◆検証・大震災:福島第1原発 汚染水対策、漂流2年半
(毎日新聞 2013年09月07日 東京朝刊)
東日本大震災からまもなく2年半。メルトダウンを起こした東京電力福島第1原発では放射性汚染水漏れが止まらず、事故収束がいまだに見えない。汚染水問題がここまで深刻化した背景は何かを検証した。
◆11年6月 「東電つぶせぬ」
◇しぼんだ遮水壁構想
「緊急措置として低濃度汚染水を海に流すことになりました」
枝野幸男官房長官は秘書官からの連絡に驚いた。2011年4月4日。細野豪志首相補佐官が事務局長を務める政府・東電の事故対策統合本部の決断だった。
福島第1原発1〜3号機はメルトダウン(炉心溶融)していた。原子炉を冷却するため大量に注入された水が高レベル放射性物質に触れて高濃度汚染水になり、原子炉建屋に流出。海にも漏れ出している。細野氏は3日前の東電との会議で「汚染水の放出は絶対あり得ない」と主張し、その方針を決めたばかりだった。
しかしこれ以上の高濃度汚染水の流出を防ぐには限られたスペースに移して保管し、場所をとる低濃度汚染水を代わりに海へ流すしかなかった。全国漁業協同組合連合会は東電や経済産業省に「事前に連絡がなかった」と抗議し、不信を募らせた。
「原発周辺の地下水の状況を調べてほしい」。中長期対策チームの責任者として汚染水対策を担う馬淵澄夫首相補佐官は4月中旬、東電幹部に要請した。汚染水が地下水を汚すのを懸念したほか、山側から大量の地下水が建屋に流れ込み、汚染水の量を拡大させていると考えたからだ。
「地下水の遮断が必要」との助言は内閣官房参与の大学教授からも寄せられていた。東電担当者は「地下水との関連は考えにくい」と渋ったが、調べさせると、建屋直下に阿武隈山系の地下水流があった。
それでも東電は「汚染水と地下水が混ざり合うことは考えづらい」と反論した。「地下水も建屋内も水位に変化がなく、水圧のバランスが取れている」という理由だった。馬淵氏は国土交通相時代の部下ら直属スタッフ数人で独自調査を始める。原発の補修工事の際に提出する「不適合報告書」をしらみつぶしに当たり、過去に地下水が建屋に流入した事例が何度もあったことを突き止めた。
馬淵チームは5月11日付で作った「地下水汚染防止対策報告書」で「地下水が汚染水と混ざれば(建屋真下を通る地下水流が汚染水を洗い流し)早ければ半年で海に到達する可能性がある」と警告。海への直接の流出を防ぐため、すでに検討されていた海側の遮水壁に加え、建屋の四方を粘土の壁で囲う陸側遮水壁の設置を提言した。検討過程で、粘土式より施工期間が短く、初期費用が安い凍土式も俎上(そじょう)にのぼった。しかし、土を凍らせて壁にする凍土式の大規模な施工例は海外にもない。効果に疑問があるとして、候補から消えた。
当時、放射性物質による海洋汚染が判明し、漁業は県全域で自粛を余儀なくされていた。馬淵氏は6月11日、福島第1原発に入り、粘土遮水壁の配置計画を固め、14日に記者発表する段取りだった。だが、11年3月期に1兆2000億円を超える最終赤字を出した東電は遮水壁の建設負担を恐れた。政府に文書で「1000億円規模のさらなる債務計上となれば、市場から債務超過の方向と評価される可能性が大きい。ぜひ回避したい」と伝え、再考を迫った。
「東電が経産相に発表の先延ばしを求めているそうです」。13日朝、スタッフから報告を受けた馬淵氏は、海江田万里経産相の部屋に駆け込んだ。とはいえ、東電が債務超過と見なされて困るのは政府も同じ。国が東電の賠償を支援する「原子力損害賠償支援機構法案」にも影響する。財務省幹部は「東電が破綻すれば賠償責任を国がかぶることになる」と心配した。馬淵氏は「建設費は国が出すしかない」と考えたが、それには国民の厳しい批判が予想された。
「国が負担することになれば担当府省や予算費目を決めなければならない」。協議の結果、14日の発表は見送られた。事故収束に向けた工程表でも、実現の可能性を調査する「中期的な検討課題」にとどまり、着工時期や費用は明示されなかった。
「遮水壁は進めてください」。馬淵氏は東電を訪れ、武藤栄副社長に念押ししたが、確約は得られなかった。
馬淵氏は6月末、首相補佐官を外れた。
◆8月 予算措置、政府動かず
◇「国が主導」空回り
細野首相補佐官が原発事故収束・再発防止担当相に起用された6月27日、循環注水冷却システムが本格稼働した。原子炉建屋などにたまる高濃度汚染水をセシウム吸着装置など四つのプロセスで浄化し、原子炉の冷却水として再利用する。増え続ける高濃度汚染水への対応で当面の切り札になるはずだった。
しかし、システムは米仏日3カ国の企業が2カ月弱の突貫工事で構築したもの。初日から原子炉に注水するホースで水漏れが見つかるなどトラブルが続発した。
「汚染水の処理をきちんとしなければ、海が汚れて福島県の漁業が壊滅してしまう。すぐにでも(遮水壁の)工事をしてほしい」。7月11日の衆院東日本大震災復興特別委員会。福島県選出の自民党議員、吉野正芳氏は地下水の建屋流入を食い止める陸側遮水壁の着工前倒しを求めた。
これに対し、細野氏は「遮水壁は極めて重要なプロセス。(原子炉の冷温停止を実現する)ステップ2(期間中)の早い段階で検討を終了し、できるだけ早く着手できないか検討を始めた」と説明。14日の参院内閣委員会では、東電が遮水壁建設による負担で債務超過になる可能性も念頭に「国が一歩踏み出して予算措置する必要性はある」と踏み込んだ。
細野氏はこのころ、国の原子力政策を担う内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長に原発廃炉に向けた中長期措置に関する検討を要請している。近藤氏は「(1979年に起きた)アメリカのスリーマイル島(TMI)原発事故を思い出せば、廃炉の仕事は大変だとすぐに分かる。見通しを立てておくべきだ」と5月末ごろから専門家を集めて勉強会を始めていた。細野氏もこの勉強会に参加しており、近藤氏から「政府が本腰を入れなければ、事故収束は望めない」と助言されていた。
近藤勉強会では、TMI事故処理対策を徹底的に分析。汚染水対策が廃炉に向けた大きなハードルになると認識していた。TMIでも汚染水からセシウムなど大半の放射性物質は除去したものの、トリチウム(三重水素)は分離できず、最終的には地元の了解を得て、大気中に蒸発させて処分した。
だが、日本の場合「湿度が高く放射性物質が拡散しにくいことや、風評被害を広げる恐れがあり、蒸発処分は困難」(原子力委幹部)だ。このため、近藤勉強会では、汚染水の処分について「トリチウムを規制値以下に薄めた上で海洋に放出するしかない」との考えが支配的だった。それには福島県など地元の理解が不可欠で、近藤氏は政府・東電が事故処理の進み具合などを地元に丁寧に説明し、対話ルートをつくるように進言していた。
しかし、国や東電と地元の対話ルートは細かった。近藤勉強会に参加した会津大(福島県会津若松市)の角山茂章学長は「TMIのケースでは米規制当局がタウンミーティングまで開いて地元の意見を事故処理に反映させたというが、福島の場合、意見を言う機会はあまりなく、議論がオープンでなければ不信につながる」と指摘する。TMIの教訓が生かされることはなかった。
政府・東電が7月19日に発表した事故収束と被災者支援の総合工程表には、遮水壁について初めて「設計・着手」と明記。細野氏は26日の参院内閣委で「政府の意思として前倒しした。東電がやるというよりは、政府として関与する体制だ」と強調した。東電は8月1日、遮水壁の工事をステップ2の期間中に始めると発表。海側=図中<1>=を陸側に先駆けて造り、陸側はステップ2期間内に検討することを盛り込んだ。
細野氏の周辺は遮水壁への国費投入について「必要があれば出せる仕組みは作った」という。しかし、政府が予算措置に動いた形跡はない。当時の政権幹部は取材に「なぜだか分からない」「経緯は知らない」と言うばかり。財務省にも「事故処理費用は事故を起こした企業が負担するのが原則」との慎重論が根強く、結局、遮水壁着工の是非は東電の判断に委ねられた。
◆12月 首相「事故収束」宣言
◇「何とかなる」過信
阿武隈山地の集めた豊かな伏流水は、福島県沿岸から10キロ沖合で海に湧き出ているといわれ、一帯は恵まれた漁場だ。原発敷地内を1日1000トンの地下水が流れ、そのうち400トンが原子炉建屋に流れ込む。この地下水流入が汚染水対策の最大の障害であることは誰の目にも明らかだった。
「地下水は海へ一方向に流れており、陸側に遮水壁を設けても汚染水が(しみ出て)海に漏れるリスクは変わらない」。11年10月末、東電はこう説明し、建屋への地下水流入を防ぐ陸側遮水壁の建設を見送る。建設を決めたのは海側だけだった。
東電は建屋周辺に井戸=図中<4>=を掘り、流入前にくみ上げて海に放出する「バイパス計画」を提示。経産省資源エネルギー庁も「陸側遮水壁を大規模にやろうとすれば高線量の中、作業が大変でお金もかかる。バイパス計画と海側遮水壁があれば効果があるだろう」と受け入れる。
東電の発表に先立つ9月19日にウィーンで開かれた国際原子力機関(IAEA)の総会で、細野担当相が事故収束に向けたステップ2完了(原子炉の冷温停止)時期を当初予定の翌年1月中旬から「年内に前倒しする」と宣言。10月11日にあった政府・東電の会議では、中長期対策チームが経産省原子力安全・保安院幹部や、原子力委員らメンバーを前に「地下水による海洋汚染拡大には、当面、海側遮水壁で対応する。細野担当相にも了解を得ている」と報告し、了承されていた。
経産省幹部は「高濃度汚染水が海に漏れないよう何とかできるんじゃないかというムードがあった」と振り返る。
汚染水からセシウムなど一部の放射性物質を除去して再び原子炉への注水に利用する循環注水冷却システムは9月から安定して稼働した。東電は、トリチウムを除くほとんどの放射性物質を取り除ける新装置「アルプス」=図中<6>=の導入計画も進め、事故収束への道具立ては一応そろっているかに見えた。
野田佳彦首相は12月16日の記者会見で「原子炉は冷温停止状態に達した。事故そのものは収束に至った」と事故収束を宣言する。政府・東電の対策本部は廃止され、細野担当相と枝野経産相を共同議長とする「中長期対策会議」を設置。国の役割は東電の廃炉工程表に基づく作業をチェックすることへと変容していく。
バイパス計画や海側遮水壁はまだ計画段階だったが、東電や経産省は楽観論に傾いた。「アルプスが完成すれば海に流せる」(東電幹部)との思いは共通していた。当面は、汚染水をためる地上タンク=図中<5>=を造ってしのぐ。
しかし、翌年の稼働をめざした頼みのアルプスは動かなかった。
◆今年4月 「推定120トン漏水」
◇貯水槽、破れた信頼
汚染水をためる地上タンク増設が追いつかなくなる中、東電は12年4月、地下貯水槽=図中<7>=の建設に着手。同時に、地下水が建屋に流れ込む前にくみ上げて海へ流すバイパス計画を実行する準備に入った。
地下貯水槽は穴を掘ってポリエチレンやベントナイトでできた3層の防水シートを敷く。東電が設計し、ゼネコンの前田建設工業が施工した。アルプスで浄化した低濃度汚染水を入れる予定だった。しかし設備の強度不足などで本格稼働できず、地下貯水槽には高濃度汚染水が約2万7000トン流し込まれた。東電は「貯水槽の安全性は鋼鉄製タンクと差はない」と説明した。
「こんなもので、本当にいいんですか」。汚染水対策に今も携わる東電協力会社の会長(72)は貯水槽の耐久性に疑問を感じ、東電の技術幹部に何度も尋ねた。「時間の余裕がない」−−そんな返事ばかりで、納得できる答えはない。「タンクは納期があってすぐに増やせない。造っている業者もくたびれていた。東電は相当に切羽詰まっていた」
協力会社の会長は貯水槽の構造を「コイを飼う庭の池」だと言う。「池も水が減らないようにシートを敷く。あれに毛の生えたようなもんだ」
もう一方の地下水バイパス計画で、東電は流入量を1日100トン減らせると計算。漁協の組合長を集め補償問題を話し合う定期的な会合の場で、6月から計画の進み具合を説明した。海へ流すのは汚染前の地下水であり、反対の声はおろか質問すら出なかった。10月、地下水をくみ上げる井戸を掘った時も、異論は出なかった。東電や経産省は「汚染水対策の一筋の光明」と期待をかけた。
バイパスの実現まであと一歩というところで、協力会社会長の不安が的中する。東電は今年4月5日、地下貯水槽から汚染水が推定120トン漏れたと発表した。「あれだけの(大規模な)貯水槽をビニールシートで造るのは普通じゃない」。原子力規制委員会の田中俊一委員長は現地を視察し、東電へのいらだちをあらわにした。東電は貯水槽をあきらめ、2カ月間で地上タンクにすべて移し替えることを決めた。
漁業関係者の不信感は一気に高まった。前月に、配電盤にネズミが入り込んだことによる第1原発の大規模停電があったばかりだ。
福島県漁連の野崎哲会長ら幹部は苦悩した。地下水の海への排出を認めず、このまま汚染水が増え続ければ最後は汚染水自体の海への放出を迫られかねない。「自分で自分の首を絞めることになる」。4月26日の組合長会議で、野崎会長がバイパス計画容認の姿勢を示すと、翌日新聞やテレビが「漁連が放出合意へ」と大きく報じた。漁連事務所は組合員からの抗議電話が鳴りっぱなしになった。
漁連幹部は進退窮まった。「もう理屈じゃない。地下水は国の排水基準を下回っていると伝えてもだめ。組合員は濃度ゼロ、放出ゼロを要求している」。バイパス計画は事実上、頓挫した。汚染水の漏えい量はわずかだったと修正されたが、地元の信用を取り戻すすべはなかった。
東電の現場は批判にさらされ、疲弊していく。地元出身で、第1原発の収束作業に当たる男性社員は「社員がどんどん辞めている。同じ職場の仲間は10人が辞めた」と声を落とす。11年夏から月給は5%カットされ、夏冬のボーナスはなし。自分は養う家族がいるので辞められないが、会社のロゴ入り制服を洗濯した時は、ロゴが見えないよう裏返して干す。妻も病院に行くのを嫌がる。健康保険証に社名が入っているからだ。
「士気が下がり続け、汚染水対策も廃炉作業もやり遂げられるのか」。不安を抱えながら働いている。
◆7月 後出しの「海洋流出」
◇泥縄の果て、遮水壁
「汚染水問題が重大局面です。政府が対策委員会を作るので、トップを引き受けていただけませんか」
地下貯水槽からの汚染水漏れが発覚した今年4月上旬。地下水に詳しい京都大の大西有三名誉教授の携帯電話が鳴った。汚染水対策の破綻を心配した経産省資源エネルギー庁担当者からのSOSだった。
ためていた汚染水が漏れたことで地下貯水槽7基の使用停止が決まり、エネ庁幹部は「これは決定的な痛手だ」と嘆いた。対策は大幅な見直しを迫られた。
政権交代で昨年末発足した自民党の安倍政権は原発事故担当相のポストを無くす一方、今年2月、首相を本部長とする原子力災害対策本部の下に廃炉対策推進会議を設置。だが、会議の主な目的は民主党政権時代と同様に東電の廃炉工程表をチェックするにとどまり、東電任せの体制が続いた。
事態を重く見た茂木敏充経産相は「早急に対応策を考えろ」とエネ庁に指示。大西名誉教授を委員長に政府の汚染水処理対策委員会が4月12日発足した。環境汚染の研究者や、東芝の原子力事業部技監、東電副社長、建設業団体幹部が委員に名を連ねた。対策委が5月末に打ち出したのは、地下水の流入を防ぐために建屋を囲む遮水壁の建設。原発事故後の11年6月に東電が「コストが高い」と棚上げした方策の「復活」だった。
「粘土式」「砕石式」「凍土式」−−。大手ゼネコン数社が遮水壁の工法をそれぞれ提案した。大西委員長はコストに縛られない技術的な検討を行うため、2回目以降の事務協議から東電関係者を外した。
結局、地中の土を凍らせて1〜4号機を土の壁で囲う「凍土式」=図中<3>=が採用された。くいを打ち込む大規模工事が必要な粘土式と違い、土を凍らせるため、地中にある複雑な配管も施工の支障にならない。工期も18〜24カ月と短く、コストも数百億円で済むとされる。一度は見送られた工法だ。効果は確かなのか。大西委員長は毎日新聞の取材に「ベターだがベストではない」と語った。
その後、事態は一段と悪化する。東電は「可能性は考えていない」としていたが、汚染水は、対策で工事を進めていた水ガラス=図中<2>=による壁の上を越えた。東電は参院選投開票日の翌日の7月22日に海洋流出を認め、タンクからの汚染水漏れもほどなく明らかになった。
福島県漁連が9月上旬に計画していた相馬双葉漁協といわき市漁協の試験操業延期を決定した8月28日。茂木経産相は、佐藤雄平知事と面会した。
茂木経産相「タンクの増設は急がせるよう指示しています」
佐藤知事「分かりました。しかし本当に、こうやって会談している間にも汚染水が海に流れていますから……」
茂木経産相は佐藤知事の話を遮るように「ですから(海側だけでなく)陸側に凍土遮水壁をまず造り、それから建屋内をしっかりやり、そして……」と対策を並べ立てた。いらだちが明らかに見て取れた。
政府はこれまでの失敗を取り戻そうと「前面に出る」とアピールし始める。自民党幹部は「司令塔機能が弱かった」と悔やんだ。
9月3日、政府は陸側遮水壁整備などへの国費投入を柱とする汚染水対策の基本方針を発表した。だが党内には「国費ではなく、あくまで東電の責任でやるべきだ」という声は少なくない。財務省幹部は「税金を使って対策に失敗したら誰が責任を取れるのか」と冷ややかだ。
国の迷走はいつまで続くのか。このままでは廃炉計画全体に大きな影響が出るのは必至だ。
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この特集は竹川正記、上野央絵、田中泰義、尾中香尚里、井上英介、清水憲司、大久保渉、鳥井真平、奥山智己、袴田貴行、乾達、栗田慎一、中尾卓英、神保圭作、笈田直樹が担当しました。(グラフィック 菅野庸平、編集・レイアウト 藤沢宏幸)