脱原発世界会議で訴えた福島の小学4年生の言葉
(YouTubu 動画)2分14秒くらいから抜粋
このように僕たちを苦しめた原発は、とても危なく危険なものだと
子どもたちもわかっています。
原発より安全なエネルギーはあると思います。
そして、そのエネルギーは僕たちを苦しめることはないと思うのです。
国のえらい人たちに言いたいです。
大切なのものは、ぼくたちのいのちですか? それともお金ですか?
ぼくは病気にはなりたくありません。
ぼくには将来の夢があります。それは、科学者など専門家になって
環境にやさしいエネルギーの開発や、何か人の役に立つ仕事をしたいです。
その夢をかなえるため、ぼくは健康で暮らしたいです。
ぜったい、ぜーったい死にたくありません。
なので、みなさん、原発は子どもたちも、いらないと思います。
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福島第1原発:故郷応援したい 避難の小4のブログ話題に
(毎日新聞 2012年1月12日 11時56分)
東京電力福島第1原発事故で横浜市に避難した小学4年、富塚悠吏(ゆうり)君(10)が、故郷・福島県の人々を応援するブログを開いている。「小学生だけれど、福島に残った人と出た人の懸け橋になりたい」と思いを込めた。14日、横浜市に専門家や被ばく者らが集まる「脱原発世界会議」の開会式で、子供ではただ一人登壇して考えを語る。【馬場直子】
「こんにちは 僕たちは、3・11のとき福島県にいました」「『何か、僕たちにもできることはないか』そうしてこの会を立ち上げましたので、子どもたちからの応援など更新していきたいと、思います」。昨年10月、富塚君が始めたブログ「福島子どもから支援 関東」は、こんな文から始まった。
郡山市の学校にいた時、震災に遭った。余震も続き、その日は駆けつけた両親とともに、玄関に最も近い教室に1泊。翌日、ニュースで福島第1原発の爆発を知った。
帰宅してから、インターネットで「原子力」「核」などのキーワードを検索してみた。調べれば調べるほど怖くなった。死者が出て、欧州にも放射能汚染が広がった旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)が最も衝撃だった。その後、福島の事故も同じ「レベル7」と判断された。
放射線の影響を避けるため、ガソリンを入手できた3月23日、母千秋さん(40)と川崎市の実家に行き、4月から横浜市青葉区の団地で暮らす。新しい学校で千秋さんは差別を心配したが友達もできた。宿泊体験学習で実行委員を務め、学校に溶け込んだ。パソコンクラブの活動が楽しい。
何度か、郡山市に残って不動産業に携わる父政治さん(37)に会いに行った。公園に子供の姿はなく、草花は手入れがされず枯れていた。自分が今いる場所と、見えない壁を感じた。元の学校の4年生のクラスは3から2に減った。
ブログ(http://fukusimakodomosien.blog.fc2.com/)は福島への応援メッセージを募集し、掲載している。自分に共感してくれるコメントはうれしい。「福島の人や東京の人、避難している人、いろんな人に見てほしい。福島と、それ以外の人の差をなくしたい」。周りの助けを借りて、福島の子が夏休みなどに県外で過ごすキャンプもやりたいと思う。
脱原発を発信する「世界会議」は、約20カ国の45人がゲストスピーカーとして出席。福島はじめ原発や核処理施設を抱える地域の人々も参加する。実行委員会に富塚君を推薦した「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の吉野裕之さん(45)は「大人に言われてでなく子供もできることがあるとブログを始めた、自主性が素晴らしい」と話している。富塚君は、世界会議で「子供も福島を応援したいという気持ちを持っていること」を伝えたいという。