28年前の4月26日、チェルノブイリ原発事故が起こり、3年前に福島原発事故が起こった。チェルノブイリ原発事故では、東欧を中心にヨーロッパの多くの国を汚染した。
原発事故で大気中に放出された放射性物質は、風に乗ってヨーロッパ全域に広がった。そして、大量の放射性物質が空気中に漂っているときに雨が降った北欧や中欧などがまだら模様に強く汚染された。(スウェーデンでガンの増加が報告されている)、特にチェルノブイリ原発があるウクライナと隣国のベラルーシ、ロシアに年間1ミリシーベルト以上に汚染された地域が多い。
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◆映像報告「チェルノブイリ・28年目の子どもたち」
(2014年4月25日公開 ourplanet-tv)
地図上に「コロステニ」と書かれている所が映像報告「チェルノブイリ・28年目の子どもたち」のコロステン第12学校がある地区。年間0.5~1ミリシーベルトの「放射線管理地域」と1~5ミリシーベルトの「避難勧告地域」=「移住の権利がある区域」が混在している。
チェルノブイリ原発事故後、体育の授業を健康診断の結果に応じて4つのグループに分けるようになった。コロステン第12学校では、645人の生徒のうち健康な子どもが参加する基本グループは157人(24%)、配慮が必要な子どもが参加するグループは385人(60%)、慢性的な疾患を持つ特別グループの子は90人(14%)、障害などがあり、体育を免除されている子どもは13人(2%)。体育の時間に突然死する子どもが増えたため、2年前から保健省が心肺機能測定を導入。
医師「特別グループに入っている子どもの疾患は、胃潰瘍、甲状腺炎、重度の目の疾患とか、心疾患、脊椎側彎症、急性肝炎などです」
ウクライナでは外部被ばくだけでなく、内部被ばくも考慮して被ばく線量が計算されている。
今年3月で、福島第一原発事故から3年になる日。しかし現在も年間20ミリシーベルトを避難基準に設定したまま、住民の早期帰還策が進められている。また除染以外の被ばく防護策や健康調査は極めて限定的だ。
そんな中、OurPlanetTVではチェルノブイリ事故後28年経つウクライナへ足を運び、子どもたちの健康状態や学校生活などを取材した。汚染地域の子どもや住民の罹患率が今も上昇する中、医師、教師たちの懸命な努力が続けられている。日本はここから何を学べるか。子どもを取り巻く学校や教育関係者、医療従事者、保護者たちの取組みや思いを取材した。
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(参考記事…子どもたちの健康を守るために知っておきたいこと)
◆ジョン・W・ゴフマン著『人間と放射線―医療用X線から原発まで―』
京都大学原子炉実験所の今中哲二さんや小出裕章さんが翻訳したジョン・W・ゴフマン博士の名著 『人間と放射線―医療用X線から原発まで―』によれば、55歳以上と子どもを比べると(同じ放射線量を浴びたときに)10歳の児童は200倍以上、0歳の乳児は300倍以上もガン死率が高くなる。
例えば、児童が5~10ベクレル/kg汚染された給食を食べているというのは、55歳以上の大人が、その200倍の1000~2000ベクレル以上に汚染されたものを食べているのと同じである。
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◆ウクライナの避難地域(チェルノブイリ事故)と福島事故
福島原発事故の後、東北と関東で数百万人が年間被ばく線量1ミリシーベルト以上の地域に暮らしているが、チェルノブイリでは、1ミリシーベルト以上の地域に暮らす子どもたちの多くは様々な病気を抱えている。
(地図は「原発隣接地帯から:脱原発を考えるブログ」より拝借)
(地図は「原発隣接地帯から:脱原発を考えるブログ」より拝借)
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(参考)
◆最大の被害者は、福島原発の事故処理作業員と子どもたち
(2013/10/20 エコロジーの風)から抜粋
米国科学アカデミーによれば、安全な放射能の線量というものはない。過去数十年にわたる研究から、放射線はどんなに少ない線量でも、個々人の発がんリスクを高めることがはっきりと示されている。
日本で危機が続く中、人に発がんの危険が生じるのは最低100ミリシーベルト(mSv)被曝したときだという報道が様々なメディアでますます多くなされるようになっている。これまでの研究で確立された知見に照らしてみると、この主張は誤りであることがわかる。100 mSv の線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10 mSv では1000人に1人、そして1 mSV でも1万人に1人である。
<<< 子どもたちの被ばく問題 >>>
「チェルノブイリ法」では、年間被ばく線量が0.5ミリシーベルト(土壌汚染が37kベクレル/m2)以上の地域で、医療政策を含む防護対策が行われる。1ミリシーベルト以上であれば、避難の権利があり、5ミリシーベルト以上の地域は、移住の義務がある。
◆福島の帰還基準、避難者と賠償額の増加を恐れて「年5ミリ」とせず
原発事故で避難した住民が自宅に戻ることができる基準を「年20ミリシーベルト以下」から「年5ミリシーベルト以下」にする案を政府が検討したが、避難者が増えることを懸念して見送っていた。
「多くの医者と話をする中でも5ミリシーベルトの上と下で感触が違う」と5ミリ案を検討。チェルノブイリ事故では、5年後に5ミリの基準で住民を移住させた。年換算で、5.2ミリ超の地域は 放射線管理区域に指定され、原発労働者が同量の被曝で白血病の労災認定をされたこともある。ところが、5ミリ案は実行されなかった。「20ミリ案は甘く、1ミリ案は 県民が全面撤退になるため、5ミリ案を検討したが、避難者が増えるとの議論があり、固まらなかった」 「賠償額の増加も見送りの背景にある」(2013年5月25日 朝日新聞)から要約
(記事全文)
■東日本の放射線管理区域 どのように日本が汚れたのか?
(2012年12月22日 小出裕章氏講演録)から抜粋
私は京都大学原子炉実験所という所で、原子炉や放射能を相手に仕事をしています。私のように特殊な人間だけが、特殊な仕事をする時に限って入って良いというのが放射線管理区域です。私が放射線管理区域に入った途端に、私は水を飲むことが許されなくなります。食べ物ももちろん食べられません。そこで寝てもいけない。仕事が終わったらさっさと出て来いというのが放射線管理区域ですが、でも、簡単には出られないのです。
管理区域の出口に行くと、扉が閉まっていて開かない。その扉をあけるためには一つの手続きをしなければいけせん。扉の前に放射線汚染の検査装置が置いてあり「その検査装置でお前の身体が汚れていないかどうかを測れ」ということになっている。しかし、私は放射能を使って仕事をしたわけですから、私の衣服が放射能で汚れているかもしれない。私の手が放射能で汚れているかもしれない。
汚れたまま管理区域の外側に出てしまえば、普通のみなさんが生活をしているわけで、普通のみなさんを被曝させてしまう。それはやってはいけない事だから、ちゃんと測って、衣服、手、足などが汚れていないかどうかを確認しなければドアが開かないという、仕組みになっている。
では、その時にドアが開く基準はいくつかというと、1平方メートル当たり4万ベクレルです。
もし私の実験着が1平方メートルあたり4万ベクレル以上で汚れていれば、私はその実験着を管理区域の中で脱いで放射能で汚れたゴミとして捨ててこなければいけないのです。私の手が1平方メートル当たり4万ベクレルの放射能で汚れていれば、私は出られないのです。
管理区域の中に流しがあり、そこで手を洗って、手を綺麗にしろ。水で洗って落ちなければお湯で洗って落とせ。お湯で洗って落ちないなら、石鹸を付けて洗って落とせ。それでも洗って落ちなければ、もうしょうがないから手の皮膚が少しぐらい破れても良いから薬品で落とせという、1平方メートル当たり4万ベクレルを下回らない限りは、管理区域の中から外へ出られない。それが基準だったのです。
この青の所は、少なくても6万ベクレルを超えて汚れている。その周りのくすんだ緑のところだって、3万ベクレルから6万ベクレル汚れている。私の実験着が汚れている、私の手が汚れているという事とは違うのです。大地がみんな汚れている。メチャクチャな汚染だと私は思います。
福島県の東半分、
宮城県の南部と北部、
茨城県の北部と南部、
栃木県・群馬県の北半分、
千葉県の北部、埼玉県・東京都の一部、
あるいは新潟県の一部であるとか、岩手県の一部
そんなところまでが放射線の管理区域にしなければいけない、というほどの汚染を受けているのです。何度も言いますが、放射線管理区域というのは、私のような特殊な人間が特殊な仕事をする時に限って入って良いという場所なのです。 普通の人は入ってはいけないし、子どもなんていることは、到底許されないという場所がこんなに広がっているということです。
(全文)
この5ミリシーベルト以下のエリアでも26年後のチェルノブイリでは、75%以上の子どもたちが病気になっている。
『低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ26年後の健康被害』
(2012年9月にNHKで放送されたドキュメンタリー番組の書籍版 NHK出版)
ウクライナのコロステンの市内は、年0・5~1ミリシーベルトの放射線管理区域と年1~5ミリシーベルトの移住権利区域が半分ずつ占めている。日本でも同程度の汚染地域は広く分布しており、年0・5ミリシーベルト以上の汚染地域ならば1千万人以上が暮らしているだろう。チェルノブイリから26年後のコロステンの現状は、目をそらすことなく凝視すべきだろう。子供たちの75%以上が何らかの疾患を抱えているという「現実」はあまりにも重すぎる。