原発のない世界を願う 『100人の母たち』からのメッセージ

脱原発を願う『100人の母たち』から抜粋

あの日、私は福島県郡山市の実家で震度6の地震を経験した。 里帰り出産後・・・ドンッと全てが壊れてしまうのではないかという強い、長い揺れ。生後3ヶ月のわが子を必死で胸に抱きしめた。どうかこの子を守ってくださいと祈った・・・家族や友人の安否を確認し続けた。ほどなく、原発の電源が喪失したというニュースが入った。

家の近くには、大熊町の住人たちが避難してきた。・・・息をのむ。なんて、おそろしいことが起きてしまったのだろう・・・地響きのような揺れがあるたびに、はっとした。原発はどうなった!?
この子を守れるだろうか、守らなければ。

テレビではただちには影響はありませんと伝えていた。
外は、市の発表で、3.2マイクロシーベルト/毎時らしい。

「逃げよう、それしかない」
郡山の実家を出発した。もしかしたら最後の福島、故郷になるかもしれない。両親には次にいつ会えるのだろうか。こんな形で別れることになるなんて、親にも心の中で謝った。

もう帰れないかもしれないと思い、故郷を後にした。
福島を出たあの日、空がとってもキレイで青く美しかった。
福島の空って本当にキレイなんだよ。私にとって自慢だった。
今も変わらずキレイなんだろう。放射能は目に見えない。

あれから早1年が過ぎた。

無力感、失望、絶望、悲しみ・・・避難する、しないでの葛藤、放射能・原発に対する考えの違い、東北に残してきてしまった。

私はどこへ向ったらいいのだろう。
どうしてたくさんの大切な人たち、故郷が、放射能に被ばくを強いられなければならないのか。

目の前の食べ物は安全なのか。
そして・・・子どもの成長、尊敬できる仲間、当たり前だと思っていたけど、当たり前じゃなかった幸せ、家族との別れ、家族一緒にいられる喜び・・・。

いろんなことを経験して、子どものまっすぐな目を見て、想う。
「ごめんなさい」

ごめんなさいだけじゃなくて「大人として親として責任とれてる?」と問いかけ続ける。

この子を守れるのか、大人として、一人の人として、
何ができるのか、問い続ける。

https://www.facebook.com/100mothers?fref=ts

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