西日本新聞連載 「原発と国家 電力の覇権 民意誘う多数派工作 」

原発と国家 第4部 「電力」の覇権  民意誘う多数派工作
(西日本新聞 9月2日朝刊)

東京電力福島第1原発の運転開始から2年がたった1973年、反公害運動の高まりを背景に原発増設への不安が広がっていた。国は初の公聴会を第2原発建設計画があった地元で開き、原発を推進する側は賛成の”民意演出”に手を染める

波乱の幕開けだった。会場となった農業共済会館は早朝から500人以上のデモ隊に取り囲まれ、機動隊ともみ合った。「ごまかし公聴会粉砕」。ヤジと怒号が飛ぶ。

外の騒ぎをよそに、地元町長や議長らが「町の発展には原発が必要」と訴えた。「広島の高校が甲子園で優勝したから放射能は大丈夫」。そんな陳述さえ飛び出した。

公聴会は国の原子力委員会が2日間の日程で開いた。1日約200人の定員に対し、事前に申し込みがあった傍聴希望者は約1万6千人。反対派の楢葉町の住職早川篤雄(71)は「希望者が1万人以上もいるはずがない。町や電力が下請け業者も使って申し込んだんだろう」。

申し込みはがきの中には、宛名が印刷されていたものがあった。希望していない住民に傍聴許可の通知が届いたこともあったという。

意見陳述の希望者は約1400人で事前選考を経て陳述した40人のうち賛成は27人。「多くの推進派の意見を多くの傍聴人の前でしゃべらすことを演出するために、仕組んだに違いない」。反対意見を述べた立命館大名誉教授の安斎育郎(71)はそうみている

当時、会場にいた東電元副社長桝本晃章(73)は「会社にとっての一大事。社員が会社を休んで自主的に行ったことはあった。当時はおおらかだった」と振り返った。

原発に対する逆風下での多数派工作は、その後も繰り返される。99年に茨城県東海村で起きた核燃料加工会社JCOの臨界事故の直後。北海道電力泊原発3号機の増設の是非を問う道主催の会合を前に、北電の工作が発覚した。

「厳秘」と指定し、原子力広報チーム名で出された社内文書。道内5カ所で開く予定の聴取会について、各会場30人程度の賛成陳述人の応募や、傍聴人の半数の動員を社員に求めていた

道が実施していた意見募集には5千件を目標に賛成意見を郵便や電子メールで送るよう指示。「風力や太陽光などでは電気を確保できない」「原子力の時代がくる」。会社員、パートなどの職種別に賛成意見の「ひな型」を用意する念の入れようだった。

2008年のプルサーマル計画をめぐるシンポジウムでも、社員に参加と推進意見の表明を指示する文書をメールで送っていたことが今年8月に発覚した。

同じ手法は福島第1原発事故の後、九州電力玄海原発2、3号機の運転再開をめぐり7月に明るみに出た「やらせメール」問題でも再現された。

梅雨の曇り空が広がる6月21日昼。佐賀市内のそば店で、九電の当時の副社長段上守(66)と佐賀支店長ら3人は、面会した知事の古川康(53)の言葉を思い返していた。

話題は5日後に迫る原発再開についての国主催の説明番組に及んだ。「再開容認の立場からもネットを通じ意見や質問を出してほしい」。知事の言葉が3人に重く響く。段上の指示を受けた支店長が手帳の殴り書きをもとにまとめたメモは、賛成意見を番組に送るよう依頼するメールに添付され、100人近くに送られた。

九電は昨年、県が支援する医療施設の建設費150億円のうち、40億円を寄付すると公表。世論誘導の背景に電力と自治体の蜜月が見え隠れする

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次