京都新聞2004年3月8日の記事「スロー都市 京都」にて、 スロービジネススクールについて触れられております。 以下、記事をご紹介いたします。
記事の写真:子どもとともに、職住一体の生活。軒先で豆を売る「楽天堂」代表の高島さん(京都市上京区)
町家の軒先に並べられた、色とりどり、大小さまざまな豆類。 上京区下立売通七本松西入ルにある豆とフェアトレード雑貨の店「楽天堂」は、 昨年三月に家族五人で京都に移り住んだ高島千晶さんが自宅で営んでいる。 豆は、初心者にも料理できるようレシピをつける。 販売のかたわら、豆食の普及をめざす「豆料理クラブ」を主宰、 毎月、自宅では豆料理のランチパーティー。 ホームページやミニコミで通信を発行している。
「消費をあおる文化や、子育てができない企業に疑問をもった」と高島さんは話す。 山口市で10年間、アパレルの店を経営していた。 古着の回収など社会貢献を提唱するアパレルの姿勢には共感したが、売上追求は普通の企業と変わらなかった。 子どもと接する時間も限られ、物を買い与えて埋め合わせた。
そんな中、米中枢同時テロが発生。 米国の友人と連絡を取り合った時、話していたのは料理や食べ物のことだった。 「料理は毎日を支える生活の素材。料理の話で、重苦しい日々をしのげた」。 「豆料理」のアイデアはそこから生まれた。 世界で進む肉食は、大量の穀物を消費し、食糧不足を引き起こす。 それに対し、豆料理は世界中の伝統に根ざす「もう一つの世界の料理」。 保存がきき、体にも良い。 豆を起点に、持続可能な食文化や料理の楽しさを提案していこうと思い立って、京都に移住。 そこで始めた試みは、徐々に輪を広げているという。 職住一致の生活で、子どもとは一緒にお菓子を作るなどして過ごすようになった。 高島さんは「歩みはゆっくりでも、長い時間をかけて築く価値のある仕事がしたい」と夢を語る。
働く場と家庭、仕事と消費が区別されていた生活から、 働きながら家族や地域とかかわり、仕事が創造の場になる生活へ。 右京区梅津南上田町で豆腐店「天気屋」を営む梶田順平さんは、 七年間勤めた大手メーカーを辞めて1992年に開業した。 毎日午前一時に起床し、近場の産地である滋賀県産の大豆を使い、無添加の豆腐をつくる。 日ごとの気温や豆の違いなどにかかわらず、いかに均一な完成品を作るかが腕の見せ所。 「毎日発見があり、飽きない」と話す様子は若々しい。
二人の子育てに正面から向き合おうと決意した転職は、暮らしの風景を大きく変えた。 住む場所で働くため、ちょっとした子どもの表情の変化に気づき、いじめの兆候を察知したことも。 学校や地域とは行き来が増え、男女が共に参加する子育てを訴える活動を通じ、つきあう人の輪も広がった。 企業勤めのほうが収入は良かったかもしれない。 しかし「お金を使わなくてもすむように工夫することも楽しさになる」と、 日常の創意工夫のなかに興味が尽きない。
今や大学を出ても就職が難しい時代となり、右肩上がりも望めそうにない。 若い世代からは「お金のためでない仕事」への関心も高まる。
昨秋、京都で「スローを仕事にしよう」と題した講座が開かれた。 「いのちを大切にする仕事」をスロービジネスと名付け、 大量消費や環境破壊につながらない、循環型で持続可能な社会をつくるビジネスを探求しようと、 福岡県で有機栽培コーヒーのフェアトレードに取り組む「ウインドファーム」 代表の中村隆市さんが提唱した。 講座では京滋で環境問題に取り組む若きNPO(民間非営利団体)スタッフや企業からが講演、 会場は学生が熱心に聞き入っていた。
講師として参加した丸谷一耕さんは、4年前、京都精華大4回生のときに始めた環境コンサルタント 「木野環境」が、常勤スタッフ3人のNPO法人となった。 大手コンサルタント会社の料金では国際環境企画ISO14001の認証を取得したくても手が出ない中小企業を対象に、 「必要十分な」人件費と経費からはじき出した格安の料金でサポートする。
なぜ非営利なのか。 「金もうけではなく、環境問題の解決が第一の目的」という。 NPOは資金が集めにくく、実際の運営では苦労が絶えない。 だが、非営利という点にこだわりを持つ。 「あらゆるものが売り買いの対象になり、個性や『自分らしいスタイル』までが売買されている」 と丸谷さんはいう。 「大切なのは自由と自立だと思う。環境問題に取り組むのは一つの方法です」。
(文化報道部 岩本敏朗)