今から20年前の1998年にコロンビアで開催された「第1回国際有機コーヒーセミナー」で出会い、メキシコのトセパン協同組合を紹介してくれた森林農法(アグロフォレストリー)研究者のパトリシア・モゲルさんの来日が決定しました。
パトリシアさんは、11月11日に開催される「しあわせの経済」フォーラム2018 をはじめとして、東京、横浜、福岡などで講演する予定です。後日、詳しい日程などをお知らせします。
前回の来日(2005年6月)から13年が経ちましたが、今もパトリシアは「行動する研究者」として、変わらぬ情熱で、自然と共に生きる先住民文化や環境の保護活動に取り組み続けています。そうした彼女の活動は、12月1日から発足するロペスオブラドール新政権に認められ、環境教育国家プランの作成を行うチームにコンサルタントとして関わることになりました。また、新政権は、生態系や文化面における多様性を守るという観点から、アグロフォレストリーに焦点を当てた100万ヘクタールの植林計画を進めようとしており、この計画のアドバイスも行うことになっています。
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2005年にパトリシアさんを紹介した記事を再掲します。
世界で最初に有機コーヒー栽培に取り組んだ国、メキシコ。この国では、 30部族以上もの先住民族が、伝統的にコーヒーを栽培してきたと言われている。彼らは、豊かな森でコーヒーを育てながら、独自の文化や伝統を築いてきた。
しかし、コーヒーの国際市場価格の低迷や大企業による買い叩き、それに加え、貧困などの社会問題によって、こうした伝統的な栽培方法や文化は失われつつある。
プエブラ州の雲霧林
そんな中、コーヒー生産者たちと共に豊かないのちの森を守ろうと闘う一人の女性がいる。彼女の名前は、パトリシア・モゲル。生物学者でもあり、環境活動家でもある彼女は、メキシコの「アグロフォレストリー(森林農法)」(※注1参照)研究の第一人者であり、現在は、メキシコのプエブラ州ケツァーランにあるトセパン・ティタタニスケ協同組合と共に、持続可能なコミュニティづくりに向けて活動している。
私は、パトリシアに案内され、このトセパン組合を訪れた。
(文/岩見知代子:ウインドファームスタッフ)
トセパンは、5,300世帯もの生産者からなる組合で、メンバーは皆ナワット族である。彼らは、ケツァーランの町を中心とした7地域66のコミュニティに暮らし、アグロフォレストリーによる有機コーヒー生産をベースに、コショウ、 ナッツ、キノコの栽培や畜産にも取り組んでいる。
特徴的なのは、これらの活動が、地域内で資源をすべて循環させて行われているということだ。また、トセパンでは、組合設立当初から女性たちが組合の活動に積極的に参加してきた。女性グループによるパン屋、雑貨店運営やトルティーヤ(とうもろこしの粉からつくられたメキシコの主食)販売が行われており、女性の自立を目指した多様な取り組みが活発に行われている。この他に環境教育やエコツアーの取り組みも数年前から始めている。
トセパンが設立されたのは、今から28年前。自分たちの作ったコーヒーを仲介業者に買い叩かれる現状に対抗するためだった。そして、この設立の時からトセパンに深く関わり、技術面だけでなく、組合運営全体のアドバイザーを行っている人物がアルバロ・アギラルである。アルバロは、ナワットの人たちを救いたいという強い思いからこの地へ移り住み、組合をここまで引っ張ってきた。彼は、組合で唯一ナワット族ではないのだが、組合の代表と並ぶほどメンバーの信頼と尊敬を集めている。
そして今では、トセパンは、メキシコにおける有機コーヒー生産者グループのモデル的存在にまでなっており、実際、その多様で持続可能な取り組みは、メキシコ政府からも高い評価を受け、1995年には、「フォーレスト賞1995」を、2000 年には「環境賞2001」を受賞している。
組合名「トセパン・ティタタニスケ」は、ナワット語で、「団結すること。 それが、皆が幸せになる唯一の道である」ということを意味する。その名の通り、トセパンをここまで団結させてきたのは、良きアドバイザー、アルバロの指導力と愛情に満ちた人間性ばかりでなく、ナワットの人たちが昔から大切にしてきた「協力」「分かち合い」という考え方、生き方なのである。
ケツァーラン一帯は、生物多様性が非常に豊かな熱帯雲霧林に属しており、 いつも湿度が高い。雨が降ると、雲が低く降り、それと同時に、森からは深い緑の香りが立ち上る。私がケツァーランで過ごした4日間、霧がかからない日はなかった。さまざまな植物や動物が暮らし、豊かな土壌が広がるこの森は、コーヒーに豊かなコクと香りをもたらし、ナワットの人たちの文化と伝統を育んできた。
滞在中、アルバロと共にトセパンを案内し、コーヒーの森のことを話してくれたパトリシアは、森を守りながらコーヒーを栽培するアグロフォレストリーによっ て、この地に住む生物だけでなく、そこで育まれてきたナワット族の生活や生き方そのものが守られてきたのだと教えてくれた。アグロフォレストリーの重要性を指摘する研究者たちは、生物多様性を守るということを強く訴えても、それが この地で生きてきた人たちの文化の多様性をも守っているということにはあまり注目しない。けれど、それがとても大切なのだとパトリシアは言う。
そして、それを守るため、彼女は生産者たちと闘っている。「研究は頭だけでなく、心でするもの」。そう言い切るパトリシアが、単なる研究者ではなく、自ら現場で行動する活動家である所以はそこにある。
パトリシアの父親は、貧しい人たちのためには、無償で弁護を引き受けていたという社会派の弁護士だった。その影響から、幼い頃より社会問題や環境問題に触れてきた。「分かち合うという気持ちを持つこと。そして、社会に矛盾や疑問を感じたら、それをはっきりと訴え、行動することが大切だ」という父親の教えを、彼女はいつも心の中に置き、大切にしてきた。
「今、世界で起こっている環境問題はとても深刻で、どうしようもないところまで来ているのかもしれない。それを考えると悲観的になってしまうこともありました。でも、今は違います。私は、ずっと先の世代のために自然や文化を残したいと闘っているメキシコの生産者たちと、日本の人たちとの強い絆をつくっていきたいのです。持続可能な社会を目指し、私は大きな希望を持ってこれに取り組んでいきたいと思っています。これからもつながっていきましょう。その夢に向かって。」
私がメキシコを去る日、彼女が笑顔で語ったその言葉を今でもよく覚えている。
そのとき、私は初めて「一杯のコーヒーから始まる物語」の原点を見たような気がした。
そしてこの6月、その夢をたくさんの人と分かち合うため、パトリシアとアルバロが来日する。私が彼らやトセパンとの出会いで感じたつながりを、コーヒーを飲んでくださる皆さんにもぜひ感じてもらえたらと心から思う。
豊かないのちの森から始まるこのコーヒー物語は、きっとあたたかさとやさしさに満ちているはずだから。
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2005年来日前のメッセージも再掲します。
◆パトリシアからのメッセージ
*日本の消費者のみなさんへ
世界で最初に有機栽培のコーヒーを生産したのはメキシコです。この有機栽培という生産システムは、地域レベルで見ても国際レベルで見ても、環境に対して多くの利益をもたらしています。例えば、生物多様性の保全、土壌の保全、気候の改善、地球温暖化の影響の削減、洪水、火災といった自然災害の軽減といったことです。
また、メキシコでは、有機栽培に基づくコーヒー生産は、毎年300万に近い雇用を生み出しています。例えば、有機栽培でコーヒーを生産する場合、慣行栽培よりも多くの土地を耕作する必要が出てきます。平均して1ヘクタール当たり160日間の雇用が必要となるのです。
しかし、私が日本の消費者のみなさんにお願いしたいのは、メキシコでのコーヒーの有機栽培(これは、伝統的に日陰樹を利用した栽培方法を取り合わせたもの、アグロフォレストリーシステムを含む)を、単に環境にやさしいとか、お金や雇用を生み出すものとしてだけ見ていただきたくないということです。
これはどういうことかと言いますと、コーヒーの有機栽培には、さまざまな文化や信念、そして知恵や知識が凝縮されており、社会や文化面から見てもその利益、恩恵は計り知れないということです。
メキシコでは、約32族もの先住民がコーヒー生産に従事しており、彼らはそれぞれに伝統や慣習、代々受け継がれてきた人生観などを持っています。つまり、コーヒー生産の周辺地域では、それぞれの先住民族が織りなす文化の多様性を見ることができるのです。
こうしたことから、先住民族が伝統的に行ってきたアグロフォレストリーを維持し、その生産物であるコーヒーをフェアに取引するということは、単に生物多様性や環境を保全しているというだけでなく、先住民族が現在まで守り続けてきた文化の多様性を保護することにもつながるということです。
そして、この文化の中には、「分かち合い」、「協力」、「尊敬と連帯」といった言葉に代表される先住民の考え方や姿勢も含まれています。近頃、メキシコでは、生物多様性の保全に関してその重要性を指摘する研究者は多くいます。
しかし、こうした文化の多様性に目を向けている研究者はいないのではないでしょうか。重要なのは、生物だけでなく先住民族たちの文化の多様性をいかにして守り続けていくかということなのです。
そして、これができるのは、フェアトレードやこれと似たような取引―自由貿易に取って代わる貿易―を通してだけだと私は思うのです。このためには、生産者と消費者の連帯を築いていくことが必要となってくるでしょう。
生産者と消費者がお互いの立場を理解し、共に協力しあっていくことが大事なのです。 私は今回、中村隆市さんと一緒に2つの生産者グループを訪ねました。彼らは常に「協力し、分かち合う」という姿勢を大切にしていました。彼らのこうした姿勢は、フェアトレードに取り組む上で、また、さまざまな社会問題と闘っていく上でとても大切な考え方だと思っています。
最後に、もう1つ聞いていただきたいことがあります。私が今まで述べてきたコーヒーは、単なる”オーガニック(有機栽培の)コーヒー”ではありません。確かに生産方法としては有機栽培です。しかし、前にお話しましたように、この生産方法には生態系や環境だけでなく、先住民族の文化や信念をも持続的に守り続けていこうという姿勢が含まれています。
そこで私は、このコーヒーを確信を持ってこう呼びたいと思っています。「サステイナブル(持続可能な)コーヒー」 と。これには、次に述べる4つの要素が含まれています。まず環境の豊かさ、2つめが生活や人生の豊かさ、そして3つめが生産物の質の高さ、4つめが精神的な豊かさです。この「サステイナブル」という考え方は、とても大切なことなので、ぜひ皆さんに知っておいていただきたいと思うのです。
今後は、研究のみならず、消費者の立場にある中村さんとともに、協力しあい、同じ経験を分かちあいながら、メキシコの生産者と日本の消費者のみなさんとの連帯を築いていきたいと思っています。それが、私の夢なのです。
2005年4月
パトリシア・モゲル
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●パトリシア・モゲル・ビベロス(2018年10月現在のプロフィール)
(メキシコ・生物学者)
【専門分野・活動分野】:
アグロフォレストリー、民族生態学、生態学と社会、先住民族による生物多様性の保全と管理、持続可能なコーヒー生産、フェアトレード、環境教育、アグロエコロジー、人間とコミュニティの持続可能な発展
メキシコ国内や海外のさまざまな大学や教育機関で研究を行い、ミチョアカン大学、イベロアメリカーナ大学、ラテンアメリカ大学の教授を経て、現在は主に環境教育の指導者として大学、その他の教育機関、NGO、市民団体などでコース、ワークショップを担当する他、各地の先住民コーヒー生産者グループのアドバイザーも務めている。
2018年、グローバルかつローカルに社会・環境問題に取り組む環境リーダーの育成や教育を行う目的で、ECOFE(アートエコロジー文化センター)を設立。物質的で大量消費の社会、一部の人間が支配する資本主義社会やグローバル経済から持続可能な社会(生物多様性を守り、みな同じ人間として互いにつながり、助け合うという意識を持った社会)、及び幸せで尊厳ある生き方をうみだす経済へのシフトには、先住民族や祖先から授かった知恵や伝統から学ぶことが必要と考え、より多くの環境リーダーを生み出すことに力を注いでいる。そのためには正しい情報を持ち、社会的かつ心に働きかけるホリスティックな方法を学ぶ必要があると考え、エコダンスを取り入れたワークショップや講演、コースも行っている。
(※エコダンス:医療人類学者のロランド・トーロ・アラネーダ氏が構築したダンスワーク”ビオダンサ“を自身で発展させたもの。普段の生活や教育面ではあまり重視されない文化や芸術こそ、人の心に訴え、内面に意識を向けることができると感じ、それを体の動きとして取り入れ、講演などで話す際に行うことで参加者の心を開き、気づきを与えることにつなげている。)
【先住民族たちとの活動】
この30年に渡り、メキシコ国内の先住民族の生産者やグループのアドバイザーを務めてきた。
特に、トセパン協同組合では1999年よりアドバイザーを務め、2005~2010年には、トセパンにおける環境教育プロジェクトのコーディネートを担当。現地でアグロフォレストリーの研究を行うと同時に、組合員たちにアグロフォレストリーの重要性についても指導を行ってきた。近年の鉱山開発問題に関するさまざまな問題に際しても、組合をサポートしている。
その他、先住民権利委員会(チアパス州)アドバイザー(1998~)、ミチョアカン州先住民大学創設委員(2004-2008)やベラクルス州、オアハカ州における先住民コーヒー生産者のアドバイザーも務めている。
トセパン協同組合を始めとするこれらの生産者グループにおいては、そのプロモーター、技術者、アドバイザー及び生産者に対し、「持続可能なコミュニティの発展」、「フェアトレード」、「持続可能な住宅」、「有機栽培」などに関する教育も行ってきた。
UNAM(メキシコ国立自治大学)と世界銀行が作成した“メキシコ及び中米における民族生態学アトラス”の研究員も務めた。
【AMLO政権での今後の活動】
12月1日より発足のロペスオブラドール氏による新政権では、環境省が作成する環境教育国家プランの作成を行うチームにコンサルタントとして関わる。この環境教育プランは、政権内のあらゆる政策に関係してくるものであり、メキシコ国内の公式、非公式の教育プランの一部となるものである。
また、次期政権は、遺伝学的、生物学的そして生態学や文化面における多様性を守るという観点から、アグロフォレストリーに焦点を当てた100万ヘクタールの植林計画を進めようとしており、この計画においても、アドバイスを行うことになっている。夫のビクトル・マヌエル・トレド氏も環境大臣のアドバイザーに就任予定で、夫婦でともに新政権の環境分野における政策に取り組むことになっている。
この他、長年アドバイザーとして関わってきたトセパン協同組合で働いていたマリア・ルイス・アルボレス・ゴンザレスさんがBienestar省(幸福、厚生に関する省)の大臣に就任することが決まっており、彼女や彼女の担当する政策に関しても、夫婦でコンサルタント的に関わっていくことになっている。
******【追記 2019年1月22日】******
森林農法で地球の緑 未来へ パトリシア・モゲルさん
(2019年1月17日 毎日新聞)
「樹木や果樹との混植でコーヒー豆を育てることで、森を守ることと経済的な自立の両立が図られる」と強調するのはメキシコの生態学者、パトリシア・モゲルさん(62)。東京で昨秋、開かれた「しあわせの経済」フォーラムで、先住民族らが実践する森林農法を紹介した。
メキシコ中部プエブラ州の山岳地帯で、先住民族らが運営するトセパン協同組合のアドバイザー。組合には約3万5000世帯が加盟し、森林農法でコーヒー豆も栽培している。日本では、福岡県水巻町の有機コーヒー販売会社「ウインドファーム」が輸入し、同社代表の中村隆市さん(63)は生産者やモゲルさんと交流を重ねてきた。
メキシコのロペスオブラドール大統領は「国の政策として森林農法を推進する意向」と伝えられ、閣僚に起用されたマリア・ルイサ・アルボレス・ゴンサレス福祉相はトセパン出身という。モゲルさんは「日本にも環境や貧困の問題はある。大切なのはそれぞれが行動し、緑の地球を未来に残すこと」と語る。【明珍美紀】