◆(集団的自衛権 行方を問う)
ケビン・メア氏、ダグラス・ラミス氏に聞く
(2014年6月6日 朝日新聞)
他国を守るために参戦する集団的自衛権を使えるようになれば、日本はどう変わるのか。安倍晋三首相が説明するように国の安全を高める抑止力になるのか、それとも米国などの戦争に加わる危険が広がるのか。内外の論客や識者に改めて問題点や是非を尋ねた。
■抑止力高まり戦争防げる ケビン・メア氏(元米国務省日本部長)
日本はできるだけ早く、集団的自衛権を行使できるようにすべきだ。米政府は以前から、日本の安全と日米の安全保障体制を固めるために必要と考えていた。
従来の憲法解釈では、日本の護衛艦が攻撃されたら米国は守るが、米国の艦船が攻撃されても日本は対処できない。日本が、北朝鮮から米ハワイなどに向かう弾道ミサイルを迎撃せずに無視するなら、米国民は「本当に同盟国なのか」と思うのではないか。
中国は今、尖閣諸島で一方的な現状変更をしようとし、東シナ海や南シナ海で挑発的な行動をとっている。北朝鮮のミサイルや核の脅威もある。集団的自衛権を行使できるようになれば、自衛隊と米軍がより効果的に対処できる。日米がともに対応する覚悟と能力があることを示すべきだ。
憲法の解釈変更で行使を認めれば、日本が米国の戦争に巻き込まれるという懸念がある。しかしそれは誤解で、逆に抑止力が高まり、戦争を防げる。集団的自衛権は権利であって、事態を見て行使するかどうかを決めるのは日本政府だ。日本の安全保障への影響を考えて判断すればいい。
シリア情勢などでオバマ政権の対応が弱く、本当に米国に頼れるのかという疑問が日本にあるだろう。しかし、オバマ大統領が訪日時に述べたように、尖閣諸島は日米安保条約の対象だ。米国は日本を防衛する覚悟があり、今後も日本に最新鋭戦闘機やイージス艦を追加配備するだろう。
米軍の戦闘機やイージス艦、早期警戒機は統合されたネットワークで運用されることになり、日本が集団的自衛権を使えるようになれば、日米間でも運用の統合が進み、同盟はますます効果的に機能するようになる。
安倍政権がこの1年半、安全保障面で上げた成果はワシントンで高く評価されている。国家安全保障会議(日本版NSC)を発足させ、武器輸出の新原則も決めた。特定秘密保護法の成立で突っ込んだ情報交換ができるようになった。現実的に日本の防衛力を向上させようとしている安倍首相の指導力に対し、米政府内には強い期待感がある。(聞き手・渡辺丘)
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81年に米国務省入省。沖縄総領事、同省日本部長などを歴任し、11年に退職。現在はコンサルタント会社の上級顧問。59歳。
(中村補足:ケビン・メア氏の過去の発言)
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■米の戦争に参加するのか ダグラス・ラミス氏(政治学者)
日本が進める集団的自衛権の行使に向けた検討を、米国は自国の軍事力強化につながると捉え、歓迎している。なぜなら日本が「集団」的自衛権を使って、ともに戦うのは米国だからだ。行使が認められれば、米国の戦争に加わる可能性が極めて高くなる。
ベトナム戦争の終結に向け、当時のニクソン米大統領は米軍を撤退させて南ベトナムに防衛を押しつける政策を進めた。湾岸戦争に派兵しなかった日本を「血と汗を流さない」と批判した。最近の無人機導入もそうだが、米国はどうすれば自国民の犠牲を減らせるかを常に考えており、日本により積極的な軍事行動を求めてくるだろう。
日米安全保障条約がある以上、米国は戦争を含む外交政策について日本に要求を受け入れさせる絶対的な自信がある。この条約のもとでは、日本外交の最も重要な部分、どの国と友好関係をもち、仮想敵国とするかなど米側が主権の一部を握る仕組みになっている。米国が戦ったベトナムやイラクなどは、日本と敵対関係にはなかった。安保条約があるから日本はこれらの戦争をすべて支持し、イラクには自衛隊を送った。
今回の日本の動きを見て、中国はアジアの国々にこう強調するだろう。「第2次世界大戦を思い出せ」。日本を脅威に感じる国々が出始め、関係悪化を招く恐れがある。米国のブレーキ役になってほしいという期待も失われるだろう。
一連の議論で、語られない重要な言葉がある。憲法9条で認めないことにした「交戦権」だ。兵士が戦場で人を殺しても、殺人罪に問われないのが交戦権。このことを抜きにして集団的自衛権の行使は語れない。
解釈改憲で集団的自衛権を認め、戦争ができる国になるのか。それとも9条を踏まえて平和外交をめざすのか。自衛隊や米軍基地の存在は9条との関係で矛盾をはらんでいるが、交戦権を否定した9条があったからこそ、自衛隊は海外で1人の人間も殺さずにきた。
日本が再び大きな戦争に巻き込まれ、多くの人を殺し、殺される。そうなってから平和の大切さを再認識することになるなら、それは悲しいことだ。(聞き手・泗水康信)
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米サンフランシスコ出身の政治学者。海兵隊員として沖縄で勤務し、除隊後にベトナム戦争反対の活動に加わる。元津田塾大教授。沖縄在住、77歳。