2006年08月03日

のどかな営み、ゆっくりした時間が流れる

インタグ地区のフニン村の様子

 インタグ地方の中心地であるアプエラの町から車で約2時間半、起伏ある未舗装の悪路を進むと、フニン村の入り口に到着する。そこには、日本のNGOナマケモノ倶楽部の資金援助によりつくられた「カバーニャ」と呼ばれる宿泊施設がある。竹をふんだんに使った2階建ての建物で、涼しげな外観となっている。

 コンポストトイレもあり、排泄物も無駄なく堆肥としてリサイクルされている。この宿泊施設に電気は通じておらず、木の葉の揺れる音や鳥のさえずり、そして夜は闇夜に輝く星を満喫できる。インタグのエコツーリズムの拠点でもある「カバーニャ」は、訪れる人が日常に無い何かを感じ取れる空間となっている。

 この宿泊施設は豊かな森の中にあり、フニン村の中心部まで歩いて約20分の場所にある。フニン村で実際に生活する人々と接してみたくなり、早速、村の中心部まで歩くことにした。同行してくれた 3人の内の1人は昔、鉱山で働いており、歩きながら当時を話してくれた。

 往路は全て下りで、果物を木箱に詰めている人々に出会う。この果物はナランヒージャと呼ばれ、親切にもそれぞれ数個もらい、食べながら歩いて行く。表面は短い産毛のようなもので覆われおり、それをまず、道端の木の葉で擦り落としてから口にする。見た目はトマトのようだが、甘酸っぱくオレンジとレモンを掛け合わせたような風味がある。

 さらに道を下って行くと、時おり村の遠景が見えてくる。中心に広場があり、その周囲を家屋が囲むように村が形成されている。鉱山開発の賛成と反対に揺れるため、緊張感を感じるかと思っていたが、その光景はどこにでもある田舎町でしかなかった。

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フニン村の中心部

 鉱山で昔働いていたという男性は道中、車の荷台に飛び乗ってきた地元の人で、興味深いことを教えてくれた。当初は鉱山の仕事といえば、安定した収入になると信じ、多くの若者が職を求めて駆けつけたという。しかし、仕事はきつく、重い機材などを一日中かついで歩き回っていた。職場では食事を提供しており、これが唯一の楽しみであったという。

 鉱山の所有者は変わり、職場環境は悪化していく。悪路を機材を抱えて歩き回り、どうしたことか、食事すら与えてもらえなくなった。従業員の間に不満が蔓延し、すぐに退職を決意したという。当時は、鉱山と環境の問題を結びつけることには至らなかったが、後に環境破壊も含め、地域社会の荒廃を目の当たりにしたそうである。

 村の入り口には小学校と公民館、その先に川が流れ、澄んだ水の中で学校帰りの子どもたちが、水遊びをしている。鉱山問題に揺れることがなければ、静かな暮らしができるであろうことを象徴するような光景であった。村は小さな教会を囲むように、家々が並んでいる。広場では、農作業の合間に大人達がバレーボールをして楽しんでいる。

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水遊びをする子どもたち

 村には一軒の雑貨屋があるのみで、必要な品々は隣村まで馬を連ねて買い物に行くとの事。確か村に入る前、3頭の馬を引き連れた家族とすれ違ったが、それが買出しに向かうところだったらしい。もちろん、各個人で行くには大変な労力なので、近所の人々に声を掛けて、日用品をまとめて買いに行くそうである。こうした生活の1コマにも、小さな村に生きる人々の結束力を感じさせる。

(レポート/ 井上智晴=ウインドファームスタッフ)

投稿者 akira : 2006年08月03日 12:15