福島原発事故から3年半が過ぎました。通常、子どもの甲状腺がんは「100 万人に1人か2人」と言われていましたが、福島県では原発事故当時18歳以下の子ども約37万人に「ガンないしガンの疑いが103名」も出ています。(通常のおよそ150~300倍)
<福島原発事故の後、3年間の子どもの甲状腺検査で分かったこと>
表を見るとよくわかりますが、甲状腺がんが増えただけでなく、がんになる可能性がある結節やのう胞が年ごとに急増しています。
5ミリ以上の結節が、0.5% → 0.7% → 0.9% と、この2年で1.8倍に急増し、のう胞も、36.2% → 44.7% → 55.9% と激増(3人に1人が2人に1人以上に)そして、2次検査(精密検査)が必要な子どもも1.8倍になっています。
この急激な増え方は、チェルノブイリ原発事故で最も健康被害が多いベラルーシのゴメリ地方に似ています。(ベラルーシの面積は日本の約55%でゴメリ州は福島県の約2.5倍の広さ) 甲状腺がんは、下の表の中で300倍に増えている「内分泌・代謝・免疫異常」の一つです。
福島県立医大で手術された54例のうち、45名は腫瘍の大きさが10ミリ以上かリンパ節や肺に転移しています。(2014年8月29日、日本癌治療学会にて福島県立医大の鈴木真一教授が発表)
福島で増えている病気は、甲状腺がんだけではありません。2013年の統計で、全国平均より福島の死亡率が1.4倍以上高い病気は、内分泌・栄養及び代謝疾患(1.40倍) 皮膚がん(1.42倍 ) 脳血管疾患(1.44倍) 糖尿病(1.46倍) 脳梗塞(1.60倍) そしてセシウムが蓄積しやすい心臓の病気は、急性心筋梗塞の死亡率が2.40倍、慢性リウマチ性心疾患の死亡率が全国平均の2.53倍で、どちらも全国1位になっています。
*2010年以前から全国1位。原発事故が起こった2011年から急増。2014年1~3月 福島の477人は、3か月間に急性心筋梗塞で亡くなった人の実数。全国の実数は、12,436人。福島県の人口は、全国の1.53%なので、12436×0.0153=190人 全国平均なら福島は190人ですが、その2.51倍の477人が亡くなっています。
原発事故以前から全国1位という数字を見て思い出すのは、原発周辺では事故を起こさなくても白血病やがんが多いというドイツ政府やフランスでの発表と福島には原発が10基もあったこと、そして、2011年の原発事故前から「小さな事故」が多発していたこと、さらに事故の隠ぺいが日常化し、臨界事故まで隠されていたことです。
同じ心臓病の「慢性リウマチ性心疾患」は、慢性ということもあり、急性心筋梗塞より1年遅れの2012年から死亡率が急増しています。
グラフにするとその急激な増加がよくわかります。
赤色が全国平均、紺色が福島県です。
甲状腺がんや心臓病だけではなく、結腸がん、腎臓病、消化器系の疾患など様々な病気が原発事故後に増えています。
(表は宝島から拝借)
こうした状況にありながら日本政府は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアが制定している被ばく線量を減らすための法律(「チェルノブイリ法」)をつくろうとしません。年間1ミリシーベルト以上は「避難の権利」があり、5ミリシーベルト以上は「移住の義務」があることを柱としている「チェルノブイリ法」は、移住のための費用や医療費などの手厚い補償があります。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供。引越し費用や移住によって失う財産の補償なども行われています。
ところが、安倍首相はそうした被ばく対策の前提となる健康影響を無視するだけでなく、東京五輪招致に当たり、福島原発事故による健康への影響は「今までも、現在も、将来も問題ないと約束する」と発言。
安倍首相に同調するかのように原子力規制委員会も「年20ミリシーベルト以下は健康影響なし」と発表。被ばく対策が進むどころか、避難した住民を20ミリシーベルト以下の放射能汚染地に戻そうとしています。(日赤は原子力災害時の医療救護の活動指針として「累積被ばく線量が1ミリシーベルトを超える恐れがあれば、退避する」としている。 また、2011年4月に内閣官房参与の小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)は、年間20ミリシーベルトを基準に決めたことに「容認すれば私の学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と抗議の辞任をした会見で、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と発言している)
「20ミリシーベルト以下は健康影響なし」とした原子力規制委員会が川内原発1、2号機を審査し、「新規制基準に適合している」と判定。国民の同意がないままに「原発の再稼働」が決定されようとしている今、多くの人に読んでほしい「原発の運転差し止め意見陳述」があります。
◆玄海原発全機運転差止め請求 意見陳述(2012.8.17)から抜粋
意見陳述書
佐賀地方裁判所 御中2012年8月17日
住所 福岡県福津市 氏名 宇野朗子
宇野朗子と申します。福島市で被災し緊急避難、現在は、娘と福岡県福津市に仮住まいをしています。
今日は、玄海原発を止めるための重要な裁判をしてくださっている裁判官のみなさんに、福島で起きたこと、今起きていることを知っていただきたく、私の経験と想いをお話させていただきます。
私は福島市に住んで12年目でした。私とパートナーと娘、2匹の猫と暮らしていました。5年前に子どもを授かり、親として娘にしてやれることは何かを考える中で、自然農を学び、地域通貨の試みにも加わり、食やエネルギーを自給して暮らす人々と知り合いました。人としてまっとうに生きたいという人々の願い、福島には、それに応える豊かな自然がありました。子育てをきっかけにして私は、本当の福島の奥深さを知ったのでした。
(亀山ののこさんの写真集『100人の母たち』南方新社刊より)
娘が3歳になった2010年2月に、佐藤雄平福島県知事が、プルサーマル運転を3つの条件を付けて認めると表明しました。さらに私たちに危険を背負わせるのかと、居ても立っても居られなくなって、私は受け入れ反対の声をあげるようになりました。学習会を開いたり、署名を集め県議会に提出したり、県庁に申し入れに行ったりしながら、原発の問題を少しずつ勉強していきました。
あまりにも深刻な核廃棄物の問題。地球上の誰も、10万年、100万年もの間安全に管理し続ける方法を知りません。にもかかわらず、私たちは毎日膨大な死の灰を、「発電」の名のもとに生み出しています。
そして原発は、被ばく労働なしには1日たりとも動かないものだということ。たくさんの人々が、被ばくのリスクを知らされないまま、劣悪な環境で、低賃金で働かされ、多くの人が、健康を害し、いのちを失ってきました。労災認定がおりたのはたったの10人、多くは泣き寝入りさせられ、沈黙を強いられ、社会にはこの事実が隠され続けてきました。福島原発は、事故件数も多く、労働者の被曝量日本一の原発でもありました。だまされていた自分がとても悔しく、申し訳なく思います。
原発が動くための燃料は、ウランだけではありません。差別と嘘と抑圧、これが原発に不可欠の燃料です。このような原発が温存される社会では、真の民主主義は育ちえないと、私は思います。
私は、その年の6月13日、福島第一原発のゲート前に、東京電力にプルサーマルを止めてほしいとお願いに行きました。そこで私は、震度5弱の地震に遭遇しました。ゴォーッという地鳴りと大きな揺れの中で、私のすぐ脇にある原子炉で何が起きているのか、大変な恐怖を感じました。
そしてその4日後、福島第一原発2号機で、外部電源喪失事故が起こりました。下がった水位は2メートル、メルトダウンにもつながりかねない重大な事故でした。けれども、ことの重大性を理解した報道は皆無、東電は原因究明も十分行わないまま、その場しのぎのマニュアル手続きを追加した程度で、再稼働してしまいました。福島県も立地自治体も保安院もこれを放置しました。
40年もの長い間、私たちは背負わされている危険について「蚊帳の外」に置かれてきたのだ、そして電力会社も国も県もマスコミも、本気で人々のいのちと暮らしを守ろうとはしていないのだと、理解しました。
大きな地震がきたら、大事故、大惨事になり、たくさんの命が亡くなり、福島の大地と海は命をはぐくめないところになってしまう。「その時」が来ないために手を尽くすしかない、知った者が、伝えるしかないのだと、思いました。
8月から、毎日福島県庁前に立ち、県に住民のメッセージを届けました。「ふるさとを核のゴミ捨て場にしないで」「ふるさとを核の汚染まみれにしないで」「ふるさとを第二のチェルノブイリにしないで」、こう書かれた横断幕を持ち、500通を超えるメッセージを届けました。
福島第一原発3号機のプルサーマルは、多くの人々の懸念の声を無視したまま、その年の10月に商業運転に入りました。市民でもっと原発の問題を自由に語り、原発依存から脱して真に豊かな福島の未来像を作っていこうと、様々なイベントを準備し始めました。
そんな中で、私は2011年3月11日を迎えたのです。
その日、私は福島市内の友人の家の庭で被災しました。暴れ馬のように力強く揺れ続ける地面にしがみつきながら、「大好きだよー、大丈夫だよー」と隣にいる娘に繰り返し言いました。そう言いながら、心では「ああ、大変なことになってしまったかもしれない。間に合わなかったのかもしれない」という想いがこみあげるのを抑えることができませんでした。本震が終わると、すぐに友人宅に逃げ込み、私は情報収集を始めました。電源喪失、メルトダウンの危険ありとすぐに情報がありました。電源車が間に合うことを祈りながら、原発近くに住む友人や、家族に電話をかけ続けました。夜11時過ぎ、緊急災害対策本部発表の文書で、炉心損傷がすでに開始していると予想されていることを知りました。文書を見た時点では、あと数十分で、核燃料の被覆管の破損が予想されていました。ああ、とうとう過酷事故は起きてしまったのだ。私たちは緊急避難を決めました。震災発生から10時間後、私と友人は、赤ちゃんを含む子どもたち5人を連れて、西へ避難をはじめました。ひとりでも多くの人に、この危機を知り行動してほしいと、避難を始めるというメールを無差別に送りました。ちらちらと雪の降る、寒くて静かな夜の福島市でした。
避難の途中で、1号機が爆発。13日、山口県宇部市にたどり着き、3号機爆発の映像を見ることになりました。あの日から、私はまるで戦争の中にいます。
複数号機の原発過酷事故、収束の目途も立たないまま、未曾有の放射能汚染の中で、福島に何が起きたのか。避難の混乱の中で、失われていったいのちがありました。津波に生き残り助けを待ちながら途絶えたいのちがありました。すべてを奪われ、未来の展望もなく、絶望の中で、自ら命を絶った人がいました。多くの人々が故郷を追われ、地域も家族もバラバラになりました。
事故をより小さく見せよう、被ばくがもたらす害を小さくみせようとする、国・県・マスコミあげての大キャンペーン。情報が隠され、不正確な情報が流されたため、住民が無用な被曝を強いられてしまいました。ヨウ素剤による防護策も、殆どとられることはありませんでした。
メルトダウンはしていない。レベル4である。チェルノブイリ事故の10分の1である。直ちに健康に影響はない。年間100ミリシーベルトを越えなければ安全です。ニコニコしている人には放射能の害は来ない。危険をあおる流言飛語に注意してください。・・・ありとあらゆる、「嘘」と「ごまかし」が語られ、事実を知るための適切な調査はなされず、またはその結果を隠されました。それによってもたらされたのは、被災者間の深い分断、放射能問題をタブーとする抑圧的な空気。それらを前提としてまかり通る、棄民政策の数々でした。そして何より、人々が被曝し続ける事態となりました。
除染は遅々として進みません。危険な除染作業に被災者である住民が駆り出されています。有機農家の友人は、事故後、作物が汚染され農業を断念しましたが、彼女は今、仮住まいからバスに乗り込み、避難区域の村の除染作業に通っています。石塀も、屋根も壁も、ゴシゴシ、ゴシゴシと、ブラシでこすり、水で流すのだそうです。作業者の装備は軽く、健康への影響が懸念されます。そして原発事故という人災によって生計の道を閉ざされた被害者が、加害者がまきちらした放射能の後始末を行うのを見るのはとても悔しいです。
余震が続いている福島原発の事故現場では、毎日3000人もの人々が被曝しながらの作業にあたっています。既に6人の方が亡くなり、大量被ばくされた方も報道されましたが、その後どうなったかが心配です。4号機プールの倒壊も懸念されています。2号機内部がどうなっているのか、誰も分かりません。
そんな薄氷を踏むような危機の中で、誰かが、収束作業を続けなくてはならない。絶対に収束させなくてはなりません。そのために、何人の人の命を差し出さなければならないのでしょうか。
原発を作り、動かし、その利権の甘い汁を吸った人々が、まず、収束作業に全力であたるべきと思います。しかし実際には、ホームレスなどの生活困窮者や立場の弱い下請け会社の労働者たち、そして仕事を失った被災者たちが多く作業にあたっていると聞いています。収束には、何十年、百年以上かかるとも言われています。この事態に対して全く何の責任もない子どもたち、未来の世代の人々に、この過酷な犠牲を強いなければならないことに、痛恨の想いです。
そしてもし再び、放射性物質の大量飛散という事態になった場合に、住民にどう情報が伝えられ、どう避難し、被ばくから守られるのか・・・その備えはいまだに全くなきに等しいという現状があります。福島県民は棄てられていると感じています。
ひとたび原発事故が起これば、どんな苦しみが襲うのか、どうか想像してください。
私たち被災者でさえも、その被害の全容を知ることができません。それは極めて広範に及び、徹底的に社会を破壊します。最も犠牲を強いられているのは、子どもたち、未来の世代の人たち、そして物言わぬ動物や虫や植物です。犠牲にされる未来を考えるとき、私は私たち大人世代の犯した罪の深さに、底知れぬ恐怖と悔恨の念を覚えずにはいられません。
今、私たちは被害を、少しでも小さくしようと闘っています。タンポポや、蝉、魚などですでに見られ始めている突然変異。子どもたち・大人たちが経験している健康の変化。先日、保養に来ていた16歳の女子高校生が言いました。「福島が安全なんかじゃないって、私たちだって知っている。私は長生きはできないと思う。短い人生をどう生きたらいい?」。様々な健康上の問題に悩む子どもたちは、たくさん現れるでしょう。生まれる前の死を強いられるいのちもまた、数えきれないほどになるでしょう。未曾有の低線量被ばくの継続という事態に、私たちはいのちをつなぐためになすべきことを必死で探しています。
裁判官のみなさん、福島で起きたこと、起きていること、これから起きることに、どうぞ目を凝らしていただきたいのです。 私たちが子どもたちに課すものは、被ばくという重荷だけではありません。54基もの原発とそこで生み出し続けた死の灰を、これから次々と襲うであろう大地震の困難にも耐え、施設の老朽化にも耐え、閉じ込め管理し続ける綱渡り――これを私たちの大切な子どもたち、孫たちに課すのです。
再稼働というのは、この問題への着手を先送りにするだけでなく、手に負えない死の灰を膨大に生産することを是とするということです。原発は、1年間稼働するだけで、燃料として使うウランの1億倍の放射性物質を産み出します。福島原発に閉じ込めておかなければならなかった核分裂生成物の恐ろしさ、手におえなさに、私たちは苦しんでいます。この苦しみは、時を経るほどに深刻になっていくでしょう。このようなものを、これ以上生み出してはいけません。原発をなお動かし続けるということは、福島原発事故が進行している中で、私たち人間社会の倫理の死、真実の死、民主主義の死をも意味するのではないでしょうか。
また日本は、地殻の大変動期に入ったと言われています。現に、地震の数は、311後爆発的に増えています。近い将来、どこかで必ず大きな地震が来るでしょう。もう一度、原発震災を起こしてはなりません。その努力を、全ての場所で、あらゆる人が、しなければなりません。
福島原発事故で、暮らしを根こそぎ奪われ、未来を暴力的に変えられた被災者の1人として切に訴えたいことは、原発は、差別と犠牲を許容することなしには動きえず、手に負えない核分裂生成物を未来世代の人々に押し付けることが前提の、人道上許されない発電方法であるということです。