第二章 ?フェアトレードの20年?
(その3 メキシコ・トセパンコーヒー生産組合)
トセパンコーヒーのフェアトレード
?それでは、ウィンドファームが現在、最も力を入れてフェアトレードを行っている3つの生産者団体の最後の団体、メキシコのトセパン組合(プエブラ州ケツァーラン)についての話を聞かせて下さい。
キッカケは、1998年にコロンビアで行われた国際有機コーヒーセミナーで、生物学者のパトリシア・モゲル教授に出会ったことでした。パトリシアはセミナーで、アグロフォレストリー(森林農法)が環境と文化を守るためにいかに重要であるかを講演しました。その講演に感動した私は、翌年、メキシコを訪問し、パトリシアの案内で森林農法の現場を見学してまわりました。ちょうどこの年から、インタグの森林農法コーヒーを輸入するようになっていたため、森林農法の本場であるメキシコでしっかり学ぼうと思って訪問したのです。しかし現場を訪れ、生産者と言葉を交わし、「新自由貿易」という名の強い者(金持ち)ほど有利なグローバル経済によって、先住民の暮らしが年々苦しくなっている現状を聞いているうちに、だんだんと、「ただ聞いているだけでいいのか?」といういつもの「声」が聞こえてきたんですね。
?またですかぁ(笑)
パトリシアもそうなんだけど、森林農法のコーヒー園では、コーヒーや果樹の特長、多様な樹木の説明を冗談を交えながら話す彼女も、生産者が抱える問題の話になると、厳しい表情になります。コーヒーの国際価格の暴落や大企業によるコーヒーの買いたたきなど、生産者を取りまく現実は想像以上に厳しくなっています。森林農法は、先住民文化の象徴であり、自然の中で生きる生物の一員として、自然と共存しながらコーヒーを生産してきました。しかし、そうした文化や技術を守りたくても、生産原価を無視した価格でしか生産物を取引できない状況の中で、こうした伝統を捨てざるを得ない先住民も増えています。
しかし、そんな状況の中でトセパンの生産者は、「協力」、「分かち合い」という素晴らしい姿勢をもって、これを乗り切ろうとしています。そんな先住民たちがつくっている組合の現状をパトリシアは、まるで自分自身のことであるかのように話してくれました。それを聞いた私は、翌年からメキシコの先住民がつくる森林農法コーヒーを輸入し始めました。
パトリシアの想い
ここで、パトリシアからのメッセージを紹介させて下さい。
「世界で最初に有機栽培のコーヒーを生産したのはメキシコです。有機栽培の生産システムは、地域レベルで見ても地球レベルで見ても、環境に対して多くの利益をもたらしています。例えば、生物多様性の保全、土壌の保全、気候の改善、地球温暖化の影響の削減、洪水、火災といった自然災害の軽減などです。また、有機栽培コーヒーの生産は、毎年300万人の雇用を生みます。例えば、有機栽培でコーヒーを生産する場合、慣行栽培よりも多くの土地を耕作する必要があり、平均して1ヘクタール当たり160日間の雇用が必要となるのです。
しかし、メキシコでの有機コーヒー栽培には、環境への優しさや、お金や雇用を生むこと以外にもたくさんの重要な意味を含んでいます。そこには、様々な文化や信念、そして知恵や知識が凝縮されており、社会や文化面から見てもその利益、恩恵は計り知れません。メキシコでは、約32族もの先住民がコーヒー生産に従事しており、彼らはそれぞれに伝統や慣習、代々受け継がれてきた人生観などを持っています。つまり、コーヒーの生産地では、それぞれの先住民族が織りなす文化の多様性を見ることができるのです。
先住民族が伝統的に行ってきたアグロフォレストリーを維持し、その生産物であるコーヒーをフェアに取引することは、単に生物多様性や環境を保全しているというだけでなく、先住民族が守り続けている文化の多様性を保護することにもつながるのです。そして、この文化の中には、「分かち合い」、「協力」、「尊敬と連帯」といった言葉に代表される先住民の考え方や姿勢も含まれています。
近頃、メキシコでは、生物多様性の保全に関して、その重要性を指摘する研究者は多くいます。しかし、こうした文化の多様性に目を向けている研究者は少ないのではないでしょうか。重要なのは、生物だけでなく、先住民族の文化の多様性をいかにして守り続けていくかということなのです。
そして、それができるのは、フェアトレードやこれと似たような取引(自由貿易に取って代わる貿易)によるものだと思うのです。そのためには、生産者と消費者の連帯を築くことが必要です。生産者と消費者がお互いの立場を理解し、協力することが大事なのです。 私は今回、ウインドファームの中村さんと一緒に2つの生産者グループを訪ねました。彼らは、常に「協力し、分かち合う」という姿勢を大切にしていました。彼らのこうした姿勢は、フェアトレードに取り組む上で、また、さまざまな社会問題と闘っていく上で、とても大切な考え方だと思っています。
今まで述べたように、コーヒーの有機栽培には、生態系や環境だけでなく、先住民族の文化や信念をも持続的に守り続けていこうという姿勢が含まれています。そこで私は、このコーヒーを確信を持ってこう呼びたいと思っています。”サステイナブル(持続可能な)コーヒー” と。
これには、次に述べる4つの要素が含まれています。まず環境の豊かさ、2つめが生活や人生の豊かさ、そして3つめが生産物の質の高さ、4つめが精神的な豊かさです。この”サステイナブル”という考え方は、とても大切なことなので、ぜひ皆さんに知っておいていただきたいと思うのです。
今後は、研究のみならず、消費者の立場にある中村さんとともに、協力しあい、同じ経験を分かちあいながら、メキシコの生産者と日本の消費者のみなさんとの連帯を築いていきたいと思っています。それが、私の夢なのです。 」
トセパンとは
?トセパン組合の概要を教えて下さい。
トセパン組合は1977年に設立され、現在はナワット族の約5800世帯とトトナカ族の300世帯の合計6100世帯が参加しています。正式名称の「トセパン・ティタタニスケ」は、ナワット語で「団結と協力が幸せへの道である」を意味しています。トセパンは設立以来、自分たちでできることは、可能な限り自分たちですることを大事にしてきました。衣食住の「食」は、森林農法でできるだけ食べ物を自給的につくることを重視し、「住」についても、なるべく地元にある素材を使ってつくり、特に
エコツアー客が滞在する宿舎は、地元の竹や石などをふんだんに使って、素晴らしいエコハウスをつくっています。また、銀行を自分たちでつくるなどして、地域内で経済が成り立っていくような活動を続けてきました。こうした活動が、今では、メキシコを代表する環境教育や地域発展のモデルとしても注目されています。
トセパン協同組合は、植民地時代から続く大土地所有制度と仲買人による作物の買いたたきによる、悲惨な小農民の暮らしを立て直すため設立されました。彼らが住むケツァーランという地域は、地理的に孤立していて物資の運搬が困難なため、ケツァーランの商店は商品価格を高く設定していました。また、自分たちがつくった農産物を個人で市場まで運べないため、仲買人から安く買いたたかれていました。
物価が特に高かった例として砂糖があります。1970年代、ケツァーランの商人は、一般では2.5ペソで売られていた砂糖1kgを12ペソで販売していました。つまり、貧しい人々は5倍近い高値で買わされていたわけです。そこで、人々は立ち上がり、砂糖に限らず物資を安く手に入れる方法として、組合づくりに奔走しました。ですから、トセパンの起源はコーヒーなどの生産物を販売するためではなくて、消費生活協同組合的に始まったということになります。
じつは、この組合を設立し初代の代表となったドン・ルイスは、「仲買人をしていた裕福な家庭に育ちながら、同じナワット族の仲間が苦しんでいる姿を見て、このままではいけないと思い、自分の裕福な暮らしを捨てて、組合設立に奔走した人です」と現代表のナサリオ・ディエゴは教えてくれました。
生産物が販売されるようになったのは、設立の翌年1978年からで、ヨーロッパ諸国にコーヒーが輸出されました。仲買人を通さずコーヒーを直接販売するためには、倉庫や加工場が必要なため、組合の基金を活用して、倉庫、果肉処理施設、選別施設を建設しました。最初の果肉処理施設は、たくさんの水を消費して河川を汚染していましたが、その後、環境に配慮した処理施設を学び、トセパンはメキシコの農業者組合として初めて、節水と川を汚染しない施設を備えました。
?トセパンは組合のスタート当初から環境保護意識が強かったのですね。
そうですね。人間と自然とを分離しない先住民の考え方からすれば、当然のことなんでしょうね。私たちが言う「自然との共生」とか、ものを大切にする精神とかが、その後もトセパンの活動に生かされています。例えば、当初は、コーヒーの種だけを販売して、それ以外は廃棄していましたが、その後、コーヒーの果肉を利用して、食用キノコが栽培され、有機肥料もつくられています。ミミズコンポストシステムは、今では、苗床の全ての有機肥料をまかなっています。さらには、コーヒー豆の表皮に付着する蜜を蒸留して、アルコールもつくられています。
?トセパンは、本格的なアグロフォレストリー(森林農法)による栽培で知られていますが、コーヒーだけを販売しているのですか?
はじめはコーヒーだけを販売していましたが、80年代後半から政府は、コーヒーの収穫に要する資金の前払いを取りやめ、コーヒー栽培を国の支援から外す政策に転換しました。さらにコーヒー生産者は1989年に大規模な霜害に見舞われ、生産量が半減して、コーヒー園に深刻な被害が出ました。収穫もされず価格も付かず、コーヒーの実は枯れていき、家族を養うことすら困難な状態に陥りました。しかし、この体験が大きな教訓となりました。自己管理の不可能な市場とコーヒーの単一栽培に依存する危険性を学び、1989年からコーヒー以外にシナモン、マカダミアナッツ、オールスパイスや多様な果物の栽培も始めました。加えて、杉やマホガニーなどの建材にもなる樹木の植林もすすめています。森林農法は、自給用と販売用の多様な作物をつくることで、作物の不作や市場価格の暴落に負けにくい体制をつくっています。
?有機栽培はいつから始まったのでしょうか?
2000年から農薬と化学肥料を一切使用せずにコーヒーを栽培することを取り決め、有機認証を得ていますが、もともと森林農法は農薬や化学肥料をあまり必要としない栽培方法ですから、有機栽培への転換は難しくありませんでした。彼らの森林農法で重要なことは、単に農薬や化学肥料を使わないというだけでなく、多様な動植物が棲める生態系をつくったり、守ったりしていることに大きな意味があると思います。鳥を例にとれば、プランテーション(単一栽培)農法の農場では、数種類の鳥しか見られませんが、森林農法の農場には数十から数百種類の鳥類が見られます。
?農業以外のトセパンの活動について、教えて下さい。
トセパンは設立以来、自分たちの手でできることは可能な限り自分たちでやっています。以前は、外部の人間によって店舗や倉庫や加工場が建設されていましたが、設立後は自分たちで建設を担い、雇用を増やしています。80年代初めには、連邦政府と州政府の投資プロジェクトで地域の要望を挙げ、道路の舗装事業を担いました。道路の整備が行われて、70の村々の約10万人に直接、間接の利益をもたらし、収穫された産物の運び出しが容易になりました。
トセパンの活動の中でも特に重要なことに、銀行の設立があります。銀行をつくる前に、毎年の作物の収穫や販売に必要な資金の確保が難しかったり、家族に急な出費が必要なときには、高利貸しからお金を借りるしかありませんでした。農村でも特に先住民の住む地域では、銀行は貧しい人々から極端に低い利率で預金を預り、決して融資を行いませんでした。こうした背景の中で、
トセパンは1997年に銀行の開設に着手し、翌98年に41の村と1000名以上の組合員で、「お金は皆のもの」という意味を持つ銀行「トセパントミン」を設立しました。毎年、預金と融資額が順調に増えていますし、返済の滞りもなく運営されています。組合員でなくても預金できるので、私もこの銀行に少し預金しています。できたら次のトセパンコーヒーの輸入のために、トセパントミンから融資を受けられたらいいなぁ(笑)
トセパンを動かす若い力
?6000世帯、3万人を抱えるトセパンの代表は、とても若いそうですね。
代表のナサリオは、まだ34才です。そして、代表に限らずトセパン組合の重要なポストに30代、20代の若い青年たちがどんどん抜擢されています。組合を創ってきた世代は、若者たちの取り組みを暖かく見守っていて、必用なときには助言する、といった感じです。大事な伝統を守りながら、一方で新しいことも積極的に取り入れています。そのため、他の組織では若者の都会への流出が多いのに、トセパンには多くの若者が残り、活躍しています。彼らは、子どもたちにとって、憧れの存在となっています。
彼らは、理論だけでなく実践することを重視し、外部から学んだことでも素晴らしいと思うことは、「自分たちで実際にやってみる」ことを大事にしています。はじめは上手にできなくても、実践する中で学びながら知識や技術を向上させています。つまり、「下手でもいいからやってみる。そして、やりながら学んでいく」ということです。地元にたくさんある竹の活用については、インタグや日本を訪問したときに学んだことが生かされ、今では、トセパンを訪れた日本人が感動するほどの住宅や家具がつくられています。かつて、竹の家に住む人は貧しいと思われていたのが、日本などの技術を取り入れた竹の家の素晴らしさによって、地域の人々の意識が変わってきたといいます。
?最近、幼稚園ができたそうですね。
これは、2年前に保育アドヴァイザーの深津高子さん(国際モンテッソーリ協会理事)をトセパンに案内して、若い幹部メンバー相手に講演してもらったことがキッカケでした。幼い子どもを持つトセパンの若きリーダーたちが身を乗り出して講演を聞いている様子を見て、「深津さんをトセパンに案内してよかったなぁ」と思った私でさえ、まさか、講演の翌年に幼稚園ができるとは思ってもいませんでした。
この幼稚園では、お母さんが交代で保育の手伝いに入り、お父さんが交代で給食をつくっています。両親が教育に参加している理由はいくつかあります。一般では、教育にお金がかかりますが、ここでは、トセパン組合の活動に積極的に参加する人は、無料で子どもを預けることができます。それと、「教育の場を皆でつくる」という考え方がベースにあります。
初年度は、園児を集めるのに苦労したそうですが、2年目には応募者が殺到したそうです。その理由は、子どもたちが進んで幼稚園に行くようになり、家に戻ってから、その日に幼稚園であったことをうれしそうに話してくれることが地域に広まったからだそうです。
現在54才で、組合設立3年目からトセパンの運営に関わり、日本にも来日して、現在、トセパントミンの頭取を務めるアルバロ・アギラルさんは、「トセパンには、現在、第三世代が育ってきています。私たちの取り組みは、分かち合いと助け合いの精神を大事にしながら、世代を超えてつながっていくことが重要です」と語っていますが、頭取の彼も幼稚園でときどき給食をつくっています。
今年トセパンは、創立30周年になります。そして、ウィンドファームが20周年ということで、「10月にメキシコで一緒にお祝いをしよう!」ということになりました。その報告は次号でさせていただきます。
ここまで、ウィンドファームにおける20年のフェアトレードを振り返ってきましたが、ジャカランダ農場、インタグコーヒー生産者協会、トセパン組合と3つの取り組みを見てみると、ジャカランダ農場とは、ブラジルに有機農業を広め、インタグとは、森林農法によって森を守り、トセパンとは、先住民文化を守っていく、といった活動を生産者と共にやってきました。そして、一緒に活動する中で、私たちの価値観や暮らし方を見つめなおし、見直していくことが多々ありました。これからも彼らと共に、そして、自然と共に、このフェアトレードを継続していきたいと思っています。