福島第一 吉田所長退任へ 体調不良で入院
(2011年11月29日 東京新聞朝刊)
東京電力は二十八日、福島第一原発の事故発生から現場を指揮してきた執行役員の吉田昌郎同原発所長が十二月一日付で所長職を退任し、原子力・立地本部付になると発表した。病気が見つかったためで、十一月十五日に原発を離れ、二十四日から入院している。
東電によると、吉田氏は同月中旬に健康診断を受け、病気が見つかった。二十一日に吉田氏が西沢俊夫社長に伝えた。東電は二十八日、国に報告した。
東電は、吉田氏の病名や被ばく線量を「個人のプライバシー」として明らかにしていない。被ばくとの因果関係は「主治医は無関係と判断しているが、確定していない」と説明している。
吉田氏が作業員にあてたメッセージは公表した。「残念ながら重要な時期に(現場拠点の)免震棟を去らざるを得ない。皆さんと別れるのは断腸の思い。迷惑をかけ、おわびする。発電所を安定化させるべく健闘することを祈る」と書かれていた。
吉田氏不在の間は、上司に当たる小森明生常務らが現場を指揮している。後任の所長は高橋毅原子力・立地本部運営管理部長で、十二月一日付で発令。同原発での勤務経験があるといい、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「収束作業や現場作業員の士気には影響しない」との見通しを示した。
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細野豪志原発事故担当相は二十八日夜、東電福島第一原発の吉田昌郎所長が病気療養のため退任したことについて、都内で記者団に「放射線の影響ではないことは確認できている」と述べ、被ばくによる症状ではないと説明した。
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福島第1原発の吉田所長が病気のため退任へ
(2011年 11月 29日 ウォールストリートジャーナル)
【東京】東京電力は28日、福島第1原発事故から8カ月間にわたって現場で事故収束作業に当たってきた吉田昌郎所長が体調を崩し退任すると発表した。同社は、健康上の問題が被曝線量との因果関係はないものと思うとしている。
同原発はあと1カ月弱で、冷温停止に達し、損傷を受けた原子炉を低温下で完全にコントロールできるようになる見通しだ。
東電は、吉田所長の病名やどの程度入院するかなどについてプライバシーを理由に明らかにしていない。同所長はここ2週間、原発に行くことができず、24日に入院した。同所長は作業員に向けたメッセージで、「医師の判断で急きょ入院治療を余儀なくされました。このような状況で発電所長を続けることはできず、残念ながら重要な時期に免震棟を去らざるを得ません」と述べた。
後任は高橋毅・原子力運営管理部長で、12月1日付で就任する。
今年3月11日に危機が始まって以来10月31日までに、同原発では250ミリシーベルトの上限被ばく量を超えた6人の作業員が現場を離れている。日本での年間平均被ばく量は約1ミリシーベルト。原発の作業員数は通常約3000人で、数字が入手可能な最新の期間である8月末までに延べ1万6000人以上が作業に当たっていた。
吉田氏は昨年6月に所長に就任した。原発がマグニチュード9の地震と15メートルの津波に襲われ、原子炉を冷却するための電源を喪失、原子炉中心部分に甚大な被害が生じたときに、事故被害の拡大を防ぐのに大きく貢献したとみられている。
同氏は今月12日、記者団に、原子炉のコントロールを完全に失うのではないかと恐れた。「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」と話していた。東電広報担当者によると、同氏は免震棟に日夜とどまり、数千人の作業員が損傷を受けた原子炉修復に当たるのを直接指揮した。
吉田所長とそのチームは、煙やがれき、それに被ばくの恐れといった障害を乗り越えながら原子炉の冷却を目指した。事故発生の当初の全般的な相互不信、政府と東電との間の協力の欠如の中で、当時の菅直人首相は現場の状況把握で同所長に頼ることになった。
見解の相違を恐れずに率直な物言いをするとの評判の吉田氏は、1号機への海水注入を停止するようにとの東電本社の命令を無視した。この判断は後に、より深刻なダメージを回避できたと称賛された。
作業員へのメッセージで同氏は「皆さんとこのような形で別れることは断腸の思いですし、ご迷惑をお掛けすることになり心よりおわびいたします」などとしている。
記者: Mitsuru Obe
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福島第1原発の吉田所長、病気療養で交代 「断腸の思い」
(2011/11/28 日本経済新聞)
東京電力は28日、福島第1原子力発電所事故後、現場で収束に向けた陣頭指揮を執っていた吉田昌郎所長(56)が病気により入院し、来月1日付で退任すると発表した。病名などについて、東電はプライバシーを理由に公表していない。吉田所長は原子力・立地本部付となる。後任は高橋毅原子力運営管理部長(54)が就任する。
細野豪志原発事故担当相は28日、記者団の取材に「(吉田所長には)しっかり治してまた現場に戻ってもらいたいと話した。(収束作業は)ほかのメンバーが役割分担できるので、現地や東京でのサポート体制も含め十分に対応できると思う」と述べた。
東電によると、吉田所長は今月14日まで同原発で勤務、今月中旬に受けた健康診断で病気が見つかり、15日に離れた。12日に原発内で初めて記者らの取材に応じ「冷温停止に向かって丁寧に説明していく」と話していたが、3日後には職場を離れたことになる。
吉田所長は21日に西沢俊夫社長に入院加療が必要と申し出て、24日に入院した。経済産業省原子力安全・保安院は28日の東電発表まで病気療養の事実を把握していなかったという。
東電は病名のほか、放射性物質の被曝(ひばく)線量について「公表できない」とし、病気と被曝線量との因果関係も「ないものとみているが不明」と話した。
東電は吉田所長が第1原発の作業員らに宛てたメッセージを発表。「震災以来一緒に仕事をしてきた皆さんとこのような形で別れることは断腸の思い」などと記している。
後任の高橋氏は2007?10年まで福島第1原発でユニット所長を務めた。東電は「第1原発をよく知っており、事故収束のために適任と判断した」と説明している。
藤村修官房長官は同日の記者会見で、「第1原発の事故収束に影響がないよう政府として注視していきたい」と述べた。
東京電力は28日、福島第1原発の吉田昌郎所長(56)が病気療養のため、12月1日付で原子力・立地本部に異動する人事を発表した。既に入院している。3月の事故後、収束に向けた現場作業の陣頭指揮を続けてきた。
最近受けた検査で病気が見つかったが、東電はプライバシーを理由に病名や被ばく線量は公表していない。被ばくとの因果関係は指摘されていないという。後任は高橋毅原子力・立地本部原子力運営管理部長(54)。
東電は吉田所長が作業員に宛てたメッセージを発表。「医師の判断で入院治療を余儀なくされた。震災以来一緒に仕事をしてきた皆さんとこのような形で別れることは断腸の思い」としている。
吉田所長は2010年6月から第1原発所長。
藤村修官房長官は28日の記者会見で、吉田所長の異動に関し「原発事故の収束に影響がないよう政府としても十分に注視していきたい」と述べた。
毎日新聞 2011年11月28日 16時04分(最終更新 11月28日 16時58分)
吉田所長は白い防護服姿で取材に応じ、「3月11日から1週間で死ぬだろうと思ったことは数度あった」と事故直後を振り返った。
吉田所長は、最初に1号機で爆発があった時のことにふれ、「どういう状況かわからず、最悪、格納容器が爆発して放射能が出てくることも想定した。メルトダウン(原子炉内の燃料が溶けて底に落ちる炉心溶融)が進んで、コントロール不能になってくれば、これで終わりだという感じがした」と述べた。
危機的な状況からいつごろ脱したと感じたかについては、「6月いっぱいまでかなり大変な思いをした。本当に安定してきたのは7、8月」と明かした。
第一原発の現状に関して、「原子炉は安定している。周辺の住民の方が安心していただける程度には安定している。しかし、作業するにはまだまだ厳しい状況にある」と述べた。
また事故を起こしたことについて、深刻な面持ちで「福島県のみなさま、日本国民のみなさまにご不便、ご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げたい」と話した。
吉田所長の取材は約15分。事故時の詳しい状況も政府の調査に応じていることを理由に答えなかった。