今、観てほしい5本の映画を3月17日、18日に福岡市で上映します。
いのちの映画祭(第3回上映会 3月17日@福岡)
「川口由一の自然農というしあわせ」「祝の島」「第4の革命」が上映されます。
いのちの映画祭(第4回上映会 3月18日@福岡)
「チェルノブイリ・ハート」「ミツバチの羽音と地球の回転」を上映
17日は、「祝の島」の纐纈あや監督と対談します。じつは、昨年311当日、私は東京で、纐纈あやさんと、師匠の本橋成一さんと一緒に「いのちの映画祭」の構想を話していて地震にあいました。東京で大揺れした地震の震源が東北だと知って驚き、テレビに映し出される津波の凄まじさに言葉を失い、原発事故を恐れたあの日の衝撃についても語り合いたいと思います。
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『祝の島』纐纈あや監督インタビューから抜粋
―映画を観るまでは、反原発の活動ということで、緊張した状況の中で険しい表情でするものだと思っていたのですが、祝島では皆が本気で集りながらも、ゆるやかな時間の流れの中で自然にデモが行われていてびっくりしました。
監督: 島の人たちの原発反対って、ものすごく身体感覚に染みついているものだなあと思うんです。そもそも島での生活自体が毎日身体を使って働いているし、海と山に生かされているのも自分たちの身体だし、長年にわたって刻まれてきた身体の記憶というようなものがあると思うんです。島のおばあちゃんたちは、頭の中で理論を駆使して反対するのではなく、経験的・身体感覚的に「嫌なものは嫌」ってきっぱり言い切ってしまえる。今の現代生活の中では薄れてきている、自分たちを根底から支えるものが島にはある。だから私はものすごくあの島に惹かれたんだと思います。
―映画の中では、デモの様子も写されますが、島の人たちが海で漁をしたり、岩山を切り開いた畑で農業をしたりといった普段の仕事の様子や、おばあちゃんたちが夜に集ってお茶を飲んでおしゃべりする姿等、ゆったりとした生活の描写が丁寧に撮られていますね。
監督: 映画の中で、どうしてあんなに暮らしの描写にこだわったかというと、島の人たちが何を守ろうとしているのかを私自身が見たいと思ったからなんです。
何かを知る時って、大抵の場合、問題が起きてからそのことを知ることが多いですよね。そしてようやく、その場所に居る人を知って、情報やデータを得て、それぞれの立場の人の話を聞いて、それで問題を知ったような気になる。でも、一番知らなければならないのは、そういうことなのだろうかと思ったんです。マスコミには島の人たちの抗議行動ばかりが取り上げられて、何を守ろうとしているのかという、「何」の部分はいっこうに映し出されない。それは、今のマスコミにも、その情報を受け取る私達側にも、「知る」という行為において決定的に欠落している意識ではないかと思います。
―確かに派手な生活では無いですが、島の人たちの会話が面白かったり、長く生きてきたおじいちゃんやおばあちゃんの生活の様子がぐっと心に迫ってきたり、何気ないようでドラマチックですよね。デモそのものではなく、守ろうとしている生活を撮ろうと思うきっかけのようなものは何かあったのでしょうか?
監督: ある写真がきっかけですね。
初めて島に行った時は、自分が考えていた“原発反対運動”というのが悉く覆されて、次々とユーモア溢れる人が目の前に現れて、本当に楽しくて(笑)、なんだか映画の『男はつらいよ』の世界のように愛おしい人たちだと思っていました。そういう島の人たちと出会って、7年くらい経ってから、祝島の人たちの原発反対運動の写真を観たんです。そこには抗議行動の最前線の様子が写っていました。皆さん険しい顔をして中電と小競り合いをしているような現場の数々でした。それを観た時、本当に苦しくって。それと同時に、すごく悔しかったんです。というのは、「島の人たちの姿って、これだけじゃないよな」、と思ったからなんです。一番大切な普段の島の人たちの顔ってこれじゃあないなあ、と思って。島の人たちの普段の生活を見て、原発反対運動をする姿を観たら、きっと全然違う風に見えてくるとその時に思ったんです。
―映画の中では、島の人たちの生活に深く関わっていなければ撮れないシーンも沢山出てきますね。
例えば、おじいちゃんやおばあちゃんが夜に集ってお茶を飲んでいる時に、もう明日死ぬかもしれない、なんて自分の余命を予測しながらお喋りする一方で、自分の祖先や孫などを思って話をしていて、時間のスパンを長く持っていらっしゃるのが印象的でしたが…
監督: 私も編集をしている時に気付いたのですが、島のかたが皆、今はもう既にこの世にはいない人の話をしてくれるんです。連れ合いとか、お父さんとか、ご先祖とか。亡くなった人の話をしてくれるのと同時に、子供や、孫、これから生まれてくるであろう未来の子供たちのことも言うんです。そのことが皆さん共通していて。それって、今は目の前にはないいのちのことを話しているんだっていうことに気がついたんです。亡くなっているいのちと、まだ生まれてきていないいのちのこと。その綿々と連なるいのちの流れの中に、今の自分たちのいのちもある。その感覚をもって、島の人たちは日々暮しているのだと思いました。
今も福島第一原子力発電所のことで日々揺れているけれど、原発っていうのは、時間に対する想像力と、目に見えないものに対する想像力、その二つの想像力がないと、その怖さとか影響による被害がいかに深刻なものかというのを掴めないんじゃないかと思うんです。原発の放射能汚染というものも、自分の体に影響が出るのは10年後か20年後かも知れないし、自分には出なくても子供に出るかもしれない、次の代に出るかもしれないわけです。そして放射能というものも、目に見えないもので。匂いも味もしない、痛みもないわけで。長い時間でものを考えるということと、目に見えないものへの想像力が、現代社会が一番苦手としているもので、原発ってそこをついているものだなあと思うんですよ。今、一分一秒で時間を刻んで生きているけれど、何千年後か先のことを想像する感覚がないと、原発に頼っていて良いのかということも答えが出てこないと思うんです。祝島の皆さんが亡くなった人やこれから生まれる子供たちのことをさらっとお話していたことが、本当に凄いことだなあと改めて思うんです。
我々はテクノロジーに振り回されている。
もっと便利になりますよ、と耳元で囁く声にうかうかと乗っている。
目を覚ますためにはこの映画を見るのがいい。
おっとりとした日々の記録の中に
とても大事なことが隠されているのに気づいた時、
あなたは慄然とするだろう。
老人たちの顔に過去ではなく未来を読み取るだろう。
池澤夏樹(作家)
この映画を観るまでこの事実を全く知りませんでした。
山口県の田舎で昔ながらの素朴な生活を営み続ける高齢者たちが
28年も展開してきた市民的不服従は、見事としか言いようがありません。
原発は絶対反対!
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
種もみの植え付け、田起こし、代かき、田植え、稲刈り、稲木を建てて、稲を乾燥させる― 美しい棚田を守る一年が丁寧に活写され、それに象徴される島の暮らしが、作業する手元から伝わってくる。
漁に出る。釣った魚に語りかける。
一夜干しのタコを干す。風に吹かれるタコの仕草に笑い転げる。皆、若くない。
一人の夜が寂しいなら、てくてく夜道を歩いて、気心の知れた仲間との、夜更けのお茶会に集う。たまのコンサートに飛び入りする女漁師のタミコさんの扮装に、涙を流して笑い崩れる。
デモ行進の準備はピクニック気分。シュプレヒコールもどこか楽しげ。でも命がけ。
この日常を守りたいから。次世代へ繋ぐ、責任があるから。
見させていただいて本当によかった。そして祝島の今が気になる。
梨木香歩(作家)
「第4の革命」を観た。世界史に残る福島原発事故を今、現在進行形で経験している日本。ほとんどの日本人ができれば原発は止めた方がいいと思っている。しかし「原発に代わるエネルギーをどうするのか」と考えている。その答えがこの映画にある。
特に、政府が導入しようとした原発を市民が「必要ない」と拒絶したデンマークのデモクラシーが素晴らしい。そのデモクラシーの中心に「フォルケセンター(民衆のエネルギーセンター)」があった。小さな国でありながら世界一の風力発電システムをつくり出した謎を解く鍵がここにある。
ウラン採掘とその被害を描いたドキュメンタリー映画『イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘』と共に、今、日本の市民に最も観てほしい映画である。
中村 隆市
エネルギーというのは専門家に任せるのではなく、自分たちの手に取り戻し、自分ごととして取り組むべきものだと思う。自分の趣味や個性を活かしてエネルギーを考え多くの個人が「マイプロジェクト」を始めてこそエネルギー革命は実現できる。
― 鈴木菜央(greenz.jp発行人、株式会社ビオピオCEO)
先日、映画「第四の革命」の監督に会いました。真摯な姿勢に感銘。ダイジェスト映像の作成提案。早速完成。エネルギー革命の必要性を痛感させられる映像です
― 孫正義 (@masason)
闇のエネルギーが占めている暗黒の日本を晴らすのは
この映画しかないでしょう!日本の未来のエネルギーの行方を
決定づける、今こそMUST SEEの大作をご覧あれ!
― 丹羽順子(koko) J-WAVE LOHAS SUNDAYナビゲーター
この映画を見れば、自然エネルギーは必然。
世界では始まっているのだから、あきらめるための理由はもういらない。
カネに支配された今を、ひとりひとりが生きやすい未来に変えられる。
革命に乗り遅れて朽ちてゆくか、
革命の先を生きて幸せになるか、
あなたの選択が後続する人たちへの物語になるだろう。
― 高坂勝(「たまにはTSUKIでも眺めましょ」オーナー、
「減速して生きる―ダウンシフターズ」著者)
未来はいつも可能性を信じた者によって創られる。それに対する批判の言葉もまた同じだ。「不可能だ、現実的でない」。その批判者はいつも利益を失いたくない既得権者だ。ドイツが何をどう変えてきたのか、ヘルマン・シェーアの言葉に耳を傾けてほしい。
― 田中 優(未来バンク代表、天然住宅共同代表)
やれば、出来る!
実はこの『第4の革命』を支える
技術のタネや、芽は、日本が世界をリードしてきたモノばかり。
何故、自国でその花が咲いてこなかったのか?
この映画が気付かせてくれます。
”花咲か爺さん”は、政府でも経済界でもなく、私たちひとり
一人の選択です。さあ、これからです。いっしょに咲かせましょう!
― 野中ともよ(NPO Gaia Initiative代表、元日本太陽光発電協会長)
3.11を境に世界が大きく変わってしまった日本で、今こそ多くの
人が観るべき作品。今作の完成にカール-A・フェヒナー監督が
4年の歳月をかけたのがよく分かる力作だ
― わたなべりんたろう(「3.11日常」監督)
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「川口由一という物語」
(DVD「川口由一の自然農というしあわせwith辻信一」解説)
世界中の農業は近代化の果てに、今やいのちの世界から遠く隔たった場所に行きついてしまいました。農と食は人類の生存の基盤そのものです。それが、市場競争の中にまき込まれ、さらにグローバルな自由貿易の渦中に放り込まれてしまったのです。中小の農家はより大規模な農場に吸収され、地域の自給的な農は姿を消し、農山村の人口の多くが都会へ流れ出ました。今や田畑は単一の換金作物を大量生産する工場のよう。効率化の先端にあるはずの先進国の農業は「十のエネルギーを投入して一を得る」という不効率の極みにあります。
それが私たちの時代です。かつていのちを育み、幸せな社会と幸せな人生の基盤を築くはずだった農的な営みが、人類の未来を脅かすものへと変貌してしまったのです。
そんな時代にあって、自然農とは何を意味するのでしょう? それは、こんがらがった糸をほどくように、農耕という営みの大もとへと辿り直すことにちがいありません。耕さない、肥料も農薬も使わない、動力機械も使わない、虫や草や鳥を敵としない・・・。そんなふうに余計なものをひとつずつ引き算していけば、しまいには、農の原形が浮かび上がるはずです。人間と大地とのあるべき関係がそこに再び姿を現すでしょう。
農業を超えて、川口由一さんの物語はすべての人に開かれています。それは、人が人として生きる意味を、人がひとつのいのちとして生きる意味を、そして人が個々の自分を生きるということの意味を語ってくれます。
世界はいよいよ曲がり角です。今こそ、川口さんの言葉に耳を傾け、その生き方に溢れている美しさや愉しさを見つめてみましょう。そこには、大転換期を幸せに生きるための智恵が詰まっています。
辻信一