今朝(9月28日)の西日本新聞トップニュース
6月の玄海原発説明番組
投稿115件 集計外し
エネ庁 うち7割 再開反対
九州電力の「やらせメール」問題の舞台となった佐賀県民向けの原発の説明番組をめぐり、主催者の経済産業省資源エネルギー庁が、視聴者から募った運転再開に関するメール・ファックスの意見投稿数を、100件余り過少に公表していたことが分かった。集計上の都合と同庁は説明するが、九電の「やらせメール」分を除くと、再開反対が大きく上回っていた。識者からは「再開賛成が多くなるよう意図的にやったと疑われる行為だ」との批判が出ている。
【35面に関連記事】
問題の説明番組は、6月26日にインターネットなどを通じて生中継された「しっかり聞きたい、玄海原発」。
同庁は放送3日前に概要を公表。番組前日の同25日からメールとファックスで番組内で紹介する意見、質問を受け付けると告知した。実際には24日の午前中から投稿は届き始めた。番組終了後、投稿数は589件(再開賛成286件、反対163件、その他140件)と発表。その後、九電の調査で賛成のうち少なくとも141件が「やらせ」だったことが判明した。やらせ分を除くと、賛成は145件となり、反対がやや上回っていた。
ところが、西日本新聞が情報公開請求して入手した投稿メール、ファックスのコピーを集計したところ、総数が704件あった。番組を所管する同庁原子力発電立地対策・広報室は「番組途中の午前11時11分ごろに締め切って集計した」と説明。番組では、同20分ごろから「受け付け終了」の告知が画面に表示されたが、午前11時11分以降、結果的に寄せられた115件については、集計に含まれていなかった。
未集計分を本紙が集計したところ、内訳は賛成20件、反対76件、その他19件。九電のやらせ分を除くと実際の賛成投稿は165件、反対は239件となり、賛否の差は発表分より大きく広がる。
同庁はやらせ問題が表面化しても数字を修正せず、実態とは異なる投稿数と賛否が「独り歩き」することになった。
同広報室は「早めに投稿数を集計しようとしただけだ。意図的に反対数を減らそうとしたわけではない」としているが、誤解を招きかねない不透明な対応といえる。
原発政策に詳しい九州大の吉岡斉副学長(科学史)は「国の対応は不誠実だ。九電側のやらせもあり、住民の意思がまったく無視された説明会だったことがあらためて明らかになった」と話している。
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【35面の関連記事】から抜粋
「やらせ」告発も放置
原発説明番組の投稿過少公表
エネ庁「問題と思わず」
識者「意見募集 形だけ」
玄海原発再開に関する政府主催の「説明番組」に寄せられた意見や質問の中には、後に発覚する九州電力の「やらせメール」を“告発”する内容も含まれていたが、放置されていた。投稿数の過少公表を含め、ずさんな原子力行政の一端が浮き彫りになった格好。幅広い意見を集めると銘打った番組自体、原発運転再開に向けた「アリバイづくり」と疑われかねない。【1面参照】
《下記について、必ず、利害関係のない第三者による徹底した調査を行うよう要請します》―。6月26日午前に生中継された「しっかり聞きたい、玄海原発」。放送開始直後、こんな書き出しのメールが寄せられた。
《九電の関係者からこぼれてきた愚痴》として、九電社員が、自宅から中継にアクセスし、佐賀県民の共感を得るように運転再開を容認するメールを送るよう命じられている―という内容。同様の趣旨のメールはほかにも2件届いていた。
しかし、政府側が九電側に確認することはなかった。「目を通したが、当時は問題とは思わなかった」と経済産業省資源エネルギー庁原子力発電立地対策・広報室。7月の国会質疑で表面化するまで放置された。
畑山敏夫佐賀大教授(政治学)は「やらせを指摘する投稿があったのに、生かせなかったのは問題。どんな疑問点が多かったのか、内容の分析もしておらず、投稿者の期待に応えているとはいえない」と批判する。
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メールやファックスを時系列にみると、番組開始前は賛成が多い。九電の「やらせメール」は141件あったとされるが、九電佐賀支店(当時)が取引先に渡したという6種類の「例文」を忠実になぞった内容も目立つ。
番組終盤になると、出演している経産省担当者の説明への不満や再開反対を訴える内容が増え、未集計分115件のうち7割近くが反対。だが、エネ庁の公表分が修正されることはなかった。
「当時、こんなに賛成派が多いのかと違和感があった。県民の代表として真剣に安全性を問いただしたのに、八百長試合の土俵に上がらされたようだ」。説明番組に出演した映画評論家の西村雄一郎さん(59)は憤りを隠さない。
川上和久明治学院大副学長(政治心理学)は、「注目のテーマなのだから、集計結果は正確に修正すべきだった。意見を吸い上げると言いながら、番組をやっただけで『責任を果たした』というのは、アリバイづくりにすぎない」と指摘する。