NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」ネステレンコ教授パート書き起こし
(4月 1st 2011 FAMASAKI.COM)から抜粋
スイスのTSIが1998年に制作し、過去にNHK BS1で放送された「チェルノブイリ原発事故その10年後」を見ていたら、今般の原発問題で色いろと話題になっている食品汚染について、驚くべきデータが語られていたので、核物理学者ワシーリー・ネステレンコ教授のパートを書き起こしました。
(原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ@ベラルーシ)
原発を保有している国々は、チェルノブイリの事故から何の教訓も得なかったように思えます。ベラルーシ共和国の人口はおよそ1000万。その四分の一はチェルノブイリの周辺地域に住んでいます。しかも子どもが50万人もいるんです。事故からもう10年以上経つのに、そういう人々の安全はいまだに確保されていません。そんなテクノロジーが存在していいものでしょうか。
あの事故の後、私は西側諸国の原発を見学しました。しかし彼らは、「あなたの国の原発と違って、我が国の施設は極めて安全です」と言うばかりでした。そして万が一のときの安全対策も、半径20、30キロの距離でしか考えられていませんでした。200キロ以上離れていてもまだ危険だというのに。
(ナレーション)
ネステレンコ教授はチェルノブイリ事故の直後から被害の拡大を少しでも抑えようと努力してきました。そして1990年から93年にかけてベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国にまたがる専門家独立委員会を組織しました。独立委員会は独自に調査を進め人々の受けた被害が国際原子力機関の公式発表より大きなものであることを訴えています。
(ネステレンコ)
チェルノブイリに隣接した地域から取れる作物は今後数十年間汚染されたままでしょう。ベラルーシには甲状腺ガンに侵された子どもが驚くほどたくさんいます。事故から10年以上もの間、放射線に汚染された食べ物を摂り続けているせいで、住民の免疫力は著しく低下しています。さまざまな感染症に対し、とても弱い状態になっているんです。私はそれを核によるエイズと呼んでいます。
(ナレーション)
ネステレンコ教授は、最も汚染のひどい地域にいくつもの食料放射線管理センターを設置。地元の医師や教師たちに専門知識を伝え、特に子どもたちの身を汚染から守るよう働きかけてきました。しかしそのような施設の多くは財政的な事情から閉鎖に追い込まれました。わずかに存続しているものもヨーロッパのNGOから受けている資金援助が頼りです。アイルランドから寄贈された救急車に乗り、放射線の量を測定する機器をたずさえて、ネステレンコは汚染地域を巡回しています。人体の汚染状況を調査し、改善するためです。
(ネステレンコ)
残念なことに多くの子どもたちの身体が今も放射能にむしばまれています。例えば事故現場から200キロ以上離れた村でも、子どもたちのうち23パーセントが白内障にかかったり、失明したりしています。その村では84パーセント以上の子どもたちに不整脈が見られました。まるで心筋梗塞の予備軍です。というより、すでに多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況です。
およそ80パーセントの子どもが、胃炎や潰瘍を患っています。特にひどいのは12歳から15歳の子どもたちです。胃の粘膜が萎縮し、まるで70過ぎの老人のようになっています。つまり放射線の影響を受けた子どもたちは、命の炎を急速に燃やし尽くし、将来病気になることが確定しているんです。
私自身、同じような状況にあります。体内でいくつかの酵素を作る能力が失われてしまったので、食べられるものがごく僅かしかありません。もう慣れてしまいましたけどねえ。科学者の放射線被曝許容量は、一般市民の十倍とされています。いろいろな自衛手段を知っているためです。普通の人より健康で、放射線に強いからじゃありません。
(画面が切り替わり診療所のような場所)
ネ「魚は調べたんですか?」
父「他の人に食べてもいいと言われましたけど…」
ネ「子どもは1キロあたり37ベクレル以上の放射能を含んだものを食べてはいけません。これは70ベクレルもありますよ。あなたは釣りを?」
父「はい。趣味で」
ネ「なるほど、それで合点がいきました。とにかく子どもに与えてはダメです」
父「子どもたちはそんなにたくさん食べてませんよ。ただ私が食べていると、ねだるのでちょっと味見させているだけです」
(ネステレンコ)
私たちはペクチンをベースにした新しい薬(※ビタペクト2(Vitapect-2)のことか?)を見つけました。ウクライナで製造されているものです。水に溶ける錠剤で、大人でも子どもでも、これを一ヶ月間服用すれば、30%から40%の放射性元素を体外に排出できると言われています。
ネ「以前の数値はどれくらいだった? 1キロ当たり471ベクレルもあったんだね。マリーナ、錠剤はちゃんと飲んでる?」
娘「はい」
ネ「どのぐらい?」
娘「あと3錠しか残ってません」
ネ「ちゃんと飲んでるようだね。私のポケットの中に少しあるから、それを持っていきなさい。ずっと飲み続けるんだよ。それにしてもなぜこんなに数値が高いんだろう。最近、森に生えているキノコを食べたりしなかった?」
娘「食べてません」
ネ「じゃあ、干しキノコのスープを食べたことは?」
娘「もう干しキノコはありません」
ネ「他に何か野生のものを食べたことは? 例えば野ウサギとか」
娘「食べてません」
助手「前にあった干しキノコを全部食べたんでは?」
ネ「前は干しキノコが?」
娘「ありました」
ネ「沢山あったんだね。それをいつ食べた?」
娘「四月ごろです」
ネ「四月に。そのせいか。マリーナ、君は今15歳、それとも16かな?」
娘「16です」
ネ「いいかい、マリーナ。君の歳だと、四月に食べたキノコの放射能を半分排出するのに八月の末までかかるんだよ。半分排出するだけで、三ヶ月以上かかるんだ。安全なレベルに達するには、この先ずっと汚染されてないものだけ食べ続けても一年はかかる。このまま放射性物質を体内に蓄積していると、健康に取り返しのつかない悪影響に及ぼすことになるよ」
助「現在のマリーナの数値ですが、セシウムが301ベクレル。ですから170ポイントも下がっています」
ネ「それは素晴らしい。あと三ヶ月下がってくれればいいんだが。さあ、今日はこれで終わりだ。健康には十分、気をつけてね」
(マリーナが去った後にネステレンコの呟き)
あの子は、家族に何か問題があるようだね。気をつけた方がいい。
(ネステレンコ)
子どもたちに錠剤を出し始めてから、二十日が過ぎました。一日に二回ずつ飲んでもらっています。多くの子どもが放射性物質を30%以上排出しました。一人だけですが完全に輩出してしまった子さえいます。子どもたちは最低でも年に一回は検査を受けるべきです。そして汚染地域に住んでいる子どもたちには年に三、四回この薬を与える必要があります。その場合の費用は、一人年間で28ドルになります。
(ナレーション)
一人の子どもを救うのに必要な費用は、一年にわずか28ドル。しかしそれを必要とする子は、ベラルーシだけでも50万人います。結果的には大きな金額となってしまうため、ネステレンコの計画が実現する目処はまだ立っていません。
・
ワシリー・ネステレンコ
(2012年4月28日 Wikipedia)から抜粋
※この項目「ワシリー・ネステレンコ」は途中まで翻訳されたものです。(原文:be-x-old:Васіль Несьцярэнка 11:02, 14 лістапада 2011)
ワシリー・ボリソヴィチ・ネステレンコ(1934年12月2日 – 2008年8月25日)は、ベラルーシの物理学者。
ウクライナ東部ルハーンシク州出身。1958年、バウマンモスクワ州立工科大学卒業。1977年-1987年、ベラルーシ科学アカデミーの核エネルギー研究所で所長を務めた。1980年-1985年、ベラルーシ最高会議代議員。
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、政府当局に対抗して、住民の健康被害の防止に努めた。事故の実態調査をしようとすると、圧力がかけられ脅迫を受け、研究所の放射線モニタリング装置が没収されたこともあったという[1]。1990年、民間のベラルーシ放射線安全研究所(ベルラド研究所、fr:Belrad)を設立、終生所長として放射能被害防止のための活動を続けた[2]。
2007年、ロシアの生物学者アレクセイ・ヤブロコフ、ベルラド研究所所員アレクセイ・ネステレンコ(現所長)とともに、英語文献や、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどスラブ系の諸言語の記録や文献をもとに報告書『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』をまとめ、同事故による死者数は1986年から2004年の間で少なくとも98万5000人に達するとの推計を発表した[3]。
脚注
1.スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ著、松本妙子訳『チェルノブイリの祈り―未来の物語』岩波書店、1998年12月
2.Mort d’un dissident (「反体制家の死」), Marc MOLITOR、2008年8月27日–ベルギーの訃報記事(フランス語)
3.チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト このプロジェクトについて
・
アップルペクチンによるチェルノブイリの子どもの体内のセシウム137の除去効果
(スイス・メディカル・ウィークリー2004 ;134 :24-27 www.smw.ch)
V.B.ネステレンコ、A.V. ネステレンコ、V.I.バベンコ、T.V. ヤーコヴィック、I.V. バベンコ
V.B.Nesterenko, A.V.Nesterenko, V.I.Babenko, T.V.Yerkovich, I.V.Babenko
——————————–
要約
通常の放射線防護策の補完として、特にウクライナを中心に、子供の体内にセシウム137が吸収されるのを減らすために、アップルペクチン剤が与えられている。そこで以下の研究課題が持ち上がった。ぺクチンの経口摂取は、子どもが放射能に汚染されていない食物を摂取している場合においても有効であるか。あるいは、この多糖類(訳注:ペクチン)は、腸内でセシウム137と結合することによってのみ、腸壁からの体内吸収を妨げる働きをするのだろうか?
その場合、放射能に汚染されていない食物を摂取する子供には、ペクチンは何の効果もないのであろうか。
この研究は、被験者を無作為に抽出し、プラシーボを使用した二重盲検法を採った。リンゴから抽出された、15~16%のペクチンを含む乾燥粉末と、それに類似したプラシーボの効果を比較した。
被験者64人の子どもたちは、いずれもGomel州の汚染地区内の同じグループ出身である。セシウム137の体内蓄積量の平均値は、およそ体重1kgあたり30Bqであった。この治験は、同時期の1ヶ月間、シルバースプリングの療養所にて実施した。この放射能汚染を免れた環境において、被験者の子どもたちには汚染されていない食べ物のみを与えた。
セシウム137の平均減少値は、ペクチン粉末を経口摂取した子どもたちにおいては62.6%であった。一方、汚染されていない食べ物とプラシーボのみを摂取した子どもたちの平均減少値は、13.9%であった。この結果は統計的に有意である(p<0.01)。 体内に蓄積されたセシウム137の減少効果は、医学的にも価値を持つ。というのも、プラシーボを与えた子どものグループでは、セシウム137の平均値は25.8±0.8Bq/kgであり、20Bq/kg以下までに下がった子どもは見られなかったからである(バンダジェフスキーは、体重1kgあたり20Bqを、病理学上、特定の体組織を破損する可能性のある値とみなしている)。
これに対して、アップルペクチンを摂取したグループでは、体内のセシウム137の最高値が15.4Bq/kgであり、平均値は11.3±0.6Bq/kgであった。
始めに
現ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年4月26日)の影響で、隣接するベラルーシは国土の23%が放射能汚染され、1平方キロメートルあたり1キュリー(>37000Bq/m2)を超えるセシウム137が検出された。26万4千ヘクタールもの土地で、農産物の生産が停止された。人口約 200万人、内50万人の子どもを含む住民が、セシウム137とストロンチウム90によって汚染された地域で暮らしている。[1]
ベルラド放射能安全研究所の移動測定チームは、子どもの体内に蓄積されたセシウム137を計測した。これまでに16万人を調査したところ、この地域に住む70~90%の子どもから、体この治験は、フランスの非営利団体「ベラルーシ・チェルノブイリの子供」の出資を受けて実施された。
重1kgあたり15~20Bqを超える値が検出された。多くの村でセシウム137の値が200~400Bq/kgに達しており、中でもNarovlya地区は最も高く、6700~7300Bq/kgが検出された。ゴメル国立医療研究所(Medical State Institute of Gomel)では、ユーリ・バンダジェフスキー(Yuri Bandazhevsky)教授の監修の下、9年間に渡って研究が行われ、セシウム137が様々な体内組織内に慢性的に蓄積することで、徐々に健康に悪影響を及ぼしていくことが明らかにされた。[2-3]
ベルラド研究所は、農村の住民のために情報センターを開設し、さらに食物や牛乳、家畜飼料などのセシウム137の値を測るためのスペクトロメーターを設置した。こうして32万のサンプルの測定が無料で実施された。このような教育・情報提供の努力に加え、幼稚園以上の学童には、放射能に汚染されていない食物が、1日2度、政府から無料で配給されたにもかかわらず、子どもの体内からのセシウム137の減少としては満足できる値が得られなかった。
そこで、我々はペクチンの研究に取り掛かった。ペクチンとは、果物類に多く含まれ、ヨーロッパでは広く菓子やジャムに使われている多糖類である。精製されたペクチンはまた、経口吸着剤として、鉛や水銀などの重金属中毒症の解毒のために処方されている。この医薬品は元々は、Sanofi社(フランス)が鉛中毒の治療のために開発したものである。
ウクライナでは、10 年来、放射能汚染地域に住む子供たちの体内のセシウム汚染を減らすべく、りんごの絞りかすを乾燥させて粉末加工した数種類のペクチン調合剤を、経口摂取させてきた。Korsumは、アップルペクチンを放射能汚染された餌と共にネズミに与えると、セシウム137とストロンチウム90の吸収が大幅に減少することを明らかにしている[4]。
ベラルーシでは、体内の重金属の除去効果とあわせて、アップルペクチン調合剤の安全性と効能がGresらによって明らかにされている[5]。
研究目的
この研究の目的は、ペクチンが、放射能に汚染されていない食物を与えられた場合においてもなお、子どもたちに効能を持ち得るか否かを明らかにすることである。なぜなら、この吸着体(訳注:ペクチン)は、腸内の内腔にてセシウム137を含む重金属と結合することによって、複合体として排泄物とともに対外に排出する、という活動傾向があるためである。
研究方法
我々は、体内から排出されたセシウム137の割合を、Gomel州の同じ地区出身の子どもたちを2つのグループに分けて比較することにした。この治験は1ヶ月間シルバースプリング療養所にて行った。この放射能に汚染されていない環境において、子どもたち全員に汚染されていない食べ物のみ与えられた。
一方のグループには、汚染されていない食物に加え、小さじ1杯の粉末アップルペクチン(5グラム)を水に溶かしたものを1日に2回、3週間にわたって、食事の際に与えた。もう一方のグループには、同じ食事と、見た目には類似しているがペクチンを含まない粉末をプラシーボとして、同様の回数と期間与えた。
子どもたちの家族には、治験前後の放射線測定を含む3週間の治験について説明を行った。子どもたちには、理由にかかわらずいつでも途中棄権できることを説明し、口頭によるインフォームドコンセントを得た。子どもたちの母親全員からは、書面でのインフォームドコンセントを得て、プラシーボを与えられたグループの子どもたち全員に、療養所を出る際にペクチン粉末一箱を配布する旨を伝えた。
64 人の子どもたちが治験に参加することを了承した。無作為抽出によって、32人の子どもたちには15~16%のアップルペクチンを含む粉末を配布し、残りの32人にはプラシーボを配布した。調合剤配布の鍵*は倫理委員会のメンバーによって管理され、セシウム137の計測値を全て登録した後、また問題点や臨床的観察を個別の医療アンケートに記録した後に、開鍵されることに決められた。(*訳注:「鍵」は二重盲検法の用語で、被験者も治験実施側も、誰がペクチンもしくはプラシーボを受け取ったのかわからないようにしていることを指す。)
名前、生誕年性別体重1kgあたりのセシウム137ベクレル数、
ペクチン摂取前 体重1kgあたりのセシウム137ベクレル数、ペクチン摂取後
A.A.N., 1993 F 40.2 15.3
B.I.S., 1992 F 36.0 12.6
B.Ju.E., 1990 F 34.9 13.9
G.A.N., 1993 F 34.5 15.4
G.E.V., 1993 M 34.0 14.1
G.E.V., 1990 F 33.9 15.3
G.N.O., 1992 M 32.5 11.7
G.V.V., 1991 F 32.5 12.7
G.M.N., 1992 F 31.8 12.2
G.V.N., 1990 F 31.3 13.9
Z.K.V., 1991 F 31.1 14.7
I.Ya.A., 1990 M 30.9 12.6
K.A.S., 1994 M 30.1 11.9
K.A.S., 1991 M 29.5 5.0
K.I.L., 1990 M 29.2 12.4
K.V.A., 1990 M 29.0 5.0
K.V.E., 1993 M 28.9 13.2
L.A.S., 1993 F 28.2 5.0
M.YA.N., 1992 F 28.1 5.0
M.R.S., 1992 M 27.9 11.6
P.E.M., 1993 M 27.8 11.9
S.E.F., 1993 F 26.2 12.3
T.A.V., 1993 F 25.8 10.2
T.V.S., 1991 M 25.8 11.0
F.D.A., 1992 M 25.6 9.2
Ch.D.V., 1993 M 25.4 10.0
Sh.R.A., 1990 M 25.3 11.9
Yu.A.L., 1993 F 25.3 5.0
連絡先
アレクセイ・ネステレンコ博士(Dr. Alexey Nesterenko)
ベルラド放射能安全研究所 (Institute of Radiation Safety Belrad )
所在地: 2 Marusinsky pereulok 27, Minsk, 220053, Belarus