◆原発「国会事故調」パパのグローバル教育
震災の真実を語れない日本人でいいの?
(2014年5月8日 東洋経済)から抜粋
それは忘れもしない、震災から丸1年経った2012年3月11日朝のこと。首都圏郊外の自宅で目覚めた石橋哲(さとし)さんは、小学生の次男に聞かれた。
「1年経ちましたね」
「世の中はどう変わりましたか」
「あなたは何をしましたか」
「家族の仕事について調べる」という宿題のための問いかけだった、と石橋さん夫妻は記憶しているが、息子さん本人は「残念ながらよく覚えていません」。それでも、この質問に石橋さんは頭を殴られたようなショックを覚えた。
当時、石橋さんは、いわゆる「国会事故調」でプロジェクトマネジャーを務めていた。
2011年3月11日に起きた、東京電力福島第一原子力発電所の事故。事故はなぜ起きたのか。背景には何があり、再発防止には何が必要なのか。「国会事故調」はその原因究明の調査と提言を行うため、同年12月に、政府や事業者といった事故当事者から独立した調査機関として設置された。
初めて考えた、自分ごととしての「原発」
事故調は延べ1167人の関係者に、900時間に及ぶインタビューを行った。さらに、1万人を超える被災住民へのアンケート、そして東電や規制官庁に対し2000件を超える資料請求を行った。委員会は公開、同時通訳も行われ、今も動画で見ることができる。
事故調のウェブサイトからも閲覧できる報告書は、海外からの評価も極めて高く、委員長を務めた黒川清氏は、科学雑誌サイエンス発行団体AAASから「科学の自由と責任賞」を受賞。世界で知られる存在となっている。
石橋さんが次男から「あなたは何をしましたか」と問われたのは、活動期限を約半年と決められた国会事故調の折り返し期。怒濤の調査、分析活動が続き、終電帰りなら早いほう。必死に取り組んでいた石橋さんだったが、冒頭のように、小学生の息子さんからのシンプルな問いに答えられず、言葉に詰まった。
「この問題は自分ごとなんだ」。息子からの問いかけで、石橋さんはやっとそれに気づいたという。なぜなら、「小学生の息子にとって“大人”とは、“自分”以外の誰でもないから」だ。
「事故再発を防ぐ世の中を作るのは、自分を含む国民一人ひとり」「それぞれにとっての『自分ごと』にするには、この報告をわかりやすくする必要がある」。そう悟った石橋さんは、2012年秋、志を同じくする友人や大学生と一緒に、手弁当で「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」を作った。
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世界に向けて原発の真実が語れずに、グローバル人材を名乗れるか? 元「国会事故調」石橋哲さんの活動は、大人世代に重要な問いを投げかけている(石橋哲さんと妻の薫さん)
石橋 哲(いしばし・さとし)
1964年和歌山県生まれ。1987年東京大学法学部卒、日本長期信用銀行入行。シティバンクN.A.、産業再生機構を経て、クロトパートナーズを設立、主に事業会社における事業・組織再構築にかかる計画策定・意思決定工程の支援面で活動中。 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調) に調査統括補佐として参加、プロジェクトマネジメントなどを務めた。現在、吉本興業経営戦略アドバイザー、日本赤十字社 赤十字原子力災害活動ガイドライン作成研究委員会委員などを務める。
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若者たちも感じる、「考えない」ことへの危機感
「福島原発事故に対して、これまで『大人世代』が何をしてきたのか。問題をどうとらえ、どう反省するのか(あるいは反省しないのか)を、正しく伝えることは、『将来世代』に残せるひとつの“遺産”になる。日本が、将来世代に生活基盤を置く国として選ばれるためにも必要な条件」。石橋さんはわかりやすいプロジェクトの設立時に、そう語っている。
メンバーのひとりの学生は、参加の動機をこう語る。「国民一人ひとりが難しいトピックについて知識を持たない、考えない、議論しないという状況に危機感を抱いています」(同プロジェクトウェブサイトより)。政府やメディアなどの権威が発する情報を、そのまま信じたり、聞き流すことへの危機感を若い世代も抱いているのだ。
「事故は防げなかったの?」「原発をめぐる社会の仕組みの課題って何?」――。
「わかりやすいプロジェクト」は、私たち大人が今なお、きちんと説明できない、こうしたシンプルな問題について考えるきっかけを提供しようとしている。たとえば、上記などの問いに関する6つの「イラスト動画」を日本語と英語で公開している。親しみやすいタッチは世界で人気の学習サイト、カーン・アカデミーのようだ。
世界で通用する人になるために、必要な要素
今年1月、日本を訪れたハーバード・ビジネス・スクールの学生約30人は、帝国ホテルで黒川清氏(国会事故調委員長)の話を聞き、このイラスト動画に見入った。
このとき、ハーバードの学生たちから「日本の広告で、よくグローバル人材という言葉を見るがどういう意味か?」という質問が出たという。ちなみに石橋さんの息子さんたちは「グローバル教育」を、「世界に通用する教育を受けること」、石橋さん自身は「自分で物事を考え、それを意見に組み立て、的確に伝えることができるようになるための教育」ととらえている。
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国会事故調の報告書は、書籍『国会事故調 報告書』(徳間書店)にもなっている。 わかりやすいプロジェクト高校生チームのメンバーたちが分厚い報告書を自分たちで読み、考案を重ねて、この春出版社と一緒に新しい「帯」を作成した
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「耳障りのいい掛け声とは裏腹に、今後の世代にとって、この国に住み続けることの合理性は急速に失われつつある」。これもまた、石橋さんが「わかりやすいプロジェクト」を始めた理由だ。まさに、子どもにグローバル教育を受けさせたい、と願う親の危機感と重なる。
わが子を真のグローバル人材にしたい親御さんには、このイラスト動画を親子そろって見てみることをお勧めしたい。そこには小学生の息子から「1年経ちましたね」「何が変わりましたか」「あなたは何をしましたか」と問われ、絶句した、国家プロジェクトにかかわるパパとその仲間からの贈り物がある。そしてそれは、私たちの子どもたちが今後、海外で問われ続ける「問い」への入口でもある。
帰国子女の母が考える、子育てに重要なこと
普段、石橋さんは自分の子どもたちの教育について細かいことは言わないが、ひとつだけ、家庭内で仕事の影響が表れる行動がある。新聞やテレビを見ていて「これは、実は違うんだよ」とよく話すことだ。
たとえば、息子たちが小さい頃、テレビでポケモンを見ているときに「爆発する路上バトルでつかまらないのはなぜ?」などと話しかけていたという。「当時は子どもたちには意味がわからなかったかもれませんが」と石橋さんは振り返る。
こうした父の言動に、息子さん2人とも「影響を受けていると思う」と話す。「新聞に書かれていたり、ニュースでみたりするいろいろな事柄を鵜呑みにせず、違う側面がないのかを考えるようになっていると思います」(長男)。
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子どもたちに自己肯定感を育てるための家庭教育に力を注いできた、妻の薫さん
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息子さんたちの家庭教育は、主に母親の薫さんが担った。大学の教職課程で青年心理学を受講した際、「母と子の信頼関係をしっかり築くことが、自己肯定・人格形成へとつながる」と学び、一緒に遊んだり手作りを楽しんだり、愛情を注いできた。
薫さん自身は帰国子女で、中学と大学時代はほぼすべて英語で学んだ。その経験を生かし、息子たちが小学生の頃から英語を教えた。発音やヒアリング重視で「日常会話などを教えてもらった」(息子さんたち)。
一方で「勉強しなさい」とは言わない。言わないというより言う必要がなかった、というのが正確かもしれない。2人とも超有名私立校に通うが、塾で受験勉強を始めたのは小学5年から。それまでは通信教育を自宅でやっていた。
言われなくても勉強した理由は「やるのが当たり前だから」(長男)、「自分のためだから」(次男)という。ちなみに、子どもが勉強しなくて困っている親にどうアドバイスするか尋ねると、異口同音に「言っても無駄なので放っておいていいと思う」という答えが返ってきた。
父と母、それぞれの教育
石橋さんは、大変でシリアスな仕事を“あえて”選んできた。大学卒業後、最初に勤務した日本長期信用銀行では不良債権処理に携わり、シティバンクで培った経営者との信頼関係は今の仕事にもつながる。産業再生機構時代は大変な激務で、妻の薫さんは「(過労で)死んでしまうのでは」と心配したという。午前2時に帰宅して夕食を取り、4時間後の6時には出社する日々だったからだ。
その後は独立してコンサルティング会社を設立。組織の内部にどっぷり入り、経営改革のために汗をかくのが好きだ。今回の記事のテーマが、「グローバル教育論」と言うと、「ずっと国内で働いてきた私がですか」と戸惑う。初の海外旅行は新婚旅行で、英語が流暢な薫さんがすべてを手配。到着したバリで「日本人がいない!」と石橋さんが興奮したことは、夫婦の微笑ましい思い出になっている。
人の真価が現れる修羅場にこそ、多くの学びがある――。そんな一風変わった仕事観を持つ夫を、妻はゆったり構えて支える。「何も大変な仕事ばかり選ばなくても、と思わなくもないですが、本人がしたいことをやっているほうがいいですから」。ちなみに薫さんは6歳年下で長銀時代に社内結婚をした。「まさかこんなにドメスティックな人と結婚するなんて予想しませんでした。でも、すごく気楽に楽しく話ができました」と当時を振り返る。
都会育ちで海外経験豊富な妻。地方育ちできつい現場を好む夫。対照的だが子育てに関しては上手にバランスを取ってきた。当初「近所の公立中学校でいいのでは?」と考えていた石橋さん。薫さんは「東京は選択肢がたくさんあるよ」と私立受験も考えてみることを提案した。自身が帰国子女として高校からICUに通い「とても楽しかった」経験があったから、「環境を選ぶことは大切」と思っていた。中学受験をするかどうか、最終決定は本人の意思に任せ、結果は前述のとおりだ。
手作り好きで愛情あふれる母に育てられた優秀な兄弟は、多忙な父を、やっぱり応援しているようだ。あるとき、国会事故調の様子がテレビのニュースに映った。「参考人の頭部から生えた耳」を見た次男は「あ、これは、お父さんの耳だ!」と気づいたという。
そんな父とのかかわりを息子さんはやっぱり楽しんでいるのだろう。誕生日のプレゼントは何がいいか、と尋ねられた長男は、「一緒に石を掘りに行きたい」と答えた。これまでも家族で、秩父や鴨川に鉱物採集に、北海道にアンモナイトの化石採集に出掛けた。
長男と一緒に石を拾いに行ったときのこと。「石って外から見るとこんなふうに光っていないのです。小さなウサギのふんみたいなものを見つけて『あった!』と目当ての石がわかっちゃうから、すごいですね」。息子の得意分野について話す石橋さんの表情は、ごく普通のお父さんだ。
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◆子ども被災者支援法”骨抜きバイアス”の実態
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