福島原発事故から3年8カ月、政府統計でも病気と病死が増加するなかで、もう一度、チェルノブイリの「低線量汚染地域」の健康被害を再確認したいと思います。
2012年9月にNHKのETV特集で放送された
<チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 ウクライナは訴える>
この番組紹介には、福島原発事故後の日本にとって大変重要なことが書かれています。
2011年4月、チェルノブイリ原発事故25周年の会議で、ウクライナ政府は、汚染地帯の住民に深刻な健康被害が生じていることを明らかにし世界に衝撃を与えた。チェルノブイリ原発が立地するウクライナでは、強制避難区域の外側、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以下とされる汚染地帯に、事故以来26年間、500万人ともいわれる人々が住み続けている。
公表された「Safety for the future未来のための安全」と題されたウクライナ政府報告書には、そうした汚染地帯でこれまで国際機関が放射線の影響を認めてこなかった心臓疾患や膠(こう)原病など、さまざまな病気が多発していると書かれている。特に心筋梗塞や狭心症など心臓や血管の病気が増加していると指摘。子供たちの健康悪化も深刻で2008年のデータでは事故後に生まれた子供たちの78%が慢性疾患を持っていたという。
2012年4月、私たちは汚染地帯のひとつ、原発から140キロにある人口6万5千人のコロステン市を取材した。この町で半世紀近く住民の健康を見続けてきた医師ザイエツさんは、事故後、目に見えて心臓病の患者が増えたことを実感してきたという。
学校の給食は放射線を計った安全な食材を使っている。しかし子供たちの体調は驚くほど悪化。血圧が高く意識を失って救急車で運ばれる子供が多い日で3人はいるという。慢性の気管支炎、原因不明のめまいなど、体調がすぐれない子供が多いため体育の授業をまともに行うことができず、家で試験勉強をして体調を崩すという理由から中学2年までのテストが廃止された。
チェルノブイリ原発事故から26年たった現地を取材し、地元の医師や研究者にインタビュー、ウクライナ政府報告書が訴える健康被害の実態をリポートする。
この番組制作に関わった馬場朝子氏と山内太郎氏が番組の内容をより詳しくまとめた本『低線量汚染地域からの報告書―チェルノブイリ26年後の健康被害』は、福島だけでなく東北、関東に広がる「低線量汚染地域」のこれからを考える上で、非常に重要な本です。その一部を抜粋します。
P.27
私たちが取材をしたコロステンという町は、移住勧告地域と放射線管理地域が混在する地域だ。この町があるジトーミル州の住民は、事故が起きた1986年から2011年までの25年間に、平均で、移住勧告地域では25.8ミリシーベルト、放射線管理地域では14.9ミリシーベルトの低線量被曝をしている。 実は最近になって、こういった低線量被曝をした人々についての注目すべき報告がウクライナ政府によってなされた。それはチェルノブイリ原発事故後、彼らの健康状態が非常に悪化しているというものだ。P.32 – P.34
政府による詳細な調査報告
東日本大震災の直後の2011年4月、ウクライナの首都キエフで、「キエフ国際科学会議」という会議が開かれた。チェルノブイリ原発事故からちょうど25年が経ち、事故の収束に向けて、当事国のウクライナ、ロシア、ベラルーシ3か国の政府関係者と、IAEA(国際原子力機関)などの国連の諸機関や、G8、EUの首脳が話し合う国際会議だ。その会議の席上、ウクライナ政府から発表されたのが「チェルノブイリ事故から25年 未来のための安全」と題された「ウクライナ政府報告書」だ。図版を含め352ページに及ぶ大部なものだ。執筆したのは様々な分野の専門家135人。土壌汚染、心理学、廃炉、放射性廃棄物の管理などの視点から、チェルノブイリ原発事故がウクライナの人々にどんな影響を及ぼしたのか、また、ウクライナが現在どのようにチェルノブイリ原発事故に向き合おうとしているのか、最新の研究成果に基づいて報告されている。
そして、この報告書の中でも多くのページを割かれているのが、原発事故による住民の健康状態について書かれた「第3章 チェルノブイリ惨事の放射線学的・医学的結果」だ。
甲状腺疾患、白内障、免疫疾患、神経精神疾患、循環器系疾患(心臓・血管など)、気管支系疾患(肺・呼吸器など)、消化器系疾患(胃・腸など)といった、体中のありとあらゆる組織の病気について記されている。P.46 – P.47
私たちは、被災地で暮らす人たちを取材するため、チェルノブイリ原発から140キロの距離にあるジトーミル州のコロステン市を目指した。人口6万5000、製陶やコンクリート工業といった製造業が盛んな町だ。市があるのは移住勧告地域と放射線管理地域が混在する低線量汚染地域で、年間0.5から5ミリシーベルトの被曝線量が見込まれる地域である。P.48 – P.54
患者を診続けてきた医師たち翌日、私たちはコロステン中央病院を訪ねた。待合室は患者であふれていた。この病院は町で唯一の総合病院で、近くの村からも病人が送られてくるという。まず私たちは、この町の住民の全体的な健康状態を知りたいと思った。
私たちを迎えてくれたのは副院長のアレクセイ・ザイエツ医師。もう70歳になるベテランだ。この町で半世紀ほど住民の健康を管理してきた。私たちの訪問にザイエツさんは、「住民の健康状態についての会議を開くので、それを聞けばこの町の人々の様子がわかるだろう」と、病院の主だった医師を集めてくれた。集まったのは、副院長のアレクセイ・ザイエツさん、内分泌疾患を専門とするガリーナ・イワーノブナ医師、リウマチなどが専門のガリーナ・ミハイロブナ医師、そして悪性腫瘍専門のウラジミール・レオニードビッチ医師らだ。
まず、副院長のザイエツさんが口を開いた。「残念なことに、日本でも1年前に原発事故が起きました。多くの点が、私たちの悲劇的な事故と共通していると思います。今の日本の状況は、私たちの事故と同じであり、私たちに起きたことが福島でも起きているのです。ご存じのように事故当時、放出物質の80パーセントは放射性ヨウ素でした。そして、まず被害を受けたのは甲状腺でした。そのため、甲状腺がんを含めた多くの様々な甲状腺疾患が現れました。私は今日の討議を、この甲状腺疾患から始めたいと思います。では、ガリーナ・イワーノブナさんから」
内分泌科医のガリーナ・イワーノブナさんは、事故当時、医師としてこの町で患者を診ていた。ロシア人である彼女は、ウクライナ独立後ロシアに移住したが、コロステンが懐かしく、この町に戻ってきたという。「ザイエツ医師から話があったように、放射性放出物の80パーセントが放射性ヨウ素であったため、最初に影響を受けたのが甲状腺でした。大きく増えたのがびまん性甲状腺腫、結節性甲状腺腫、甲状腺機能低下症、甲状腺機能亢進症などです。同じく甲状腺がんも増えました。事故前まで私は、大人・子どもにかかわらず甲状腺がんの診断をしたことがありませんでした。私たちが最初に甲状腺がんを確認したのは、事故1年後の1987年で、子どもの症例が1例確認されました。甲状腺がんは91年には9症例、これは私たちの市のレベルでは大変多い数です。」
ガリーナ・イワーノブナさんは、最近危惧される傾向について話を続けた。
「若年齢層の問題です。特に、事故当時18歳以下の子どもだった人たちに関心を向けています。これらの人たちを、3か月ごとに検査をしています。彼らの多くは甲状腺疾患を患っており、自己免疫性甲状腺炎やびまん性甲状腺腫の人もいます。事故当時、少年だった彼らは、いまや大人となり、自分たちの子どもをもうけています。その生まれた子どもたちにも、多くの甲状腺疾患が見られるのです」この病院では対象者すべてに対し、甲状腺の検査を毎年行っている。細胞検査や甲状腺ホルモンについての検査だ。またこの町の人々にはヨウ素が不足しているので、予防的措置として、ヨウ素を多く含む海産物を食べること、ヨウ素を含んだ塩を食べることを勧めている。さらに、すべての妊産婦に対してヨウ素剤を支給するという措置をとり、甲状腺疾患への対策を進めている。
次に報告を行ったのは、リウマチ疾患が専門のガリーナ・ミハイロブナ医師だった。
「すべての内科系の疾病の中で、もっとも特徴的な疾病がリウマチ疾病です。チェルノブイリ事故前はリウマチ患者は6人だったのに、2004年には22人、2010年には42人、2011年は45人でした。この数字は、かなり高い増加を示しています。リウマチは、チェルノブリ事故と関連があると思っています。こういった症状は、チェルノブイリ事故当日、若年層だった人たちに見られます」
次に、がんの増加について、ウラジーミル・レオニードビッチ医師が報告した。
「私たちは分析のためのデータを、事故前の1980年から86年までの6年間と、事故後の1987年から2011年までの25年間とをとりました。事故前の(がんの)平均発病率は10万人あたり200人でした。現在は10万人あたり310人です。つまり1.5倍に増えています。また、リンパ腫と白血病という血液の病気も増えています。事故前の6年では、血液の病気について26の症例が記録されていますが、事故後は25年間で255症例となっています。この増加は、放射性物質の影響によるものだと考えられます。当然のことながら、がんによる死亡率も30パーセントほど増えました。その理由はよりがんの悪性度が高くなったということです。同じく放射能の影響と思われる多くの慢性病を抱えた患者が増えています。食べ物も原因のひとつと考えられますが、放射線も影響していると言えます。
本当のがんの増加は事故から30年後くらいに見られるでしょう。事故当時に子どもだった人たちが自分たちの子どもたちを育てる時期です。最近5年間で最初のがん疾病が見られる年齢グループで、一番多いのは40歳までのグループです。2007年には9人、08年は15人、2010年は17人、2011年は22人でした。この人たちは、事故当時青少年だった人たちです。
私たちは生まれた年に関連した分析を行いました。一番多くの影響を受けているのが1970年と71年生まれの人たち、つまり事故当時15、16歳だった人たちです。活発な生殖成熟期に事故に遭った人たちは、25年後にがんが14症例見られ、甲状腺、白血病、乳腺などにがんを発症しています。事故時期以降の子どものがん疾患の患者ですが、同じく1996年から2000年までの間に11症例、見られています。
がん患者の年齢別構成グループについては、発症年齢が若くなっている傾向があります。30歳ですでに前立腺がんの患者が観察されています。以前は高齢者により多く見られたがんが、この年代でも見られるのです。もちろん私たちの診断の可能性が広がり、コンピューターを使った断層X線写真診断法を使えるようになったことも、症例増加に部分的に関連していると考えられます。しかし依然として患者は増え続けており、現段階で、実際にチェルノブイリ原発事故が私たち国民にもたらした健康被害を総括するのは、時期尚早だと思います。がんの分野についての結論を出すのは、まだ早いのです」
次に、ガリーナ・ミハイロブナさんが、被曝した親から生まれる子どもの健康状態について話をした。
「被曝した両親から、障害を持って生まれる子どもがいます。例えば、2009年は先天性障害が身体障害全体の47パーセントを占めています。2010年は36.8パーセント、2011年は42.2パーセントとなっています。今年(2012年)第一四半期においては身体障害者の100パーセントが先天性障害です。先天性障害は、主に心臓循環器系疾患、そして腸、目などに確認されています。2005年から心臓の先天性障害が第1位で、現在もそれは変わりません」ザイエツ副院長が付け加えた。
「私が最も心配しているのは、先天性障害のある子どもたちの問題です。事故前までは年に数件しかなかったのですが、今は年に30~40人、そういう子どもたちが生まれています。私はこうした問題が、これからも起こる可能性があるのではないかと恐れています」P.68 – P.69
コロステンのあるジトーミル州全体の平均的な被曝等価線量について、ウクライナ政府報告書に詳しいデータがある。子どもの被曝が等価線量にすると大きくなるなどの年齢ごとの重みづけを行った被曝等価線量のデータだ。事故の年の1986年には1.96ミリシーベルト、その後の10年間に2.91ミリシーベルト、さらにその後1997年から2011年までの間に1.32ミリシーベルト。事故発生以後、25年間のすべての積算で6.19ミリシーベルトとなっている。年平均にすれば0.25ミリシーベルト。この数字をどう見るかにはいろいろあるだろうが、福島県浜通りの汚染と比べれば、かなり低い数値だと思われた方も多いのではないだろうか。実は、コロステンの町の汚染状況を、この数字だけで見ると見誤る可能性がある。ジトーミル州北部にあるコロステンの町は汚染地域の中に位置しているが、この州の南部には汚染地域に指定されていない地域がかなりの部分を占めているからだ。旧ソ連は、汚染地域をその汚染の度合いによって4つのゾーンに分類していたが、コロステンの町は、セシウム137による年間被曝線量が1~5ミリシーベルトの「第3ゾーン」と0.5~1ミリシーベルトの「第4ゾーン」のちょうど境目にある。町の中に「第3ゾーン」の場所と「第4ゾーン」の場所があるのだ。このゾーン分けから非常におおざっぱに類推すると、このふたつのゾーンの境目なので、年間被曝線量が1ミリシーベルト前後の地域だったと考えることができるだろう。
ウクライナ政府報告書の別のデータから見ても、この数字は裏付けられる。報告書によるとジトーミル州の「第3ゾーン」「第4ゾーン」も1986年から2011年まで暮らした人の内部被曝と外部被曝をあわせてのセシウム137による25年間の被曝実効線量はそれぞれ25.8ミリシーベルトと14.9ミリシーベルトである。おおざっぱに言って、セシウムによる被曝に限れば、コロステンにいた人の被曝量は25年間の積算で15から26の間、だいたい20ミリシーベルト前後と見積もっていいだろう。このデータからも、年間被曝線量が1ミリシーベルト前後だという数字が導き出される。