インタグコーヒー物語 第7回 インタグコーヒーの作り手たち
〜その1 コルネリオさん
果たして、インタグコーヒーは遙か遠い東の国、日本とのつながりを得るに至る。 その過程には、それぞれの役割を担う多様な人がいる。例えば、コーヒーを輸出する人、輸入する人、焙煎する人、そして、それを飲む人。インタグの出来事や問題を伝える人、言葉を翻訳して世界に伝える人。
数ある役割のなかで、そのつながりの起点に位置するのは、コーヒーを作る人々である。ウインドファーム、エクアドル駐在員、和田彩子からのレポートを通して、インタグの森でコーヒー栽培を営む人々の姿をお伝えする。
(ウインドファーム エクアドル駐在員 和田彩子)
(インタグのコーヒーの生産者 コルネリオさん)
インタグの有機コーヒー生産者、コルネリオさんにインタビューをするために、私はクエジャヘ教区にあるエスペランサというコミュニティーに行った。 コルネリオさんはAACRI(インタグ・コーヒー生産者組合)の有機認証プログラ ムに参加しているインタグコーヒーの生産者だ。
コルネリオさんが住むエスペランサは30家族、130名ほどの人が住んでいる小さなコミュニティー。山肌にひっつくような形で、彼の家があり、そこに連れ合いのロサさん、息子夫婦、孫たちと住んでいる。
コルネリオさんは、「オタバロ」という、インタグからバスで3時間ほどのところにある先住民の地域出身だ。8歳のときに、インタグに引っ越してきた という。 先住民の帽子をかぶり、長めの髪の毛を後ろで三つ編みにしている。
オタバロ出身の両親を持つロサさんも、いつもオタバロの先住民の衣装を身につけ、夫婦の間の会話はほとんど先住民族の言葉であるキチュア語で交わされる。
まず、コルネリオさんの家に着くと、とうもろこしと豆の畑を案内された。「豆もとうもろこしも、2000年に実施されたエクアドルのドル化政策をはさんで、価格が下落したので、生活が以前より厳しくなった」とコルネリオさんは語る。とうもろこし・豆の原価は大体50ドル、それに対して売価は100ポンド(5kg)5ドル、豆は6ドル。これではまったく採算が合わない。
はじめは「フェアトレード」という言葉の意味もコルネリオさんは分からなかった。だが、現在、家族の生活を支えているのが、コーヒーのフェアトレードであることに、彼は気付いている。「コーヒーだけは、100ポンドにつき売価が63ドルなので、それでなんとか生活ができる」と語る。
(コーヒー生豆の作業)
次に焼いてしまった畑を見せてもらった。今年、インタグでは、7つの団体によって反焼畑農業キャンペーンが行われている。コルネリオさんはそこで、焼畑は、土壌の水分、養分すべてをなくしてしまうということを学んだ。
それまで毎年雑草や硬い根を駆除するために、夏に焼畑を実施していたが、今年からは、もう焼畑はしないと、彼は決意した。「年々農産物の実りが悪くなっていたことには気づいていたし、毎年旱魃に悩まされていたので、焼畑を止めることで、なんとかこの状況がよくなることを願っている」と語る。今後は、植林をしていくことで、水分を土壌に留められるようにしていく予定だ。
翌日、コルネリオさんのコーヒー農園を見た。これまでいろいろな農園を見たが、 これほど急斜面にある農園は初めてだった。そして、「森林農業」とはこういうものなのかと思いながら、森の中の道を、草を刈りながら進んだ。
コーヒーの収穫をお手伝いしながら、コルネリオさんやご家族、そしてご近所さんに話を聞いた。ご家族やコミュニティーの人が、大人も子どもも、信頼し、協力しながら、ひとつのコーヒー農園の収穫を行う。それをもう何年も続けている。
(協力しあっての収穫作業)
コルネリオさんが、コーヒー栽培を始めたのは、15年前。そしてAACRIに登録したのは、2年前。元々、化学薬品は使っていなかったが、「有機栽培」という、概念を知ったのは、AACRIに登録してからだ。はじめ「有機栽培」の意味も全く分からなかった彼は、AACRIの技術班による講習会で有機肥料のことなど少しずつ知識を増やしていく。
最初の頃、あまり動物を飼っていなかったので、肥料を作ること自体難しく、また農園は家から離れており、急斜面にあるので、肥料を撒くことも大変だったという。 しかし「同じコミュニティー内で、農薬によって健康を害した人もいる。有機栽培は生産者にとっても、消費者にとっても、健康によいので、これからも続けていきたい。」とコルネリオさんは語る。
最後に、日本の消費者へ何かメッセージがありませんかと問うと、「おいしくて、 味わいがあり、化学薬品を使っていない健康なインタグのコーヒーをゆっくり、味わ ってほしい。他のコーヒーと比べてみてほしい。絶対の自信があります」とコルネリオさんは応えてくれた。
(コルネリオさん一家)