6月14日に福岡で、100万人のキャンドルナイトの一環として「ピースローソクふくおか」というイベントを開催した。
初めに参加者が皆でミツロウのローソクをつくった。それを灯した会場で、エクアドルの先住民(キチュア族)であるルイス・タビさんが日本国憲法第9条からインスピレーションを得て、故郷の美しい自然のなかで創った曲「この地球(ほし)に平和を!」を演奏した。
とても遠い東の空の下で
わたしは多くの人々と出会った
この地球(ほし)に生きるすべての「いのち」を慈しみ
惜しみなく愛情を注ぐ人たち
かれらは戦争放棄の道を選ぶ
平和を求めることを願い
あらゆる問題を力ではなく、非戦の思いと深い愛で乗り越える
このほしは、この母なる大地は
もうずっと悲鳴をあげている
皆でつながり、歩き出そう
この地球(ほし)の平和を見つけるために
この歌を聴きながら私は、キャンドルナイトのルーツを思い起こしていた。
2001年5月、世界最大のエネルギー消費国であり、地球温暖化ガスの排出国である米国のブッシュ大統領は、京都議定書に反対しただけではなく、景気をよくするためにどんどん発電所をつくっていくぞ、というエネルギー政策を発表し、アラスカの野生生物保護区での石油、ガス開発や原発推進まで表明した。
これに対して「6月21日(夏至)の夜の3時間、世界各地であらゆる電源を止め、暗闇の中で静かにエネルギーについて考えてみませんか」という自主停電の世界的な市民運動が展開され、ナマケモノ倶楽部もこれに参加した。世界の多くの取り組みは、この年だけで終わったが、ナマケモノ倶楽部は、その後もゆっくりと続けていった。カフェスローでは、それ以後、毎月「暗闇カフェ」を継続している。
2002年は、非電化をテーマに「アンプラギング・パーティー」を開催。原発事故の放射能で汚染された村の映画『アレクセイと泉』の本橋成一監督を迎えて語り合ったり、大地を守る会との共催で「かつて電気や電化製品のない時代に活躍していたスグレモノを展示したり、非電化除湿機をお披露目した。自然エネルギーの市民共同発電所計画も発表された。
こうした取り組みを続けていくなかで、私たちは感じ始めていた。
電気を消した暗闇のなかでこそ、見えてくるものがあることを。
アンプラグとは、ただプラグを抜いて節電することではなく、それは同時に何か新しいつながりの発見をも意味していることを。
その年の秋頃だったか、大地を守る会の藤田和芳会長から「来年は全国に広く呼びかけて、自主停電運動に取り組みたい」と電話がかかってきた。
2003年、100万人のキャンドルナイトには、500万人が参加した。
何がそれほど多くの人々を引きつけたのか。
暗闇、そして、火。
そのどちらもが現代社会から遠ざけられてきたものではなかったか。
100万人のキャンドルナイト呼びかけ人代表の辻信一さんは、今年、こんな呼びかけ文を書いている。
30年ほど前、火力発電所の建設反対運動にとり組んでいた作家の松下竜一さんが、「反対しながら電気を使っているのか」という匿名の嫌がらせ電話を受けて、ふと家中の電気を切ってしまったことがある。
「なあ、とうちゃんちゃ。なし、でんきつけんのん?」と問う子どもに松下さんは答える。「うん。窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
この夜の「自主停電」がきっかけとなって、松下さんは大まじめに「暗闇の思想」ということを考えるようになったという。時は高度成長経済の時代、日本列島改造の最中だった。こんな時だからこそ、「暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないか」、と。
それから30年、ぼくもまた松下さんのように、電気を消してしばし暗闇の中に自分を浸してみようと思う。地球温暖化が悪化しようと、石油のために戦争が繰り返されようと、原発のために核廃棄物が増え続けようと、経済成長のためには、どんどんモノをつくり、煌々と街を照らし、せっせと消費し続けることが美徳だと相変わらず信じられている。
人と人が、人と自然とがこれほどまで暴力的に引き裂かれているというのに。電気を消してスローな夜を過ごす。頭を冷やしてみよう。星が見えるかもしれない。蛍が見えるかもしれない。愛する人々と身を寄せ合って、小さなローソクの火を囲んでみよう。本当の豊かさが見えるかもしれない。
ナマケモノ倶楽部会員であるカナダのセヴァン・スズキから、先月、メールが届いた。そこには、米国防省がホワイトハウスに以下のような報告を提出したと書いてあった。「気候変動によって各国は不安定な状況になり、希少な資源を奪い合い始めるだろう。このため、気候変動は、テロリズムよりも米国の安全にとって大きな脅威をもたらす可能性がある」
わたしたちは、かつてない、時代に生きている。
さあ、明日からがキャンドルナイトの本番です。
あなたもピースローソクを灯してみませんか。
中村隆市