2006年07月27日

インタグの森を歩いて

いざ、インタグの森へ

 AACRI(インタグ有機コーヒー生産者協会)の好意で雲霧林の中を案内してもらった。自動車で1時間程の道は再び高度を上げて行くが、町から離れてもその道中には点々と組合員の家が点在している。周囲に商店も公共交通機関もなさそうな場所に、インタグの農民の営みとインタグコーヒーの木々が植えられている。こうした家々に挨拶がてら立ち寄り、組合員同士が言葉を交わしながら先へと進む。組合員は家族ぐるみの付き合いがある様子で、大家族ではあっても皆が顔見知りで、お互いを気遣う言葉をかけて近況を伝え合っている。

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インタグの深い森
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 さらに高度を上げると、日差しは強くても肌寒さを感じるようになる。徒歩での移動開始となる場所が、森の入口であった。森の中へ続く道は幅も広く、想像していた森の小径とは全く違う。話を聞くと、この道は重機によって切り開かれ、森の奥まで続いているという。その道路は完成することなく、工事は途中で中止となっている。本来なら人も入れない森が、皮肉にも中途半端な工事によりインタグの雲霧林の案内路となっていた。

 所々に視界が開ける場所に立つと、地平線まで森が延々と続いている。一見すると環境破壊とは無縁に見えるが、局所では開発による深刻な問題が起きている現状を後で目の当たりにすることになる。

 この雲霧林の案内役アベリーノさんは、森の知識に長けており、立ち止まっては薬草となる草花の効用を教えてくれる。また、茎に水が溜まる植物を見つけては飲み、楽器となる茎を切り出しては吹いて聞かせてくれる。道の両端には多種のランの花が、周囲の大きな植物の陰に隠れるように咲いている。目が慣れないと、足元に咲くランの花すら見つけることは難しい。しかし、ランの葉に広がる葉脈は共通した模様を描くので、葉の特徴をもとに山肌のランを見つける楽しさが加わる。

山を流れるインタグの霧

 インタグの森では、正午を過ぎると霧が発生する。霧といえば、周囲が真っ白に包まれることを思い浮かべるが、ここでは流れる雲が通り過ぎて行く感じである。白い大きな塊が、山の麓から這い上がり、周囲を白く包む。数分後にはまた晴れ渡る。それが繰り返され、幻想的な景色が展開される。

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霧の森

 重機で開かれた道は既に数年が経過しており、所々、自然が再生していく兆しも見せている。これも案内なしには見逃してしまう植物であったが、剥き出しの山肌を覆うコケなどの地衣類が広がり、続いてシダ植物などが顔をのぞかせる。草花が育つ近くには潅木が低く育ち始める。その奥には、伐採を免れた樹木が生い茂る。開発という名目で人の手が無計画に入った場所で、見事に自然が再生する過程を観察することができた。

 歩くこと1時間半、小さな滝が見えてくる。この滝まで重機が入ったらしく、その先は1人の人がやっと歩ける本来の山道が森の奥へと続く。話しでは、この小径を行った先にも農民が1人で暮らし、ほぼ自給自足で暮らしているとのこと。森から出るのは、農作物を売り塩を手に入れるために、市場へ足を運ぶ時だけらしい。滝の水で喉を潤し休憩をしばらく取った後、来た道を戻る。気温も下がり霧の濃さも増していく。

開発の傷跡に気付いてふいに、谷を挟んだ向こう側の斜面に、掘削された土砂が山肌を覆う箇所が目に入る。山頂は削られ平らになり、そこから下に岩が投げ捨てられている。緑の山の斜面が、岩で白く埋め尽くされている。そこはセメント用の石灰石を掘り出しており、国内でも有数の外国資本による操業とのこと。後に、住居の建設現場などで実際に目にしたセメント袋は、全てこの会社のロゴ入りであった。このセメント会社のロゴを見る度に、このセメントはインタグの森や山を切り開いて生み出されたのだというを思い返した。

 正しい発展とは何か。森と共存し、その営みから生み出されるコーヒーや果物といった産物と、削り取られた森の斜面。そのギャップを思うと、複雑な気持ちになる。

(レポート/ 井上智晴=ウインドファームスタッフ)

投稿者 akira : 2006年07月27日 12:30