「考・原発 私の視点」 井戸謙一
(2012年2月4日 西日本新聞 朝刊一面)
金沢地裁裁判長として2006年3月、北陸電力に志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた。「電力会社の想定を超えた地震によって原発事故が起こり、周辺住民らが放射線被ばくする具体的可能性がある」と認めた判決から5年。福島第一原発事故が起きた。
「いろんな思いがあり一言では言えないが、現実的なリスクがあると思って差し止め判決を出したわけだし、そのリスクは全国の原発にもある。一方で、事故を起こさず廃炉を迎えるのではないかとの思いもあった。恐れていたことが現実になってしまった。自分の甘さを思い知らされた」
「大阪高裁の裁判官室で揺れを感じ、次の日はテレビにかじりついた。原発が爆発したときは、建屋だけとは思わず、首都圏は人が住めない、放射能が大量にやってくると覚悟した。政府は事故対応にもたつき、国民を放射能から保護することもできず、ほったらかしにした。こんな国だったのかと衝撃を受けた」
原発建設が加速した1970年代以降、原発の危険性を訴え、設置許可取り消しや運転差し止めを求める訴訟が全国で起きたが、ごく一部を除き、「住民敗訴」の連続。一審で、稼動中の原発の運転中止を命じる唯一の判決が出た志賀原発2号機の運転差し止め訴訟は二審で原告が逆転敗訴、最高裁で確定した。
「科学的問題や国の根幹をなすエネルギー政策を素人の裁判官が決めて良いのかという、そういう空気が社会にあった。最高裁では専門家の判断を尊重すべきだと言う議論が優勢で、へ理屈をこねてでも原発を止めないという最高裁の意思が透けて見えた。どうしても一歩引いてしまう感覚が現場の裁判官に強かった」
「裁判所は事後救済ではある程度の役割を果たしてきた。原爆症認定訴訟や薬害訴訟では原告側が勝つケースも多い。ただ、被害が出ないうちに事前に差し止めることにはかなり慎重だ。抽象的危険があるだけでは差し止めはできない。災害防止上支障のないもの、という国の設置許可の要件は絶対的な安全を要求しているものではないと解釈されている。求められる安全は99%なのか、99.9%なのか、と数字では線を引けず、具体的な危険を示すのが非常に難しい」
事故後、九州電力玄海原発など原発の運転停止や廃炉を求める訴訟が各地で相次ぐ。自らも脱原発の弁護団に参加。原発に関して国策追認との批判もある裁判所を外から見つめる。
「司法に対する落胆や幻滅感が広がっていると感じる。事故が起きた責任の一端は司法にある、原子力ムラは官政財に学者と大手マスコミ、それに司法を加えた六角形だ、と言う人もいる。司法への批判は、司法に対する期待の裏返しかもしれない。行政、立法への不信感が大きくなる中で、司法が健全性を取り戻し信頼感を得ないと日本の国家システムは危機にひんする」
「裁判官の判断には、世の中の空気感みたいなものが影響する。国民の中でこれだけ、原発はこりごりと思う人が増えている。裁判官はそういうものを感じている。これからの判決の中で見えてくるはずだ」
弁護士 井戸謙一さん
いど・けんいち 1979年に裁判官に任用され、2002年から06年まで金沢地裁裁判長。11年3月に退官し、弁護士登録。滋賀県彦根市に事務所を構える。堺市出身。57歳。
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◆放射線懸念 「学校疎開」求め申し立て
(2011/06/25 風の便り)より抜粋
郡山市民が原告となって「被ばくのおそれがある学校から生徒の疎開を求める」仮処分裁判が提訴されました。代理人の1人は、金沢地裁の裁判長として、志賀原発差止の判決を下した井戸謙一さんです。
「被ばくのおそれがある学校から生徒の疎開を求める」、そんな申し立てが24日、裁判所に行われました。原発事故で子どもを集団疎開させるべきか、司法の判断を求める初めてのケースです。
「今、行政は速やかに学校ごと疎開するという決断をすべきであると考えます。未来を見据えて、放射能の迫害から子どもたちの生命・健康を守ることを最優先の課題とすべき緊急事態なのであり、この点をご理解いただきたいと思います」「子どもたちを守るためには、外部被ばくおよび内部被ばくを抜本的に改善した新たな環境を子どもたちに提供するしか方法はない」(井戸謙一弁護士)