【資料】ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている
(2011年06月10日 原水禁)
ウラン採掘の段階から世界の先住民族は核被害を受け続けている
「被爆65周年原水爆禁止世界大会記録集」より抜粋・再編集
世界のヒバクシャ「ニュークリア・レイシズム」(長崎 第3分科会)
フォトジャーナリスト 豊崎博光
【プロフィール】
78年にマーシャル諸島で核実験被害の取材を始めたことをきっかけに、米国、太平洋諸島、オーストラリア、カナダ、旧ソ連、ヨーロッパなどでウラン採掘、核実験、原子力発電所の事故などによる核被害者と非核平和運動などを取材。著書に『核よ驕るなかれ』『アトミック・エイジ』『マーシャル諸島 核の世紀』など。
世界で2,050回以上行われた核実験は、全て先住民族の土地で行われてきました。いろいろな被害を先住民に押し付けてきたと言えます。広島・長崎を起点とすれば、65年間、核の被害を先住民族に押しつけ、核を持つ国が豊かになり、今や私たちは、原子力発電を地球温暖化に対する切り札として推し進めようとしています。それら全ては、先住民族の住む土地のウラン鉱石を掘り出すところから始まって、それを使う事で回っています。つまり、先住民に被害を与え続けている、私たちは今や加害者の側に立っていると言うことです。
ニュークリア・レイシズム
1992年にオーストリアのザルツブルクに、世界の先住民族の方たちが集まって世界ウラン公聴会という大きな会議が1週間開かれました。その時に、ウラン採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところも先住民の土地が選ばれてきている──そういった差別を受けてきたことにニュークリア・レイシズムという言葉を使いました。字引にもありません、エンバイロメンタル・レイシズム、環境破壊が先住民族に差別的に被害を与えているということを表現した言葉に沿った形で作られた言葉です。
一番最初は、カナダの北極圏にあるグレート・ベア・レイクで採掘されたウランが広島・長崎の原爆に中心的に使われました。そこに住んでいたのが、サトー・デネーと呼ばれる人々です。原爆を作る前に、材料を掘り出す段階から被害を受けていました。
ウランの採掘
現在カナダは世界最大のウラン生産国です。ウランの採掘場はサスカチュワン州というちょうどカナダの真ん中になるあたりです。サスカチュワン州の北の方、もっと北に行くとノースウェスト・テリトリーと言います。
デネー・インディアン、あるいはイヌイットといった人々の住む地域がありますが、そことの州境にたくさんの湖があるあたりで採掘されています。こういうところのウランが、我々日本の原発を廻しているのです、そこではデネーと呼ばれる人々が被害を受けています。
アメリカにナバホと呼ばれる先住民族の人々がいます。正式の部族名はディネという、デネーというカナダの部族と兄弟のような関係で似た名前ですが、1910年代にすでにウラン採掘が始まっていました。その時のウランは原発には使われていませんでしたが、採掘にあたったのは地元のナバホ・インディアンです。彼らは放射能、つまりウランがどれほど危険なものかということは一切教わらず、採掘をした人々はほとんど肺ガンなどに罹りました。
ウラン鉱脈の中には肺ガンを起こす非常に危険な物が入っているのですが、そういうことを知らずに掘っていたわけです。
また、ナバホの人々は、レンガと石を積み上げてホーガンという伝統的な家をつくるときに、ウラン鉱山の石を使いました。そこに住んでいる人々は、鉱山の仕事に行って被曝をして、帰ってきて家でも被曝するといった事をくり返しているわけです。
採掘されたウランは近くにある精錬所で鉱石の中にあるウランを取り出すわけですが、ウラン鉱石に水を加え、硫酸とアンモニアを使って抽出した物がイエロー・ケーキと呼ばれる黄色いきな粉のような精製ウランになります。それを取り出す過程で廃棄物が出ます。精錬されたウランは、今度は濃縮という工程に持って行かれます。そこでもまたたくさん廃棄物が出ます。濃度を4%ぐらいに上げると商業用の原子炉で使えるようになり、より高くすると、原爆の材料になります。高濃縮ウラン90%ぐらいで即、原爆になります。
アメリカが広島に落とした原爆は、高濃縮ウラン60kgを使って作った物です。濃縮工程で出るたくさんの廃棄物、劣化ウランが主な物ですが、比重が大きいので弾丸や砲弾の頭に使われて、被害を広げています。
1979年にシャーキロと呼ばれる所にあったダム、日本で言うボタ山のようなところですが、それが大雨で崩れてプエブロ川という周辺の人の飲料水や家畜の飲み水になっている川に流れ込んで大変なことになりました。去年、事故から30年になったのですが、まだ放射能除染されていない状況です。
ナバホの人々の住んでいる居留地には、あちこちたくさんの所にこういったウランのゴミが捨てられています。ナバホの居留地と言ってもピンとこないかも知れませんが、おそらく西部劇などで、グランドキャニオンやモニュメントバレーなどを見たことがあると思います。みな居留地の中にあります。もしグランドキャニオンに行く機会があったら必ず通るであろう、キャメロンという小さい村があります、村の後ろ側には使わないウラン鉱石が捨てられています。いまや砂漠の砂と見分けがつきません。
ウラン鉱滓の捨てられた所のそばには羊が放牧されています。汚染された草を食べて育ちます。羊の肉はナバホやプエブロ族の人々がよく食べる肉です。ですから彼らは何重にも被曝をし、放射能を体内に取り込むことになります。周辺地域の子供たちの間には、たくさんの障害が出ていますが、よく調べられていません。レポートも出ていますが、はっきりしたことが分かりません。ただ、確実に子供たちが被害を受けていると言うことが出来ます。
核実験場
世界の核実験場で、アメリカは主な実験場は二つ、マーシャル諸島のこの前世界遺産になったビキニ環礁とエニウェトク環礁、1946年から58年まで67回、原爆と水爆の実験をやりました。それによって周辺の人たちが大変大きな被害を受けています。私たちがよく知っているのは、第五福竜丸被災事件、1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボーという水爆の死の灰を浴びたことによって、福竜丸の乗組員23人が被害を受けたという事件です。
ビキニ環礁には今、人が住んでいません。23回の実験をやったことで島中に放射能がばらまかれてしまっています。アメリカはお金をかけて何度も放射能を取り除こうとしたのですが、結局出来ませんでした。世界遺産になってもだれも行けない、誰もアクセスできない世界遺産、それがビキニです。
このビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被曝したというのがきっかけとなって、原水爆禁止運動の原点になりました。それまで、我々はあの占領体制の中で広島・長崎の原爆情報は日本人のほとんどに伏せられていたのです。第五福竜丸の被曝をきっかけにして、東京杉並の女性たちが、あるいは大阪の人たちが水爆実験反対署名運動というのを始めて、そこから始まったのが原水禁運動です。今我々が開いている大会もそこから始まったわけです。
ビキニの人たちはもうずっと故郷の島を失ったままです。1946年に彼らは島を出ましたから、64年間も島に帰っていません。人間の寿命で言えば、もう3世代目に入っています。3世代、故郷の島を知らない世代が続いて、1世はほとんどいません。
ブラボー実験では、東に180kmにあったロンゲラップ、さらに、470km離れてウトリック、この二つの島が放射能降下物の被害を受けています。今、アメリカでいろいろ機密解除になった文書が出てきているのですが、それを見ていると、マーシャル諸島ほぼ全体、1950年代から60年代にかけてマーシャル諸島にいた住民たちは、1万2千から1万4千と言われていたんですが、そのほとんどが実は被曝をしていました。我々がよく、広島、長崎の体験から「唯一の被爆国」と言いますが、そうではない。マーシャル諸島共和国も独立した国です。国連にも加盟しています。マーシャル諸島も被曝国です。ですから「唯一の被爆国」なんて軽々しく言わない方がいいと思います。
もう一つのアメリカの実験場は、ラスベガスの北西100kmにあるネバダ実験場です。ここは、ショショニと呼ばれる先住民族の人たちの大地です。そこをアメリカは勝手に国有地だとか、遙か昔に土地を貸そうという協定を結んでいながら、それに対する代替も出さず、金の補償もしないまま、ずっと使い続けています。
ここでは1951年から1992年までずっとアメリカは核実験をやってきたわけです。大気圏内だけでも100回の核実験です。
次に、2番目の核保有国旧ソ連です、今は独立したカザフスタンのセミパラチンスク実験場で467回、1949年から1991年までやりました。ここはカザフの人たち、馬で駆って羊の放牧をして暮らす人々の土地です。そこで核実験をやって、今やソ連という国は消えましたから、ヒバクシャだけが残されました。カザフの人たちはだいたい120万、多くて150万の人々が被害を受けたまま放り出された、というのが現状です。
3番目の核実験をしたのはイギリス。1952年から57年までオーストラリアでやりました。オーストラリアもイギリス連邦だったわけですが、そこで12回の核実験を行いました。実験の被害を受けたのはアボリジニと呼ばれる先住民です。たくさん被害を受けたのですが、実態は未だによく分かりません。当時オーストラリアではアボリジニの人々が何人いるのか知らないんですね。なぜなら、1967年まで国勢調査の対象になっていなかったんです。それ以前は、何人、どこに住んでいるのか分からない。そういうところで核実験をやって被害を受けた人がたくさんいるのに分からない。
その後、イギリスは太平洋中西部のほぼ真ん中にクリスマス島という島が有りますが、そこでも実験をやっています。クリスマス島はあまり人のいないところだったのですが、実験にはイギリス領の国の兵隊がたくさん参加させられました。その中には、ニュージーランドの兵隊、先住民族のマオリの人たちが入っています。この人たちも被曝をしました。この実験ではフィジー島からの300人の兵隊が参加させられて被曝をしています。
4番目はフランスです。最初1960年から65年までは、アルジェリアのサハラ砂漠で核実験をやりました。実験によって、地元アルジェリアの人々、それからサハラ砂漠にはニジェールなど他の国もたくさんありますがそこにはトゥアレグ族と呼ばれる遊牧の民がいます。そういう人たちも被曝をしています、しかしよく分からないのが現状で今日まで来ています。
1967年以降は、仏領ポリネシアのタヒチの南東1200kmにある、モルロア、ファンガタウファの2つの環礁で実験をしました。先住民のマオヒの人々の島です。そういう人々に被害を及ぼしながら、フランスは核実験をやってきました。
最後は、中国です。1964年10月16日に新疆ウイグル自治区ロプノールというところで実験をしました。東京オリンピックの真っ最中でした。アジアにある中国の存在を誇示するためにあえて東京オリンピックの期間に原爆実験をやったんです。実験場周辺にはウイグルという先住民の人々がいますが、その人たちに被害を与えて核兵器を手にしました。
チベットの独立問題は、新聞でよく目にされると思います、中国がチベットをどう弾圧しているのかも聞かれると思いますが、チベットを中国は決して手放さないだろうと言われています。なぜなら、チベットはウランの宝庫だからです。ほかの鉱物資源もたくさんあります。もし独立してしまったら、中国の工業生産が行き詰まると言われています。
モンゴルも中国の核実験によって被害を受けています。もう一つはすぐ東側にカザフのセミパラチンスク実験場があります。その死の灰も浴びて、二重に被曝している可能性もありますが、そのあたりのことはほとんど分かりません。被害を受けているのは確かですが、どの程度のものなのか分からないというのが現状です。
北極圏へも被害が
もう一つ、私たちが全く忘れてしまう場所が北極圏。せいぜいオーロラがあるぐらいしか、あるいは、イヌイットと呼ばれる人たちがいるだろう、と言う程度しか知られていません。家に帰ったらいろいろ本を読んでみてほしいのですが、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国、この5ヵ国が大気圏内核実験、つまり地上でやったときに、そのほとんどが北半球にありますが、核実験で空高く放射能の灰を吹き上げると、ジェット気流が死の灰を北極に向かって集めることになります。
北極には大陸がなく北極海を取り巻くようにロシア、カナダの大陸、グリーンランド、アイスランド、スカンジナビアがあります。この地域にだいたい250万人ぐらいの先住民族が住んでいます。その人たちに共通しているものが一つあります。どの先住民族も、トナカイ、カリブの放牧で暮らしており、主食がトナカイ、カリブの肉です。餌にしている苔が放射能を吸い込んでしまうと、苔を食べたトナカイ、カリブを先住民族の人々が食べることになります。
ここに取材に入ったときに、6人家族の所に行きました。だいたい1ヵ月の間に、70kgぐらいのトナカイ1頭を丸ごと食べます。ほとんど主食です。とくに内蔵は生で食べます。北極圏ではほとんど草が生えませんから、ビタミン栄養源になる新鮮な物がありません。内臓を生で食べてビタミンを補っているわけです。しかし、そこに放射能が集中しています。そういうものを食べることによって北極圏の人々が食道ガンや腎臓ガンなどに罹っているというのが少しずつ分かってきました。しかし、私たちは北極圏について全く知らないというのが現状です。
ウランは大地に留めておけ
オーストラリアの中央部のオリンピックダムという場所が、オーストラリアでもっとも多くのウランを採掘しているところです。日本の原発のウランも今ここのオリンピックダムから来ています。ここはクカドゥという元々アボリジニの聖地です。1983年に彼らは聖地を守れと言うことで座り込みをしました。その後オーストラリア政府は採掘に許可を出して、土地の名前もオリンピックに変えてウラン採掘をしています。
92年のザルツブルクの会議に集まった先住民族の人々は「まず、ウラン採掘をやめろ、ウラン採掘をすることによって毒をまき散らす原発が始まる」「ウラン採掘をすることによって、核兵器が拡がってしまう。だから、ウランは大地に留めておけ。そうすれば何事も起きない。だからこれ以上、我々の聖地を、我々の故郷を、母なる大地を傷つけないでくれ」と皆さん一致して声をあげました。そういうところから核兵器の被害も始まり、我々が知らないたくさんの被害が起きています。そういう人たちに被害を与えて我々は今日なお、温暖化防止策として、原発が必要だというのなら、あなたは間違いなく先住民に対する加害者なのです。
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ウラン採掘の中止を(長崎 第3分科会)
メニュエル・F・ピノ
【プロフィール】
ニューメキシコ州の先住民プエブロのアコマ族の出身。1950年生まれ。生まれ育ったアコマ族とプエブロ族の「居留区」には、世界最大と言われた露天掘りの「ジャックパイル・ウラン鉱山」がある(1953~1982年操業)。1970年代後半から「全米インディアン青年会議」の活動家として、ナバホ族居住地の石炭開発の環境破壊問題などに取り組み、2001年の「反差別国連世界会議」には、先住民代表として参加。2008年には、他の先住民活動家とともに「核のない未来賞」を受賞。現在は、スコッツデール・コミュニティ大学(アリゾナ州)の社会学教授、アメリカ・インディアン研究課の責任者を務めている。また「先住民環境ネットワーク」「安全な環境を求めるアコマ・ラグーナ連合」「南西部調査情報センター」などの評議委員長としても活動している。
私はアコマというニューメキシコ州の地域からきました、私たちの部族アコマは北米で最も古い先住民族の一つです。そして同じ場所にずっと住み続けている部族です。砂漠の大地の上に400メートルぐらいの高さの、砂のてっぺんが平らになった岩がありますが、それをメーサーと呼んでいます。そのてっぺんに村があります。
白人の人たちは村のことをスカイシティー空の町の土地と呼んでいます。私たちは核被害者です。そして核エネルギーの利用の被害者でもあります。昨日私は広島の資料館に行ってまいりました。そこで様々な展示を歩いて見ながら込み上げてくる強い怒りを感じ、それと同時に本当に悲しい思いをしました。
広島・長崎とのつながり
広島・長崎でアメリカが行ったジェノサイド、虐殺というのは、本当に私たちがアメリカで被った被害と全く同じだと思います。アメリカ政府は私たちを虐殺しながら打ち立てられた政府です。そして私たちの土地を略奪してきました。しかしこのような事実に対して一切見ようとも聴こうともしません。今年は広島に大使が来られるんですね。そのような虐殺を広島でして歴史上初めて広島に来るということを私は聞きました。
広島・長崎とそして私たちのニューメキシコ州とのつながりといいますのは、広島・長崎に落とされたファットマンそしてリトルボーイという二つの爆弾がアメリカ、ロスアラモス研究所でつくられましたが、その原爆の開発にあたって使われたウランというのは私たちの土地からとられ、そしてそのテスト実験は、原爆が広島・長崎に落とされるわずか数週間前にホワイトサンドというニューメキシコ州の実験場で行われました。
広島・長崎に落とされた原爆の材料になったウランはカナダで採られたものです。開発の途中で使われたウランはニューメキシコ州のナバホの土地から掘られました。そしてその初めての実験がアパッチの人々の住む実験場で行われたわけです。ですから、日本の広島・長崎と私たちの被害とあるいはカナダの先住民というのは、そういう形でつながりがあります。
故郷の大地の下のウラン
核エネルギーの一連の鎖の中の最も初めにあるのがウラン採掘です。私の住むアコマの土地の下にはグランツ鉱脈というウランの鉱脈があります。そこは1940年代の後半から90年の初めにかけて非常に集中的に北アメリカでは一番大量のウランを採掘したそういう鉱脈です。
この地域には1,000を超えるウラン鉱山があります。そして非常に多くのウランを精錬する工場があります。そして60年間に渡る開発の中で、ずっと汚染による被害を受けてきましたし、今もその被害が続いています。
様々な健康障害にみんなが苦しんでおり、ありとあらゆる種類のガンに関連した病気に罹る人が増えています。脳腫瘍ですとか肺ガン、胃ガン、大腸のガン、骨のガン、皮膚ガン、そして女性の場合には女性特有の乳ガンや子宮ガン、そういった病気が増えています。
このような被害が続く中、私は核の平和利用という言葉を聞くにつけ本当にとまどってしまいます。そんな言葉があるのだろうかと。そして世界中のいろんなところの先住民の土地で同じような病気で苦しんでいます。
私は日本に来て広島・長崎で被爆をされたお年寄りの方にお会いしましたが、彼ら彼女たちは私たちには被爆による広島・長崎による生存者、被爆者と言われました。その方々にお会いして私は、私もウラン採掘によるアメリカのニューメキシコ州の被害者であるということを確信しました。
私はウラン採掘とその精錬による環境の破壊と私たちの土地で起こっている問題についてお話をしたいと思います。それは環境のありとあらゆるもの、空気、土、そして植物、全てが汚染をされているという事実です。最も重要なのは、やはり水の汚染です。そして人々がヒバクをし様々な病気になるということです。
私がこのような活動に入ったきっかけの一つの場所というのは、ジャックパイルウラン鉱山です。この鉱山は30年間にわたって掘られ続けました。場所は私たちの住むアコマのすぐ隣のラグーナというところ、ラグナーナ・プエブロという人たちが住んでいる場所にあります。
露天掘りのウラン鉱山
30年間ジッャクパイル鉱山で操業が行われていく間に、露天掘りですから、どんどん広がっていきます。その全体の露天掘りの広さは、当時世界で最大級の広い露天掘りの鉱山だと言われていました。そしてその30年間の間に2,400万トンものウラン鉱石が掘られ、その大量のウラン鉱石の90%以上がたった一つの場所に送られました。それはアメリカ合衆国の国防省で、そこで冷戦時代に大量破壊兵器である核兵器をつくるために使われたわけです。
そのジャックパイル鉱山から非常に近いところに村があるんですが、計算すると600メートルぐらいです。本当に目と鼻の先のところにこの村がありまして、村の人口は当時2,500人ほどでした。
風が東から西の方向に向けて、鉱山のほうから吹いてくるときには、この村を汚染したチリが舞い上がり直撃をします。そして当時、1950年代に鉱山会社や政府は、それがこの村が危険にさらされているということは一切教えてくれませんでした。そして人々は畑を耕すしトウモロコシやウリや豆をつくり続けました。そして鉱山のすぐ近くで牛や羊などの家畜を放牧して生活していたわけです。
汚染は拡がる
川が鉱山を突っ切って流れていくわけです。だから鉱山から流れ出た汚染した土砂が川に流れ込み、そしてその下流の500kmぐらい遠くまでその土砂が汚染したものが流れていきました。
ジャックパイル鉱山からの汚染した土砂流れ込んだその川はこの地域で一番大きな川だったんですが、下流の人々は今はその川が汚染しているということを知っていますが、当時は全くそんなことは知りませんでした。何十年も経ってからいろんな病気が増えてきて、その事実を知ったわけです。
向こうは非常に乾燥地帯です。しかし、夏場はモンスーンの季節でして、そのときには結構雨が降り、ドライリバーではなくて本当の水の流れる川になります。そういうことで汚染した土砂が流れに沿って川の下流数kmまで土砂が運ばれていくというような状況です。1,200ヘクタールという非常に広い地域から川が筋で流れて来まして、その川とか表面の水流だけでなく地下の地下水も汚染されました。
「除染」の実態
ジャックパイル鉱山が閉鎖されて30年も経ってから鉱山の除染作業、原状復帰作業の議論がされていました。どのように除染をするかという交渉を10年間続け、ラグーナの人々、地元の人々、そしてアナコンダの鉱山会社、そし連邦政府と議論を重ねてきました。そしてやっとどのように作業をするかということが決まりました。
地中を掘った露天掘りのところの一番底の部分にウラン残土をそのまま埋め戻したんです。地下水のあるレベルまではウラン残土ですから汚染した土砂を埋め戻すという作業をしました。ウラン残土の上にまた違う、残土でない土や土砂を覆って地層をつくっていったわけです。
原状復帰の作業がされた後は、底の部分に土が敷かれてなだらかになっています。斜面には土を覆ってカバーをしています。しかし、非常に斜面が急なところには土を埋めることができなかったので、むき出しの大地が見えています。
このジャックパイルの原状復帰作業を、アメリカ政府は非常にうまくいった成功したと誇っているんですが、世界最大の露天掘りの鉱山では今まで復旧作業なんかやったことがないので、比べることができないようなところの作業を自分たちは成功したと言えるだろうかと、私たちは非常に疑問に思います。
その原状復帰作業をやっている最中あるいはやった後のところに行きますと、雨が降った後に覆っていた土砂が下の方に流れていく状況が見られます。そして、鉱山の中に裂け目のようなものが見えます。覆った土が裂け目から流れ下の川に流れ込んでいます。
私たちはこの裂け目のところに行ってガイガーカウンターで放射線を測ったのですが、連邦政府の安全基準をはるかに超えるような放射線が測られました。このようにいまだに放射能のレベルが高いにもかかわらず、連邦政府はこれは成功したと豪語しているわけです。
ジャックパイル鉱山は非常に成功した除染作業を行ったと彼らは言っているわけですが、そのすぐそばに違う鉱山があります。その土地はニューメキシコ州が所有している土地ですが、州は予算がないということを理由に何もせずに放ったらかしにしています。
食べ物・飲み水にも
問題は、牛とか羊とかいう家畜が汚染した草を食べたというようなことだけではなく、クマとかエルク、シカとかライオン、そういう野生の動物がこの丘を降りてこの放射能で汚染された水を飲んでいるという事実です。
野生動物が汚染されるということを私たちは国連にも訴えてきました。国連の食糧機構(FAO)にその問題を提起しました。汚染したチリを食べた家畜やあるいは野生動物が汚染するということで、今国連のほうでは食物の安全保障フードセキュリティーということで、汚染した食物を汚染するということに対する宣言、そういうことをしてはいけないという宣言ができたわけですが、その問題に関連して私たちはやはりこのような水や私たちの食べ物が汚染しているということを証言してきました。
次に私はアコマの西にあるナバホの人たちの土地のことをお話します。ナバホ族は、合衆国で一番住んでいる土地もあるいは人口も最大の部族です。その面積はアメリカのバージニア州と同じぐらいの面積があります。
ナバホの人たちの住んでいるナバホネイションは四つの州が交わるところです。アリゾナ州、ニューメキシコ州、コロラド州、そしてユタ州という四つの州が交わるところに位置しています。ナバホの人たちの土地には1,300ものウラン鉱山、そしてウランの精錬所が存在します。精錬所が閉鎖されてから除染作業が行われるまでの期間はだいたい平均して10年くらいですが、その10年間の間は製錬所から出た廃棄物の山、それは全く野ざらしの状態でこの地域一帯の川に流れ込みそして地下水を汚染するというような状況です。
ホームステイク精錬所という場所は、この地域でも最も汚染がひどいところです。この24 年間の精錬所での操業中、常にここの精錬の量はアメリカでトップ3に入る大量の精錬を行っています。
先ほど申し上げたジャックパイル鉱山から流れ込んでいる汚染している川と同じ川の上流にこの精練所があり、両方の施設によって同じ川が汚染されています。ですからこの川が二つの施設によって汚染され、下流に流れて行ってウラン採掘や精錬のない場所のニューメキシコ州の地域にも汚染を広げているということが理解できるかと思います。
ホームステイ精練所とジッャクパイル鉱山はアメリカ政府が言うところのスーパーファンドサイトと言いまして、除染作業を最優先して行い、そのための予算をつけるそういう場所があるんですが、両方ともそういうスーパーファンドサイトに指定されています。
日本の企業が進出
このグランツ鉱脈の上に日本の住友商事が新しいウラン鉱山を開こうとしています。実は今週月曜日に東京の住友商事の本社に行き、住友の方とお会いしたんですが、そのときに住友商事に対して私は、「どうしてこのように長年に渡る負の遺産、汚染があるようなところに新しい鉱山を開くのですか」という問題を提起しました。もう一つ住友商事で、「ロカ・ホンダの鉱山でウランを掘ったとしてもそれはほとんどアメリカで使うものではなく、ほぼ100%日本に輸出されるものだ」ということは申し上げました。
もう一つの問題は、ロカ・ホンダでウラン採掘が始まれば、そのロカ・ホンダのところからまた川が流れ込んで、先ほど申し上げましたホームステイク精練所が汚染している川と同じところに流れ込んでいくわけですね。ですからまたそれによって人々、家畜、そして農業が影響を受けます。調査によりますと、このホームステイク精練所の近くの地下水を人々は飲んで暮れしているんですが、地下水の調査で、ほとんどの井戸の水がトリチウムによって汚染されているということがわかりました。
ジャックパイル鉱山よりももっと小さい鉱山は、52年以上経ってもいまだに除染作業がされずに放置されています。このあたりの鉱山から掘られましたウランが広島・長崎の原爆をつくる実験に使われたウランですが、65年たった今日もそこのウラン鉱山は除染されずに残っています。ですから、広島・長崎とナバホの人たちとのつながりということがこういうところにも表われているのです。
被害の実態は
40年代、50年代ごろにウラン坑夫が素手で穴の中、マスクも何もなし、換気もしないような環境で働いていました。人々が働くすぐそばに汚染した鉱滓が積まれていて、何のカバーもされていませんでした。当時、働いている人に対してマスクをしたり換気が必要だと危険なんだということを一切知らせてこなかったわけです。その結果、今日ウラン坑夫の肺ガンの率がウラン鉱山で働かなかった人たちの20倍~30倍というような頻度で出ており、5,000人にものぼるナバホの坑夫たちがガンなどの病気に罹っているという調査があります。
ある推定によりますと、500人から600人のウラン坑夫がすでに1990年までに亡くなったと言われており、そして2000年までに500人から600人がさらに亡くなると言われています。しかし、ナバホの居留区は非常に医療機関から離れたところにありますので、そのような統計を正確にとるということが非常に難しいのです。
連邦政府はいまだにきちんとした健康調査を一切やっていません。ですから、私たち活動家とかその状況を懸念する人たちがウラン坑夫あるいは元精錬工の健康調査をやっていますが、連邦政府はほとんどそれを支援してくれません。
チャーチロックというところで1979年に起こった鉱滓ダムの決壊は、世界で起こった鉱滓が決壊して地域を汚染した最大の事故だったと言われています。その事件により4億5,000万リットルという大量の液体に混ざった汚染物が流れました。政府がその地域の汚染を除去する作業を始めたのはそれから30年も経った2009年になってからです。
このようにして私たちがどのように核被害者になってきたかということがご理解いただけると思います。子どもたちは汚染した残土のところで遊び、人々はその残土を使って家までつくって、家畜を汚染した草で育て、そして川が汚染してその水を飲み、家畜も飲み、そこで洗濯をしたりもしました。
見えない犠牲
核の平和利用と言われますが、見えないところで病気になり、そして多くの人々が亡くなっています。これはまさしく核による人種差別です。連邦政府は「あいつらはインディアンだ。放っとけ。死んでしまっても構わないんだと」そんな扱いをしてきました。私たちはそのような扱いに本当にうんざりしています。そういう嘘をつかれたこと、そういう扱いを受けたことにがまんがならないんです。
もう一つ「核のいわゆる平和利用」を考える前に考えいただきたいのは、廃棄物の問題です。私はここに来る前に福井の原発を見に行きました。美浜の原発を見学したんですが、そのときに本当に驚いたのは原発が目の前に見える浜で子どもたちが遊び家族が海水浴に来ていたんですね。その状況を見て非常にショックを受けました。
そして原発の横にある博物館で原発のPRセンターですが、そこで展示されていることは、いかに原発は安全かということしか人々に知らせていなかったんです。
今日の会場を見回しましたら若い人たちが結構坐っていらっしゃるのを見ました。その若い人たちに申し上げたい。あなたたちが私たちの将来を築いていくんです。人間としてこのような問題を解決するのか、それとも今までのような核の汚染をずっと続けるのかということをぜひ若い人たちに考えていただきたいと思います。
本当に今日はどうもありがとうございました。日本の人々と連帯してそして広島・長崎の記念すべき日にここに来られたということを本当に心から感謝したいと思います。それと先住民として私はここに来たことを決して忘れることはないでしょう。それと同時に私はアメリカ政府が私たちにしたことと全く同じことを皆さんにしたということに対して非常に心を痛めて、謝りたいと思っています。
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原発とウラン、豪先住民女性の訴え(動画)
(9月25日、TBS系テレビ放送)原発の燃料として日本にも輸出されているオーストラリアのウランをめぐり、先住民=アボリジニの女性が国連事務総長に手紙を送りました。そこには、先祖からの土地で採掘されるウランと、震災後の日本への思いが綴られていました。
“Ganbare, Nihon. Ganbare, Tohoku.