今日は、ふだん、あまり触れることがない私の会社(ウィンドファーム)について書きたいと思います。
「有機農業」 「チェルノブイリ」 「フェアトレード」 そして「福島原発事故」
今から39年前の1974年、作家の有吉佐和子さんが農薬や食品添加物、合成洗剤など化学物質の問題をテーマにした『複合汚染』という小説を朝日新聞に連載しはじめました。それを読んだ当時19歳の私は、農薬や化学肥料に頼らない農業の重要性を知り、有機農業を学び始めました。それから6年後の1980年、山村に移住した私は、農薬と化学肥料を使わずに米と野菜をつくり、鶏を飼いながら有機農業を広める活動に取り組んでいました。
ところが、1986年4月、チェルノブイリ原発事故が起こり、8000km離れた日本にも放射能(放射性物質)が風に乗って飛んできて、有機農法の畑や田んぼまで汚染されてしまったのです。そして、野菜や米からも放射能が検出されました。
特に驚いたのは、赤ん坊を抱えたお母さんの母乳からも放射能が検出されたことです。放射線は、細胞分裂が活発なほど大きな影響を受けます。大人より子ども、子どもより幼児、幼児よりも乳児というふうに、年齢が低いほど被害を受けやすい中で、母乳から放射能が検出されたということは大変な問題でした。
さらに、もう一つ大きな問題が起こりました。食料輸入大国の日本に原発事故で汚染された食品がたくさん入ってくるようになったのです。 日本政府は、放射能汚染食品の輸入基準値を1kgあたり370ベクレルと決め、それ以上に汚染された食品は、輸入しないことにしました。
チェルノブイリ原発事故当時、私が務めていた生協では放射能汚染食品の独自基準を設けました。それは、「当時の政府が決めた基準の37分の1」で、「今の日本の基準の10分の1」である10ベクレル/kgでした。この数値は、子どもを持つお母さんたちが相談して決めた数値です。放射性物質は、身体に近いほど危険性が高くなり、体内に入ってしまえば、身体に接触してずっと内部から細胞を傷つけていきます。そうしたことを学んだ結果が10ベクレルだったのです。
チェルノブイリ事故のあと、たくさんの放射能汚染食品が行き場を失いました。驚いたことに、その汚染食品の一部は「援助物資」として「発展途上国」にまわされました。(この時と同じようなことを今、日本が行っています。原発からの汚染水の流出によって魚の放射能汚染数値が高くなっていますが、外務省は、東北の魚の缶詰を「途上国支援」として送っています。)
放射能汚染食品が「途上国(私はこの言葉が好きではないのですが)」にまわされたと知った私は、途上国の子どもたちが心配になりました。そして、「子どもたちのために何かできないか」と考え、それまで国内で有機農業を広めてきた経験を途上国で生かすことができないかと思うようになりました。
途上国に有機農業を広めたい。有機農業が広まることによって、農薬や化学肥料の問題が多くの人に知られ、食べ物の安全性や環境保護の重要性が広く伝わっていくことが、子どもたちの幸せにつながっていくに違いないと考えたのです。
そのための第一歩として、「無農薬栽培のコーヒーを探して、輸入しよう」と南米に出かけて行きました。
初めに訪問した国は、世界最大のコーヒー生産国であるブラジルでした。しかし、ブラジルで無農薬栽培の農園は見つかりませんでした。そこで、「無農薬でつくって下さい」とお願いしましたが、「農薬を使わないとコーヒーはできないよ」と笑われました。中には、「農薬なしにコーヒーができるはずないじゃないか!」と怒り出す人もいました。どこで聞いても同じ反応で、諦めかけたのですが、日本でも有機農業を始めたころは同じような状況だったことを思い出し、探し続けました。
その後、無農薬栽培の生産者は見つかったのですが、日本の有機農業運動で取り組んでいたような「心が通う産直(提携)」ができなかったため、さらに生産者を探し続けました。
そして、3回目のブラジル訪問でジャカランダ農場のカルロス・フランコさんと奇跡的に出会い、本格的な提携ができるようになりました。カルロスさんは、農場で働くスタッフの健康と消費者の健康、そして、環境(自然・生態系)を守るために1978年から無農薬コーヒーの栽培に取り組んでいたのです。
それから5、6年経って、カルロスさんの影響で、農薬も化学肥料も使わない有機栽培の生産者が増えていきました。しかし、大量にできた有機コーヒーをウィンドファームだけで買い支えることはできませんでした。そこで、ブラジル国内にも販路を広げるため、2000年にブラジルで初めてのオーガニックカフェ『テーハ・ベルジ』をエコシティで知られるクリチバという町に開店しました。
今、ブラジルにはオーガニックカフェがたくさんできています。
また、有機農業の重要性を広く伝えるために「国際有機コーヒー会議」を開催したり、増え続ける有機コーヒーの受け皿を増やすために「有機インスタントコーヒー」も商品化しました。そして、2004年には、カルロスさんのジャカランダ農場があるマッシャード市が世界で初めて「オーガニックコーヒー首都宣言」を行いました。
こうした有機農業を推進する動きを心あるメディアが取り上げてくれました。その中には、日系ブラジル人向けの新聞社もありました。また、日本でもNHKなどが取り上げてくれました。(カルロスさんとのフェアトレード物語は『考える絵本 しあわせ』という絵本にもなっています)
そうしたこともキッカケとなって、ブラジル全土で有機農家が増えていきました。コーヒーだけでなく野菜や果物なども含め、農業全体に有機栽培が増えていったのです。
ウィンドファームのフェアトレードはその後、エクアドルやメキシコにも広がりました。これらの国には素晴らしい自然があるのですが、その自然がどんどん破壊されています。その理由の一つが、先進国や多国籍企業による鉱山開発です。銅や金などを採掘するために森が伐採され、自然が破壊されています。そうした国々で、森と共存する「森林農法」を実践しているインタグやトセパンのコーヒー生産者は、森を守るための重要な存在となっています。
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◆チェルノブイリ支援コーヒー
有機コーヒーと紅茶の売上の一部は、1990年からチェルノブイリ原発事故被害者の医療支援活動に使われるようになりました。スタッフや私が「チェルノブイリ支援運動・九州」(現在の「チェルノブイリ医療支援ネットワーク」)の運営委員や代表、事務局を務めるようになり、十年ほどウィンドファーム内に事務局を置いていました。そして、薬や医療機器を届けるために、ベラルーシの病院や放射能汚染地を毎年のように訪問してきました。
ベラルーシ現地で出会ったお医者さんや研究者のほとんどが、様々な病気が増えていると教えてくれました。ゴメリ州のある子ども病院では、病気が増えている具体的なデータをもらいました。
原発事故の前年と事故から9年後を比べると、急性白血病が2.4倍、ぜんそく2.7倍、糖尿病2.9倍、血液の病気3.0倍、先天性障害5.7倍、ガンが11.7倍、そして、消化器系の病気が20.9倍にも増えていました。
また、子どもの甲状腺がん患者のうち6人に1人が肺に転移していて、私たちが、ベラルーシで出会ったナターシャさんは、2人の子どもをガンで亡くしました。息子さんは9歳で被ばくし、甲状腺がんが肺に転移して21歳で亡くなりました。娘さんも胃ガンが全身に転移して亡くなっています。
年齢が低いほど放射線の被害を受けやすく、親よりも子どもが先に亡くなっていくという現実を目の当りにしてきた私たちは、「原発を一刻も早く世界からなくしたい」という思いが強くなり、ウィンドファームで発行している「エコロジーの風」にも原発や核燃料再処理工場の問題を書き続けてきました。
しかし、2011年3月、福島で原発事故が起こってしまったのです。
◆福島原発事故に対する問い合わせが殺到
福島原発事故が起こる前から原発の問題について多くの発言をしてきた私たちに、原発事故が起こった直後からアドバイスを求める問い合わせが殺到しました。東北、関東に住む方々からの「○○に住んでいますが、○才の子どもがいます。住み続けていいのでしょうか?」「○人家族ですが、避難したいと思っています。相談に乗ってくれるところはないでしょうか?」「福島県の健康管理アドバイザーは、子どもたちをどんどん外で遊ばせていい、マスクもしないでいいと言っていますが、本当に大丈夫でしょうか?」「福島に住んでいますが、食べ物で気をつけないといけないものは何ですか?水道水は飲んでいいですか?牛乳は?」といった問い合わせが連日のように届きました。
今年になって多くなってきた質問は、「福島では心臓病で亡くなる人が増えていますし、子どもの甲状腺がんが原発事故前の100倍以上に増えています。福島県は、放射能のせいではないような発表をしていますが、本当でしょうか?」「家族で一緒に避難したいのですが、夫や親を説得できません。どうしたらいいでしょうか?」「福島県は、復興、復興とばかり言って、子どもを守ろうとする姿勢がありません。学校給食に地元産の米や野菜を使うことを推奨しています。これを止めさせるにはどうしたらいいでしょうか?」「子どもの食事で注意すべきことは何でしょうか?」といった声が多くなっています。
◆放射線の大きな影響は、被ばく後すぐに現れず、五感で感じられないために被害が拡大
こうした質問に対して私は、チェルノブイリで見聞きしてきた事実や学んだことを伝えています。放射線の影響は、被曝してすぐに現れることは少なく、目に見えず、臭わず、人間の五感で感じることができないために、被害が拡大したこと。特に私たちが強調していることは、子どもは大人よりも放射線の影響(被害)が大きいということです。
◆10才は55才の200倍以上、0才は300倍以上放射線の影響を受ける
ジョン・W・ゴフマン博士の名著 『人間と放射線―医療用X線から原発まで―』によれば、0歳の乳児は、55歳と比べると300倍以上も大きな影響を受けます。また、10歳でも55歳の200倍以上の影響です。大人と子どもではこのぐらい放射線被ばくの影響が違うのです。今、子どもたちだけでも放射能から遠ざけないといけないという理由がこれなのです。
◆外部被ばくと内部被ばく
土壌の汚染や空間線量が高い所からは、なるべく早く避難することが必要です。
ベラルーシ科学アカデミーのミハイル・マリコ博士は、日本人に対して次のように発言しています。「チェルノブイリの防護基準、年間1ミリシーベルトは市民の声で実現されました。核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。チェルノブイリではソ連政府が決め、IAEAとWHOも賛同した緩い防護基準を市民が結束して事故5年後に、平常時の防護基準、年間1ミリシーベルトに見直させました。それでも遅れた分だけ悲劇が深刻になりました。フクシマでも、早急な防護基準の見直しが必要です」
そして、もう一つ重要なのが、内部被ばくを避けることです。チェルノブイリ原発事故の被害者を見てきた多くの医師が指摘しているのは、「一番大事なのは、子どもたちに、できるだけ放射能汚染がない食べ物を確保し、内部被ばくを避けることだ」と言っています。
年齢が低いほど影響が大きい中で、一般食品の基準100ベクレルは、子どもたちには高すぎます。そうした高い基準がある中で、福島県の学校給食に地元産の食材使用を県が奨励しているというのは信じがたいことです。また、極力汚染のないものにしなければならない乳児用食品の50ベクレルという設定は、驚くべき高さです。
今、日本の政府は、最優先で守るべき「子どもの命」より「目先の経済」を優先しているため、「チェルノブイリ法」の避難基準であれば、避難しなければならない地域に多くの子どもたちが住み続けて「外部被ばく」を増やし、飲食を通して「内部被ばく」を増加させています。
こうした状況のなかで、「私たちに何ができるか」ということを考えてきました。
今、ウィンドファームには、福島と関東から避難してきた方が働いていますが、小さな会社で働ける人は限られています。ウクライナやベラルーシに「チェルノブイリ法」ができたように、日本にも「被害者支援法」が必要です。
チェルノブイリ法では、避難の権利が与えられる「年間1ミリシーベルト以上の地域」に住む子どもたちや妊婦さんには避難するように呼びかけ、避難したくても「事情があって、今は避難できない」という方には、一時的にでも子どもたちが汚染地から離れる「保養」のお手伝いをしてきました。一部の幼稚園などには、福岡の野菜や米を送ってきました。しかし、寄付の形では、限られた人にしか送ることができないため、今年5月からテスト的に、放射能と農薬の心配がない「福岡の有機米」や免疫力を低下させないために重要な「自然塩」などを販売してきました。
また、ウェブショップの売上全体の1%を放射能から子どもたちを守るために使います。乳幼児を抱えて、「安心できる食べ物を確保できずに困っている」お母さんたちの支援、子どもたちの「保養」の支援、「子どもたちを放射能から守る全国ネット」が取り組み始めた「1ミリシーベルトキャンペーン」などに寄付する予定です。
こうした取り組みの報告は、年に1~2回、ウェブショップで行っていく予定です。
小さな会社にできることは限られていますが、このような「私(たち)にできること」をするという動きが広がって、「みんなで放射能から子どもたちを守ろう!」という運動が全国に広がることを期待しています。
ウィンドファーム代表
中村隆市