事故後の対策について、班目春樹委員長は「全体として安全性がどう高まったのかわからない」と述べている。
社説:玄海再稼働問題 安全への議論足りない(毎日新聞社説)
東京電力福島第1原発事故の前と後で何が変わったのか。九州電力玄海原発2、3号機の再稼働をめぐる政府と自治体のやり取りを見ていると、こうした根本的な疑問を感じないわけにいかない。
海江田万里経済産業相は地元を訪れ、古川康・佐賀県知事や岸本英雄・玄海町長に再稼働を求めた。知事は「安全性の確認はクリアされた」とし、容認の意向を打ち出している。町長も同様だ。
しかし、再稼働を認める根拠は電源車の配備といった応急処置だ。これだけの事故を経験したにもかかわらず、耐震指針や安全設計審査指針の見直し、老朽原発の扱いにまで目配りした「福島後」の新たな安全基準を国が示しているわけではない。
再稼働問題は全国の原発立地自治体が抱えている。もちろん、稼働の是非は個別の原発ごとに判断すべきだ。しかし、玄海のケースは今後のモデルとなる可能性がある。「福島後」の根本的な安全確保のあり方をあいまいにしたまま、見切り発車するようでは困る。指針の見直しに時間がかかるとしても、せめてこうした懸念には答えるべきだ。
安全確保の信頼感を損なう一つの理由は、経産省と原子力安全・保安院の関係にある。規制機関である保安院が原子力推進の立場にある経産省に属することの弊害は再三指摘され、国際原子力機関(IAEA)からも改善を求められていた。政府はIAEAへの事故報告書に保安院の独立を盛り込んでいる。
にもかかわらず、玄海に限らず再稼働にあたって保安院が安全性にお墨付きを与え、これを基に経産相が地元に要請している。保安院自ら地元に出向いて稼働要請もしている。
独立した立場から原発の安全を守るはずの原子力安全委員会の判断は示されていない。事故後の対策について、班目春樹委員長は「全体として安全性がどう高まったのかわからない」と述べている。対策の中には原子炉建屋の天井に電気ドリルで穴を開けるという水素爆発防止策もあり、実効性に懸念も残る。
保安院は、短期的対策を総合してリスクがどれほど減ったのか判断を示すべきだ。それを安全委が独立した立場で評価することは、必要最小限の手続きではないか。
福島第1原発の事故では、事故の影響が立地自治体にとどまらず、広範囲に及ぶことも明らかになった。隣接する自治体や住民が事故のリスクを懸念するのは当然だ。政府は広く意見をくみ上げ、説明を尽くさなくてはならない。
福島の事故で「安全神話」は崩れた。その教訓を生かした手続き、そして議論が必要だ。
毎日新聞 2011年7月1日 2時32分
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玄海町長に「脱税」疑惑
原発「再稼動」の茶番劇
底の見え透いた、ばかげた振る舞いを「茶番」という。
この国の未来がかかった「原発の是非」をめぐる問題だというのに、展開されたのは玄海町を舞台にした大がかりな茶番劇だった。
主役は原発利権にまみれた町政トップで助演が九電、演出と舞台回しは大手メディアである。
だが、主役にはカネに絡む疑惑がつきまとう。
大手メディアへの苦言
4日、佐賀県玄海町の岸本英雄町長が、”予定通り”九州電力側に玄海原発2号機、3号機の運転再開を容認することを伝えた。
岸本町長は早い時期から再稼動容認の意思表示をしており、とりたてて騒ぐ話ではないはずだが、大手メディアは歪んだ玄海町政の実態を無視して、この日も大騒ぎした。まさに「茶番」だ。
当然のことながら、原発の是非を、原発利益を享受する人間に判断させることの愚かしさを報じる記事は皆無である。
茶番と知られることを恐れているのか、あるいは無能なだけなのか・・・。
「原発利権にまみれた政治家に、玄海原発再稼動のスイッチを押す資格があるのか?」。町長を含めた玄海町政の実態についてきちんと取材していれば、大きな疑問が浮かび上がるはずだが、大半の新聞・テレビはそうした報道の使命を忘れ、”同意”の文字だけを追った。取材対象の背景や人物像も知らずに、である。
周辺自治体や一般市民の声を拾ってバランスをとったつもりらしいが、どのニュースを見ても内容は同じ。画一的な報道には怒りさえ覚える。
岸本町長には、玄海原発はもちろん、原発行政そのものの未来を左右するような判断を下す資格がないことを報じてきたが、まだ足りなかったらしい。
うそぶく玄海町長
図面 岸本町長をめぐっては、町長の自宅と同じ敷地内にある後援会事務所2棟が、ファミリー企業「岸本組」の所有であり同社から便宜供与を受けた状態にあることや、633.66?に及ぶ同敷地が岸本組の創業者である故・岸本八十吉氏の名義になったままであることが判明。政治資金規正法上の問題や、税法上の疑義が生じていることを報じてきた。(図は八十吉氏名義の土地の形状と建物を示したもの)
岸本町長は、事実上の取材拒否を続けていたが、先月30日、たまたま町長室にいた本人をHUNTERの記者が直撃した。
取材に応じた岸本町長から返ってきた答えは、到底まともな政治家のものではなかった。
前段の主なやり取りは次のようなものだ。
記者:岸本町長の自宅がある土地は、岸本八十吉氏名義のまま、2棟の事務所は「岸本組」所有となっているが、これはどういうことか?
岸本:知らなかった。自分のものだとばっかり思っておりました。
記者:それはおかしい。あなたは県議時代から何度も資産を公開している。どこにも記載がないということは土地や事務所が自分の所有ではないと認識していたことになる。
岸本:いま、調査しているところですが、じつは県議時代の資産公開をそのまま写して出しておったんですよ。
記者:岸本八十吉氏が亡くなったのはいつか?
岸本:(自分が)小学校5年の時。
記者:それからずっと八十吉氏名義のままだったということか?
20110622_h01-01.jpg岸本:そういうことですかね。
記者:固定資産税はどうなっているのか?
岸本:それは私が払っている。
記者:証明できるか?
岸本:それはきちんと払ってるから・・・。
記者:相続税は払っていないということでいいか?
岸本:そのあたりはどうなっているか・・・。きちんと調査して・・・。
記者:脱税の疑いがあるが?
岸本:税金は自分(町長自身)が払ってきたから・・・。
記者:固定資産税の課税権は玄海町にある。あなたはそこのトップだ。公人として、極めて不適切な状態ではないのか?
岸本:言われるところは良く分かってます。
(問答はまだ続くが、後日、取材中の別の疑惑とともに別稿で紹介する。)
したたかな政治屋である。自身の資産公開の内容と、実際の不動産所有者が違っているにもかかわらず、平然と「知らなかった」と言い放ち、矛盾を衝かれると資産公開そのものがいい加減だったと開き直る。さらに都合が悪くなれば、「調査中」だと言う。
これが岸本英雄という人物の本当の姿なのだ。
藪の中
問題は、岸本町長の自宅がある土地(東松浦郡玄海町大字長倉1553番1)の名義なのだが、63歳になる町長の話が事実だとすれば、所有権者の岸本八十吉氏が亡くなって50年以上が経過していることになる。
ところが、問題の土地は昭和52年に1554番1の土地と合筆されており、この時も所有権者は故・八十吉氏のままだ。
登記簿
故意に所有権を故人の名義のままに放置したとしか思えないが、この点について岸本町長は「調査中」として話をはぐらかすばかり。固定資産税にしても相続税にしても、藪の中といった状況だ。
こっそり資産公開内容を訂正
姑息なのは、平成21年分の資産公開では、故・八十吉氏名義の土地については何の記載もなかったのに、取材を始めた後の6月30日に公開された町長の平成22年分資産公開資料が訂正されていることだ。
訂正されたのは6月28日で、所有不動産として「東松浦郡玄海町大字長倉1553番1」の土地633.66?が書き加えられていた。備考欄には「八十吉氏名義」と明記されている。
この駆け込み訂正は、疑惑を指摘されたためとしか考えられないが、訂正についての正式な発表はされていない。
「脱税」疑惑に答えぬ町長
いずれにしても問題の土地は、登記上は相続されておらず、「脱税」の疑いが残ったままだ。そうした疑問を町長や役場の総務課にもぶつけているが、否定する材料は提示されていない。
「脱税」を指摘されても否定できない町長。これでもこの人物に原発の是非を決する権限があると言うのだろうか。一躍時の人となった岸本町長だが、この人に原発を語る資格などないことを改めて断言しておきたい。
前述のとおり町長をめぐる疑惑はこれで終わりというわけではない。別件については現在、町長側の正式な回答を待っている状態であることを付け加えておきたい。
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