◆セヴァン・スズキ(12歳)「伝説のスピーチ」
今月、生物多様性を守るための会議に参加する予定だったセヴァン・スズキさんが、体調を崩したために来日できなくなりました。来日を楽しみにしていた皆さんに、お詫びとして、2007年来日時の対談を書き起こしたものと、彼女のお父さんデヴィッド・スズキさんが寄せてくれた素敵なメッセージも掲載します。
◆セヴァン・スズキ×中村隆市 対談 「私にできることをする」
(2007年11月6日 福岡国際ホール)
中村
今日は700人もの方に集まっていただいていますが、聞いたところでは、九州各県、熊本、宮崎、鹿児島、それから本州からも来ていただいていると聞いています。とっても関心が高いようですね。「私は私にできることを実行しているだけ」というのが今日のタイトルです。自分にできることを実行することは誰にでもできる、ということです。
セヴァンと一緒に各地を回っていて、楽しいことがいっぱいあります。できることをいろいろやっていて、ここに水筒をセヴァンも私も持っています。ナマケモノ倶楽部では、たとえば自動販売機をやめて水筒を持ち歩く運動をやっています。
自動販売機はたくさん電気を使っています。夏でも冬でも一年中、缶飲料やペットボトルを温めたり冷やしたりしています。一日中、24時間電気を使っている。自動販売機は日本に550万台あるんですね。世界一多いです。22人か3人に一台あるわけですね。こんなに自動販売機がある国は他にありません。
この自動販売機に使うエネルギーと缶やペットボトルを作ったり運んだりするために、たくさんのエネルギーを使っている。だから自動販売機に反対しているのですけれども、反対だけで終わらずに、じゃあどうするか?
そこで、水筒を持ち歩こう。水筒に有機栽培のコーヒーや紅茶やお茶を入れて持ち歩こうという運動をしています。何々に「反対」「NO!」というだけではなく「YES」も考える。何ができるか、何をするか、ということが大事だと考えているわけです。
私が5年前にびっくりしたのは、セヴァンと一緒に飛行機に乗ったとき、スチュワーデスの人に「これに入れてください」とでっかい水筒を出して、それにジュースとかお茶とかを入れてもらうんです。スチュワーデスもびっくりして目を丸くしながらついでくれるんです。
それからここにマイ箸があります。今、使い捨ての割り箸が、だいたい一年間で250億膳、一人当たり200膳ぐらい使い捨てにしています。この大部分、95%くらいだと思いますが、中国の白樺を切って作っています。ですから、割り箸反対というだけではなくて、じゃあ、割り箸を使わないでどうしようか、ということでマイ箸運動を広めているわけです。
5年前にセヴァンにマイ箸をプレゼントしました。 セヴァンはその後、「素敵な宇宙船地球号」というテレビ番組に取り上げられて、カナダで寿司を食べているシーンが出てくるんですけど、その寿司を5年前にプレゼントした箸で食べていたんです。すごく嬉しかったですね。
さて、セヴァンに質問したいと思います。セヴァンは自分にできることを色々やっていますが、それをいくつか教えて下さい。
セヴァン
私たちが日常的に行っている一つ一つの小さな行動のあり方、お箸の使い方であったり、コップの使い方であったり、紙の使い方であったり、エネルギーの使い方であったり・・・これらの無駄の多いやり方に代わるやり方は山ほどあるのです。初めは、少しの努力を要します。電気を消すというのは努力の要ることですし、自分の箸を忘れずに持ち歩くというのも努力を要することです。
でも、それが習慣になるのも早いものです。そう、私たちが変えなければならないのはこの「習慣」なのです。そして、これが難しいところだと思います。皆さんもご存知と思いますが、「習慣」というものは、どんなに小さくても変えるのがとても難しいですよね。でも、新しい習慣が身についてしまうと、今度は古い習慣に戻るのが難しくなります。
私は、マイ箸をもう数年間使っています。けれども、今回東京に着いた夜、長旅でやっとホテルにたどり着いて、階段を上がって荷物を部屋に置いた後で、お箸を忘れてしまったのです。ですから、外へ出てうどん屋さんに入ったら、お箸がないのです。中村さん、怒らないでください!割り箸を使ってしまいました。(笑い)
割り箸なんてもう長い間使っていなかったので、実は少し興味を持っていました。
まず、紙の包みからお箸を取り出し、半分に割りました。すると、すぐに半分くらいの長さのところで片側が折れてしまったのです!なので、とても大きなお箸が一本ととても短いお箸が一本になってしまいました。(笑い)さらに、とても安物のお箸でしたのでトゲだらけでした。トゲを気にしながらうどんを食べることになり、「もうこんなものは二度と使いたくない!!」と思いました。
この「こんなものは嫌だなぁ」という感覚が大切だと思います。また、意味のある行動に立ち返るだけではなく、より楽しいことをしていくことも大切ですね。そして、日本には美学の伝統があると思います。お料理の出し方はとても繊細です。このような美的感覚は、実は環境にとてもやさしいのです。私は、日常的なことで、どのようなやり方がより美的でより伝統的か、また楽しいか、ということを考えていったら、より環境にやさしい生き方ができるのではないかな、と思います。
私が具体的に実践していること、大きな概念があと二つあります。一つは、地元で生産された食べ物や製品に対してお金を払うこと。それともう一つは、できる限り土に近づくことです。私は自分が食べるものはできる限り自分で育てています。なるべく近いところから食べ物を得るようにしています。育てるだけでなく、釣りなどで獲ることもしています。
このやり方は、もちろんどこに住んでいるかによって変わってきますが、これらの二つのアイディアをどうやって実践するかを考えることぐらいは誰にでもできると思います。少なくとも誰でも台所の窓辺にハーブを植えた小さなポットを置くことができますよね。
中村
セヴァンは今回の来日で、青森の「六ヶ所あしたの森」、北海道の「チコロナイの森」で植林してきました。今、森を守る活動を熱心にやっています。先日、「セヴァン・スズキの私にできること」という冊子が出たばかりです。セヴァンは9歳のときにアマゾンで森が燃やされているのを見て、環境を守る活動を始めたわけですが、それから18年経った今も森を守る活動を続けています。カナダやブラジルでの森を守る活動の話を聞かせて下さい。
セヴァン
人類は多様性に富んだ種です。この3年間、私は大学院で勉強していました。
民族と生態系の関わりについて勉強しています。歴史を通じて、様々な民族、様々な文化、様々な経済、様々な資源管理の方法が存在してきました。
20世紀には、急にこの多様性が減少してしまい、あたかも一つの戦略に皆の関心が集約されてしまったかのようです。この唯一の資源管理の方法というのは、「取れるだけ取ってしまえ」というものです。
ですから、自然の豊かさで知られるカナダのブリティッシュコロンビア州でも困ったことになっています。林業に携わろうと思う人がいなくなりました。この産業には将来がないとされるからです。今、持続可能性が問題にされるようになり、皆が問うようになりました。
「どうやって持続可能性を実現するの?」
そして、今、大学院での研究で、他の民族がいかに持続可能な生活してきたかが分かってきました。資源を破壊しないで利用する方法はいろいろとあるのです。アマゾンのカヤポ族は、森林内で野菜や植物を育てることをしてきました。彼らは、栽培を始める前に森を切り開くということをしなかったのです。そして、カナダでは、先住民族が、実は養殖を営んでいたということが分かってきました。でも、彼らは他の資源を傷つけない方法で行っていたのです。
このように既存の民族文化に多様な持続可能性の例が見られます。これらに学び、私たちは、より良い森林からの採取方法、より良い海からの捕獲方法を見出すことができます。
私は学生として、持続可能な方法で資源を採取することができるのかを研究していました。そして、「できる」という結論に達しています。
中村
今の話の中で、アマゾンのカヤポ族の人たちが森を伐採せずに森の中で作物をつくって暮らしているという話がありましたが、今、私がやっているフェアトレードの仕事でも同じような話があります。中南米の農民と提携して有機栽培のコーヒーを輸入しているのですが、このコーヒーをつくっているエクアドルやメキシコの生産者は、森を伐らずに森の中にコーヒーや果物や野菜をつくっています。それはアグロフォレストリーと呼ばれ、日本では森林農法と言っています。
これらの地域には、銅や金などの地下資源が豊富なため、十年以上も前から鉱山開発計画があります。地域住民の多くは、森を守りたいと鉱山開発に反対してきたのですが、鉱山会社の圧力が強くて厳しい闘いが続いていました。
しかし、先月、エクアドルから連絡が入ったのですが、エクアドルの政府がカナダの鉱山会社に対して、開発をやめなさいという命令を下しました。鉱山開発という自然を破壊する、持続可能ではないやり方ではなく、子どもたちに美しい自然を残しながら発展していける方法として、森林農法を選択しているわけです。
先ほどセヴァンから省エネやゴミを減らすという話がありました。暖房便座や自動販売機に象徴されるように、人類のエネルギー消費が年毎に多くなってきています。
有史以来、20世紀までに人類が使ってきたエネルギーのうち60%を20世紀だけで使っています。つまり、人類が誕生してから19世紀までに使ってきたエネルギーよりも20世紀のわずか100年で使ったエネルギーの方が多い、ということなんです。
電気の消費量でいうと、現在と30年前を比較すると約3倍も電気を消費しています。40年前と比較すると10倍、50年だと20倍に消費電力が増えています。そんなふうにエネルギーも電気も年々消費量が多くなってきているわけです。
私たちは、次々に現れる電気を使った「便利なもの」を受け入れてきました。
昔の時計や玩具はゼンマイでネジを巻いていましたが、それが面倒だということで今は電池に代わっています。人間が手や足を使わなくても機械がやってくれる。そんなものが、どんどん増えています。
テレビやエアコンの所まで歩いていかないでいいリモコン、そのための待機電力、自動ドア、食器洗い機、洗濯物の乾燥機、エレベーター、エスカレーター、動く歩道、そして、これだけ温暖化の問題が言われていても大きな画面のテレビや大きな車がたくさん売れています。私たちは、便利さとか豊かさというものを見直す必要があると思うんですが、そのあたりをセヴァンはどう思いますか?
セヴァン
21世紀を迎えた私たちの大きなテーマですね。「豊かさ」とは何か?「発展」とは何か? 私は、英語圏での講演の時には、人々がどのように考えているかを知るために、よく私から質問をするんです。あなたにとって何が本当に大切かを尋ねると、皆いつも同じことを答えます。
健康、家族、友人、美味しい食べ物、音楽、芸術、社会に自分が貢献しているという感覚。人々が人生の中で大切にしているものはこういったことなのです。車だとか、洋服だとか、お金が大切だと答える人は、あまりいません。
根本的には、私たちは皆同じものを必要としているのです。私たちは愛を必要としています。つながりを必要としています。社会を必要としています。私たちは、本当に正しい「豊かさ」を追求しているかどうかを問わなければなりません。
中村
南アメリカに伝わるハチドリの話(※)を聞いた幼稚園の子どもたちが「僕たちもホッキョクグマさんを守るために電気鉛筆削りはやめて、手で削るよ」と言ってくれたんです。
ここに一枚の写真があります。エスカレーターと階段があって、エスカレーターに大人たちが群がっていて、その横の誰も利用していない階段を子どもがうれしそうに駆け上がっている写真です。
子どもたちは、キャンプなんかが大好きです。キャンプというのは、電気もなくてすごく不便なんですけど、大好きなんですね。大人たちはこれまで、便利に便利にという方向に進んできました。何もしないでいい、という方向に進んできました。
しかし、実は大人も本当は、もっと身体を使って自分でものをつくったり、創作するのが、好きなんじゃないかと思うんです。これまでは、たくさんの高価なものを買うこと、買えることが豊かだと考えてきた人が多いと思うんですが、これからは、自分の手を使って、身体を使って、頭を使って、自分でつくることが豊かだと考える人が増えるといいなあと思います。
「買う豊かさ」から「つくる豊かさ」にシフトしていけるといいですね。
「私にできること」というのは、箸や水筒を持つだけでなく、いろんなことがありますよね。例えば、選挙権を持つ年齢になったら選挙で、環境を大事にする人に投票するとか、もし、そういう議員がいなければ、自分で立候補することもできます。
そして、誰もが何を買うか、何を買わないかを判断することができます。消費者としてできること、仕事でできること、仲間とできること、地域でできること、そういう皆ができることをやっていくことで、大きく社会が変わっていくと思うんです。
時間が残り少なくなってきたので、最後にひとつだけ話したいのは、かつての日本には、自然と共に生きる文化があったと思うんです。その一つの例が、大豆の種を3粒ずつ植える話なんです。なぜ、3粒ずつ植えるのか、その理由をこんなふうに説明しています。
「ひと粒は虫のため、ひと粒は鳥のため、そして、ひと粒は収穫のために」と。
これは、人間が虫や鳥と分かち合って生きてきた証だと思うんです。そういう自然と共に生きるということが、先ほどセヴァンが言っていた楽しく生きるとか、美しく生きるということにつながっていく、と思うんです。
それでは、最後にセヴァンから皆さんへのメッセージをお願いします。
セヴァン
私は2週間ほど日本中を回ってきて、とても勇気付けられています。本当に自分にできることを実行している人々の力強い動きがあります。個人が一人でできることって、意外とすごいのです!私たちは、環境問題を解決するためには、田舎に住んだり、あるいは先住民族の村に住んだりしなければならない、と考えがちです。
今日も、ある方に「日本の印象は?」と聞かれ、持続可能性に向けた活動が盛んでとても勇気づけれられていると答えたのですが、「それは、あなたが農村部や北海道などを回っていらしたからね」とおっしゃいました。でも実際は、私は東京の銀座でかなりの時間を過ごしています。
都会に住みながら、自分にできることを実行しているたくさんの人にそこで会いました。
私が泊まっていたホテルも、シーツを全てオーガニックコットンにしたり、省エネ型のお部屋にしたりという努力を精一杯されている人たちが経営していました。美しい、伝統的な旅館を経営することで、彼らは宿泊客に、よりエコな生き方を提案し、教育しているのです。
最も大きな繁華街の一つでオーガニックのレストランで食事もしました。また、ナマケモノ倶楽部やスロー運動も、世界で最もグローバル化された都市のひとつである東京で生まれたものです。都市は、持続可能性への移行において重要な場所です。
このハチドリ運動の最も強力なところは、ハチドリの理念そのものが、人々に自分が持っている力の大きさに気づいてもらうよう働きかけるものだというところです。
私たちは、人々に、自分を信じてください、と働きかけています。人々に、世界で起こってほしい革命や変化に自らがなってください、とお願いしています。
私は、ここに、こんなに大勢の人が集まっているということにとても感動し、勇気付けられています。皆さんも、今晩もしも何か感動したことがあったらなら、その気持ちを大切にしてください。あなたにできる小さなこと、今日の象徴にもなっているマイ箸でもいいし、あるいは会話を始めることでもいいのです。
今、その行動が意味を持つのです。
* * *
※南米に伝わる「ハチドリの話」
アマゾンの森が燃えていました。 森に住む動物たちは、われ先にと逃げていきました。
けれども、クリキンディという名のハチドリだけは、 いったりきたり。
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、 火の上に落としていきます。
それを見た大きな動物たちは、
「そんなことをしていったい何になる」
とクリキンディを笑います。 クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
* * *
ナマケモノ倶楽部へのメッセージ デヴィッド・スズキ(生物学者)
私は、ナマケモノ倶楽部の運動とその哲学を詳しく知って感動しているところです。
私たちの惑星地球は、ますます均一化する人間達の思い込みによって縛られています。その思い込みの中心にあるのは、経済こそが人類にとっての再重要事だという観念です。そしてその経済は、より速く成長し、グローバル化すればする程よいというものです。
日本という国もまた、このグローバル経済にその未来を賭けており、その国民はこの思い込みにすっぽりとつつまれているようです。しかし、皆さんも御存じのとおり、実は私たち人間の豊かさと幸せを究極的に保証するものは経済ではなくバイオスフィア、つまり生命圏なんです。このことを認識できなかったばかりに、私たちの文明は危険な方向へと迷いこんでしまったのです。
グローバル化で大騒ぎし、金儲けに忙しい私たちには、落ち着いてものを考える暇もありません。そこでは次のような重要な問いが忘れられています。
「いったいどれだけあれば充分なのか」
「幸せであるためには何が必要なのか」
「これは、あれは、本当に必要なのか」
「私たちはどこ へ向かっているのか」
そして「なぜ、私たちはこの地球に生きているのか」。
スロー・イズ・ビューティフルをモットーとするナマケモノ倶楽部は、こうした問いをひとつひとつ問うために存在しているのだと思います。問われているのは生きる質であって、量ではありません。よりよい生き方を探し出すのがナマケモノ倶楽部の仕事です。
ひとは、この地球上での良き充実した人生を終えるにあたって、何を想うのでしょう。
きっとそれは、自分が最も誇りに思い幸せに感じたこと。
それは何? 所有している高級車や、邸宅や、クローゼット一杯の服?
いえいえ、そうではないはずです。
思い出すのはきっと、自分の家族や友人達やコミュニティーの人々のこと。
そして彼らと過ごした様々な時間。
私たちの人生において重要なのはそういうことであって、どれだけ物をもっているかということではありません。
ナマケモノ倶楽部の活動は、人生において何が最も重要なのかを計り直し、選び直す絶好の機会です。私は、皆さんのそのような活動に、熱い期待を寄せています。幸運を祈ります。
デヴィッド・スズキ
2001年11月28日 横浜にて
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