から2ヵ月後、新生児死亡率のピークが起きていることから、ここでも放射線が原因である可能性が高い。
<出生率の後退>
日本で2011年の12月に出生数の著しい後退が見える(マイナス4.7%)。福島県での減少がことに激しい(マイナス15.4%)。その前の月(2011年11月)とその翌月(2012年1月)では異常は見えない。
似たような効果がチェルノブイリ事故後にバイエルン地方でもあった。1987年2月、原子炉事故から9ヵ月後に、出生数が予測値と比べ8.7%も下がった。この出生数の後退は、日本と同じようにひと月だけに限られている(1987年2月)。
セシウムの土壌汚染度が北バイエルンよりずっと高かった南バイエルンでは、出生数減少の度合いが北バイエルン(マイナス5.0%)より著しかった(マイナス11.5%)。出生率後退は、受胎後数日間における放射線による卵細胞の損失が原因と考えられる。