「火垂るの墓」を書かれた野坂昭如さんが、亡くなる前に「この国に戦前がひたひたと迫っている」
「原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、またその子供たちである。ぼくらには駄目なものは駄目という責任がある。今が良ければという思考停止はもう通らない」と「遺言」を残されています。
◆原作者・野坂昭如が語った ジブリ作品「火垂るの墓」の真実 から抜粋
野坂(原作者)自身の戦争原体験を題材に、浮浪児兄妹の餓死までの悲劇を独特の文体で描いた作品である。
幼い妹の世話は父や母のように出来ない、妹に食べさせるつもりの食糧まで自分が食べてしまい生後1年半の妹を死なせてしまったと現在でも悔やんでいるのです。
妹が自分の手の中で死んでいったこと、亡骸を自分で火葬したこと、その骨をドロップ缶に入れていたこと、この辺りのエピソードは全部実話です。
ジブリの『火垂るの墓』を見ると私は、『焼き場に立つ少年』を思い出します。
◆野坂昭如さん死去「この国に戦前がひたひたと迫る」
(2015年12月11日 東京新聞)から抜粋
9日に心不全のため85歳で亡くなった作家で元参院議員の野坂昭如(のさかあきゆき)さんが、亡くなる直前の9日午後4時ごろ、担当する雑誌連載の最後の原稿を新潮社に送っていたことが分かった。末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。「焼け跡闇市派」を自称した野坂さんは体の自由が利かない中、戦争体験者として最後まで日本人に警告を発し続けた。
(2014年5月15日 東京新聞:「戦地に国民」へ道 解釈改憲検討)
(2015年9月19日 朝日新聞号外 安保法成立 海外での武力行使に道)
◆野坂昭如さん死去 「戦後圧殺」に警鐘
(2015年12月10日 毎日新聞)から抜粋
◇野坂昭如・黒田征太郎共著「教えてください。野坂さん」(スイッチパブリッシング、2015年)より◇
人間は長いものに巻かれやすい。
長いものに巻かれていた方が楽だからだ。
つまり、自分の頭で考えなくなると戦争は近寄ってくる。
自分の頭で考えるためには、想像力を身につけなければならない。
戦争などあり得ないと思い込んでいるうちに、
気がつけば戦争に巻き込まれている。
戦争とはそんなものだ。
◆原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、またその子供たちである。ぼくらには駄目なものは駄目という責任がある(通販生活 2014年秋冬号)から抜粋
敗戦直後から日本人は本当によくがんばったと思う・・・高度経済成長を支える柱として、原発の必要性がいわれ、うわべ民間会社、実は国の御旗のもと、原発政策は推し進められた。当初懸念されていた原発のマイナス点は、文明の利器の恩恵のもと無視され続け、小さな島国はいつの間にか原発列島と化していた。
この原発、当初から事故だらけ、さらにどの国もあまりに危険と早々に撤退した高速増殖炉に目をつけ、原子力の平和利用をたかだかとうたい、スレスレの事故を繰り返しながら、これについては隠蔽。商業用プルトニウムと軍事用のそれとは異なるという説もあるが、どちらにしても原爆の材料であることに違いはない。世界はそれを承知。日本だけ、事故だらけ、先行きの見込み立たぬまま、今なお莫大な金をかけながら維持し続けている。
2011年3月11日の東日本大震災を受けて直後の日本人は、自然の脅威にさらされ、人間が自然の中のちっぽけな存在に過ぎないことを自覚させられた。福島第一原発の事故では、原発、放射能の恐さを思い知らされた。人間がコントロール出来ないものだとよく判った。仕事を奪われ、生活を変えざるをえない、未だ避難を強いられている人たちがいる。一生戻れない人がいる。事故当初しきりに伝えられた、安全は保たれている、放射性物質の放出によって、直ちに体に異変をきたすことはないという東京電力及びお上の言葉は、希望的観測に過ぎず、もはやこれを誰も鵜呑みにしてはいない。
ぼくらは連日、数値に敏感になり、汚染水についてその現状を固唾を飲んで見つめていた。半年、一年、二年と震災から日が経つにつれ、再稼働ありきの動きが目立つ。電力の不足が経済活動の妨げになる、経済こそ大事、今後のために必要不可欠だという。
あの原発事故は、日本のエネルギーをどうするか、お上任せだった原子力発電について、国民が自ら考えるきっかけになりえた。今はどうか。福島の事故は国がどうにかすると思い込んでいる。原発列島、便利さと引き換えに増え続ける放射性廃棄物の量は限界をこえなお、ぼくらはどうにかなる、誰かが何とかしてくれると、楽観主義で過ごそうとしている。だがそれは無責任主義と同義語である。
原発について推し進めてきたお上、再稼働にしゃかりきになっているのもお上、はっきり言って原発についてほぼ素人の政治家が、今後の方針を決めるなど、土台無理なのだ。無責任もいいところ。それを見ている国民も同罪。
安倍首相は国民の命と平和な暮らしを守る責任があるといい、集団的自衛権の行使容認を決めてしまった。抑止力を強化するのだという。曖昧な抑止力ほど危ないものはない。何にしろ、一旦、力というものを持てば、使ってみたくなるのが人間。国民の生命、財産、日本の将来に関わる大事な問題を20人足らずの閣議で決める、これは暴挙といっていい。これについても世間は何やら物騒だと眉をしかめる程度。
原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、またその子供たちである。ぼくらには駄目なものは駄目という責任がある。今が良ければという思考停止はもう通らない。日本は今、薄氷の上に佇んでいるようなもの。その足元を少しでも丈夫にして、次世代に引き渡すことが、生きている人間の本来の仕事である。
◆あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?
(2013年5月2日 ウィンザー通信)から抜粋
報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」
(1945年長崎の爆心地にて)
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
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