4月6日(金)の朝日新聞(夕刊)に非電化についての記事が掲載されたのでご紹介します。
ニッポン 人・脈・紀 ゆっくり5
愉しく非電化しませんか モンゴルより日本でこそ
21世紀に入って7年になる。
20世紀は「戦争の世紀」「物質文明の世紀」。そして、「経済成長至上主義で、利己主義で、物欲主義の世紀」でもあった。
「そんな20世紀の終わりに私たちは猛反省をしたはずですよ」発明企業家藤村康之(62)には今日の姿が腑に落ちない。
「21世紀はもっと環境とか、心の豊かさとかを重視する世紀に切り替えなくちゃいけないと総括したはずだった。なのに、みんなコロリと忘れたように何でも電化、何でもコンピューター。これにグローバル化がセットになって、ばく進している」
その時流に、藤村は電気を使わない「非電化製品」という選択肢を提案する。
例えば「非電化冷蔵庫」。ステンレスで貯蔵室を作り、その周りに水をたっぷり充填する。「空冷」よりずっと熱が伝わりやすい「水冷」。水に伝わった熱は冷蔵庫上部の放熱板から、放射冷却の原理で外に逃がす。そんな仕組みだ。太陽の当たらない屋外に設置すると、真夏の昼でも庫内を7?8度に維持できる。
ベルトとブラシを巧みに組み合わせ、小麦粉まで拾えるようにした「非電化掃除機」や、除湿剤の使い捨てをしない「非電化除湿器」など、非電化さまざま。
「非電化は愉しい。ちょっと不便でも、電気が節約できる。構造が簡単だから自分で修理でき、長持ちする」
藤村は、息子のぜんそく症状を機に大手機械メーカーの研究室長を辞めた。39歳。仕事の軸を「地球環境」「子どもの安全」「こころの豊かさ」に移した。
独立半年後に「イオン式空気清浄機」を開発して大ヒット。以後、非電化一筋。その目を途上国に向けた。
モンゴルで非電化冷蔵庫を作ると、草原の遊牧民は「夏でも羊肉が腐らない」と大喜びだった、いま26カ国からお呼びがかかる。
そんな藤村に、「日本でこそ非電化をやるべきじゃないか」と言った男がいた。
有機コーヒーの「フェアトレード」にいち早く取り組んだ福岡県水巻町の中村隆市(51)である。
フェアトレードは、環境破壊をしない技術や原料を使った途上国の産品を直接買い入れ、先進国で販売する。生産者の支援と自立を目的とした仕組みである。
中村は若い頃、反骨の作家、松下竜一に出会った。
「環境権」を掲げて九州電力の火力発電所建設と裁判で闘った松下の、貧乏生活も敗訴すらも笑い飛ばすユーモア精神。「誰かの健康を害してしか成り立たないような文化生活なら、その文化こそ問い直さねばならない」。そう語った松下を道標に、中村はチェルノブイリ被爆者支援へ、さらに途上国支援へと向かう。
ブラジルで松下の言葉を有機コーヒー栽培で実践しているようなカルロス・スランコを知る。
00年、中村はカルロスとブラジルで「国際有機コーヒー・フェアトレード会議」を開く。中村が日本をたつ直前、コーヒーの販売先の一人だった藤村から電話があった。「僕も行く」と藤村。
2人は24時間の飛行中、寝ずに話し続けた。
中村 「エネルギーを大量に使う日本で『非電化』をやらないでどうするんですか。環境にいいことなら、やる人間は大勢いる」
藤村 「いや、いない」
中村は正しかった。藤村の非電化製品は日本で150品目を超えるまで広がる。
中村は、インターネットで「スロービジネススクール」を展開する。藤村は全国4ヶ所で「発明起業塾」を主宰する。いずれも若い世代の反応が強く、熱い。
発明起業塾を出た京都府向日市の木村晶朗(43)は「脳波フィードバックシステム」を開発、起業した。パソコンに接続した脳波計で脳波を計り、その人にあった音楽と画像を流してストレスを軽減する。いかにも今日の競争社会は気苦労、心労だらけといわんばかりの発明である。
(都丸修一)
2007年4月6日 朝日新聞 夕刊