ウィンドファーム と スロービジネスカンパニーが運営する「ゆっくり村」の後藤君が仏教系の雑誌「月刊誌御堂さん」で紹介されました。
「最低限の現金収入でほどほど生活」
後藤彰
■現存の村にある架空の村
最初に断わっておくが、ここで紹介する「ゆっくり村」は特定の場所ではない。自然に負荷をかけないで、いかに幸せに楽しく暮らすかを探っていく考え方を、「ゆっくり村」と表現しているのだ。その発信地が、福岡県赤村にある。現存の村にある架空の村とは、何ともややこしい。
この村のキーワードは、「これで充分」と思うこと
こう語る後藤彰さんにお会いしたのは、田植え前の赤村。三年ほど前に誕生した「ゆっくり村」で、自給自足に近い生活を送る第一村人である。
待ち合わせした「赤村スローカフェ・クリキンディ」 での最初の印象は、失礼ながら、こんなきやしやな身体で…‥だ。農作業が似合う色黒で屈強な人物を想像していただけに、細身で、眼鏡をかけた温厚そうな顔立ちに驚く。聞けば、北海道生まれの東京育ち。それがなぜ、こんな(失礼)田舎に? と当然のように思つた。
大学院を出た後、農業系の出版社に入社。農業技術を提供する月刊誌の定期購読を勧める営業で、日本中の農山村をさんざん回ってきたという。
一カ月のほとんどを旅館に泊まり、そこで出される冷凍物や添加物の入った食事に、はなはだ嫌気がさしていた。
「田舎に住んだ方がいいかなあ」。農村での人間らしい暮らしを見続けるうちに、こういう思いにかられ始めた。
そんな折、タイミングよく声をかけられる。「ウインドファーム」というコーヒーの輸入会社を経営する中村隆市氏からだ。氏は、中南米のコーヒ一生産者に原価を保障した上で、コーヒー豆を仕入れ販売している。そのかたわら、「スロービジネス(いのちを大切にする仕事)」を提唱し、それを実践・運営する「スロービジネスカンパニー」を設立した。「ゆつくり村」は、この「ウインド」と「スロー」 の共同事業であり、後藤さんは、中村氏から、村の立ち上げを依頼されたという。
都会的な生活に飽き飽きしていた後藤さんは、その申し出を受け、「ウインド」の社員となり、スロービジネスを実践するようになる。カフェ「クリキンディ」も、その考えの一つとのこと。
そこにあるのが、ゆっくり村のもう一つのキーワード「半農半スロービジネス」。
「生きていくことはシンプルで、難しいことではないんです。最低限の現金を得る仕事をしながら、農的な営みをする生活をしてます」
「ウインド」と「スロー」の仕事で収入を得ながら、田畑に出て農的営みをするところに、ゆっくり村の暮らしが成立する。所得は半減した。しかし、使うお金も激減し、生活水準は下がっていないという。むしろ、充足感に満ち、幸せ度は二倍三倍では足りないらしい。
■想定外のほったらかし
ゆっくり村の発信地・福岡県赤村は、車を使えば博多から東へ九十分、小倉からだと南へ六十分入った所に位置する農山村だ。豊かな自然が広がり、取材中に聞こえてくるのは、こだまするニワトリの鳴き声だけ。入村するだけで、くだらないしがらみなんて、どうでもよくなってくる。
カフェから車で五分の空間で展開される後藤さんのスローな生活を、のぞかせていただいた。
自給自足に近いが、それに対するこだわりはない。
「ほどほどでいいと思ってるんです、何事も。百パーセント自給しなければと思うと、大変じゃないですか」
実に、スローかつシンプル。一人で一年間に食べる米は収穫できるし、ほぼ、ほったらかしの畑でも野菜は育つ。それで足りなければ……買えばいいだけのことらしい。
家の前に広がる家庭菜園ほどの畑と、二十年くらい休んでいた田を復活させて農的な営みをする。田畑とも自然農。つまり、最低限のことしか手を加えず、作物自身の力で育たせる。「山の木は肥料をやらなくても育つじゃないか」がこの農法の発端。まわりの農家から、「考えられないくらい、ほつたらかし」と言われても、「実験してるだけ」と説明している。
田んぼには、七割のうるち米と三割の古代米が植えられる。ほとんど赤米の古代米は赤村に赤米が面白いから作っているそうだ。
田植え前の準備と水の管理は一人でするが、田植えと稲刈りは、「スロービジネス」の仲間に手伝ってもらうという。日本全国から、赤村にやってくるのだというから驚きだ。
みんなで刈り取った稲は、一カ月かけて天日干しされる。雨が降っても、ほったらかし。「また乾くんで」と、何とものんびりしている。
農機具は基本的には使わない。というか、持っていない。一昨年は足踏み脱穀機で三日かかった脱穀を、去年は知り合いの農家が三十分でしてくれたと笑い飛ばす。
畑もスローだ。収穫時期を操作されず、手をほとんど加えていない野菜は、四季がはっきりしている。取材当日も、土の中から「のびる」を抜いて、湯がいて酢味噌が美味しいと言い、斜面で 「ふき」を見つけては、「天ぶらにする」と、うれしそうに話す。
■それはそれでいいのだ
生活面でも驚かされる。五右衛門風呂を沸かす薪は、近所の製材所からのもらい物。雨水受けのタンクも頂き物。軽トラだって賜り物。欲しいものがあると、まず拾えないか、もらえないかから考え始める。「探してたら、結構あるもの」らしい。
勝手口から家の中に入らせていただいた。テレビも冷蔵庫もなく、あるのは仕事用のパソコンとステレオだけ。この家には冬の間に引っ越してきたため、冷蔵庫はいらないと判断したらしい。冬は寒いから、確かに不要だ。しかし、赤村にも夏は訪れる。あの暑さの中でも、「余計な物まで買い込んでしまいそうだから」と、冷蔵庫を家に置くのをやめた。食材は畑の中だから、それでもいいのだろう。
台所で、去年から仕込み始めた味噌を拝見した。二年目の今年は、麹から自分で育てているという。かすかに味噌の甘いにおいがしたが、本人いわく、「納豆のにおいがしませんか」。ここでも笑顔だ。なぜ笑っていられるのだろうとふと思ったが、それはそれでいいのだ。だって、それがスローだから。
後藤さんは、「農業」という言葉を使わない。農を産業ではなく、「営み」としてとらえているからだ。自然の中にいると、自分が生きていくんだという感覚が研ぎすまされていくという。だから、ここにいるのだと言う。「将来への不安は?」と聞いてみた。
「こんな好き勝手、楽しく生きていて、バチが当たらないかが心配」
と、最後にもう一度、笑い飛ばした。
欲がさらなる欲を生み、怒りとねたみを繰り返す私に、「少ない欲で足るを知る」 ことを教えてくれた今回の取材。ゆっくり村から、「これで充分」が発信されている。