『ドキュメンタリー映画 バベルの学校』

『ドキュメンタリー映画 バベルの学校』を観た。すばらしい映画だった。世界の縮図のような学校だった。

「登場人物」である11歳から15歳の子どもたちは、アフリカ、東欧、南米、アジアなどから様々な理由で、パリの中学校に集まった24名。言葉も文化も宗教も考え方も違う世界の縮図のようなクラスだ。

試験問題の暗記に多くの時間を費やしている日本と違い、このクラスでは、「疑問」を大事にしている。自分が日ごろ感じている疑問を書いて、みんなが見られるように貼りだす。日本の学校では、ほとんど時間をとらないようなことに時間をとって、話し合っている。イスラム教やキリスト教の話、カトリックとプロテスタントの対立や暴力の話、自分の頭で考えることを大事にしている。「宗教を持つべきだって誰が決めたの?」、「なぜ、大統領や王様が必要なの?」・・・

当然、さまざまな衝突も起こるが、時が経過するなかで、一人ひとりの育ってきた環境や歩んできた人生がわかってくる。ネオナチの標的にされて家族と逃げてきた少年、幼い時から預けられた家で虐待を受けてきた少女、ほとんどしゃべらない女の子が4歳から10年間、母親と別れて暮らし、今の暮らしも好きではないと知って、「かわいそう」と涙を流すクラスメイト。そこに「共感」や「友情」が芽生え育っていく。

バベルの学校 葛藤や衝突がありながらも

これが人生最後のクラスとなる担任の先生は、そんな子どもたちの成長を辛抱づよく見守る。教育評論家の尾木直樹さん(尾木ママ)は「子どもたちの無限の可能性を引き出す本当の教育とは何か。原点をじっくり教えてくれるこの作品。ぜひ多くの教育関係者、親たちに見てほしいです」と評している。

アフリカが母国の女の子は、言葉使いも態度も乱暴で「友達なんかいない」と言い放つ子だったが、将来の夢を聞かれたとき「医師になりたい」と初めて笑顔で答えた。

バベルの学校:乱暴な女の子が初めて笑っていった。「医師になりたい」

このドキュメンタリー映画は、劇映画のようでもあった。いいドキュメンタリーは、被写体となる人々が撮影されてることを意識しなくなるほどカメラが日常に溶け込んでいるものだが、ひょっとすると子どもたちは、1年間撮影したカメラマンや監督をもクラスメイトだと思っていたのかもしれない。

この映画を見終えてこんなことを思った。
今、米国には世界最大の軍需産業があり、国内外に武器を売って莫大な利益をあげている。日本も「武器輸出3原則」方針を転換して「防衛装備移転」という名の武器輸出の拡大で利益を増やそうとしている。(日本の原発メーカーは3社とも武器をつくっている)その動きと連動するように「集団的自衛権」や「積極的平和主義」という言い方で、戦後70年間、戦争をしなかった日本が戦争ができる国に変えられようとしている。世界に、暴力で物事を解決しようとする傾向が強まってきた今こそ、疑問を語り合い、対話に時間をかけることの大切さをこの映画から学びたい。

ドキュメンタリー映画 バベルの学校

違っている私たちがいっしょに生きていくこととは。20の国籍、24名の生徒の多文化学級を追ったドキュメンタリー映画『バベルの学校』

福岡市中洲の大洋映画劇場では3月6日まで上映予定

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