泊原発廃炉求め612人が北電を提訴…福島の悲劇、二度と 

泊原発廃炉訴訟:福島の悲劇、二度と 原告に避難者や主婦 /北海道
(毎日新聞 2011年11月12日 地方版)

 ◇「子供たちに安全を」

 札幌地裁に11日提起された泊原発廃炉訴訟。原告は612人に上り、被災地からの避難者や主婦、中学生ら、これまで「反原発」に携わっていなかった市民も名を連ねた。「早く原発をやめさせていれば、福島の事故は起こらなかった」 原告の多くは怒りと同時に、深い後悔を胸の内に抱える。【金子淳】

 「友人は散り散りになり、故郷は奪われた。北海道の人に同じ思いをしてほしくない」。避難者としてただ一人、訴訟に加わった主婦、宍戸隆子さん(39)は、福島県伊達市から一家で札幌に引っ越して来た。出身地は福島第2原発がある富岡町。父は東京電力の下請け会社で原発作業員として働いていた。

 高校生だった89年、同原発の原子炉内に大量の金属片が混入するトラブルが起きた。不安を感じたが、同級生たちは「爆発したらみんな死ぬからいいべ」と冗談を言い合っていた。「大事故なんて起こるはずない。当時はみんなそう思っていた」。だが、そんな思いは震災でかき消えた。

 3月11日。宍戸さんは勤務先の事務室で揺れに襲われ「原発もただでは済まない」と直感した。小中学生の子供2人を連れて自宅に戻り、放射性物質を防ごうと家中の窓にガムテープで目張りした。福島第1原発の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ映像を見て「起こるものが起きた」と感じ、子供を守るため6月に避難を決めた。

 原告団に入ったのは、何もしてこなかったことへの贖罪(しょくざい)の気持ちからだという。表立って反原発を叫ぶことに抵抗を感じる避難者も多いが「福島にはもう帰れないから」と覚悟を決めた。「原発を止められなかった自分が悪い。でも、泊原発は止めようと思えば止められる」

 江別市の主婦、樋口みな子さん(62)が原告になった理由も「無関心への反省」だ。86年のチェルノブイリ原発事故の直後に子供を授かり、友人らと勉強会を開いたこともあるが、いつしか原発に関わらなくなった。「日本では事故なんて起こるわけがない、という気持ちもどこかにあった」と振り返る。

 震災で状況は一変した。被災者の話を聞くたび「あの時もっと頑張っていれば」と後悔が募る。7月、原告団の母体「泊原発の廃炉をめざす会」の設立とともに入会し、原告になろうと決めた。「泊原発があるだけで不安。子供たちに安全を残したい」。訴訟に懸ける切実な思いだ。


泊原発:廃炉求め612人が北電を提訴…稼働中は初
(毎日新聞 2011年11月11日 20時35分)

 北海道電力泊原発(泊村)の安全性に問題があるとして、道内外の612人が11日、北電を相手取り原子炉3基すべての廃炉などを求める訴訟を札幌地裁に起こした。原告側弁護団によると、同様の集団訴訟は東日本大震災以降、全面停止した中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)で2件起こされたが、稼働中の原発では全国初。

 訴えたのは学識者らが7月に結成した「泊原発の廃炉をめざす会」の呼びかけに賛同した住民ら。福島県からの避難者や道内在住の米国人もいるが、泊村民はいないという。

 訴状では、福島第1原発事故について「これまで安全確保の根拠とされた安全指針類が不十分なことが明らかになった」と指摘。泊原発は原子炉設置許可後に新たに周辺の活断層が見つかったなどとして「存在自体が原告らの生命・身体に危険を生じさせている。廃炉にしない限り、人格権の侵害は継続される」と主張している。

 北電は「安全性などの主張を尽くし、裁判所の理解を得られるよう適切に対応したい」とコメントした。

 泊原発を巡っては、88年に近隣住民らが運転停止などを求め訴訟を起こしたが、99年に敗訴が確定している。【金子淳】

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