生きる元気 くれた自然
(2012年04月10日 朝日新聞)
■赤村スローカフェ クリキンディ店長 後藤彰さん
2011年3月11日の大震災とそれに伴う福島第一原発の事故。私にとっては、大げさではなく「人生観、文明観がひっくり返った」出来事だった。次々に爆発する原発、拡散する放射性物質。被災地の状況や亡くなられた方のことを知るにつれ、虚無感に覆われていった。これまで積み重ねてきたことが一瞬にして無に帰していく。そんな事態を思いながら「何をやっても無駄では」との感覚が強烈にあった。身体にも気持ちにも力が入らず、自給用の田畑の作業に着手できない自分がいた。
しかし、時は積み重なり「種まきの時期」が嫌でも来る。「播(ま)かない種は出ない」のだ。4月中頃に入り「自然のリズム」に背中を押されるようにして重い腰を上げ、徐々に種まきや田んぼの整備などの仕事に取りかかった。晴天の下で身体を動かし、汗を流し、風を感じ、鳥の声を聞く。静かな空間の中での作業は気持ちが良く、心身ともに癒やしをもたらしてくれる。
田植えも終わり、稲の生育も盛んになりだした頃だろうか、不思議と「虚無感」が薄らいでいった。自然や田畑から生きる元気をもらった。
僕が赤村で農的営みをしているのは、農村を営業仕事で回った経験が大きい。農家と直接話す仕事を通し、自然の中に生き、暮らしや食べ物を自給する底力を感じた。「買う」だけではない、自ら育てる、手作りしていく文化の大切さ。そこに本当の豊かさがあると感じ、自分も実践者になりたいと強く思った。
そんな折に有機栽培コーヒーのフェアトレードに取り組むウインドファームの中村隆市氏から「赤村でオーガニックのカフェを作り、長期的にはお金に依存せず生きていけるエコヴィレッジを作りたい。一緒にやらないか」と、誘ってもらった。「問題ではなく、こたえを生きる」。この口説き文句が、背中を押してくれた。こうして僕は赤村にたどり着いた。
赤村では、古い民家をお借りし、シンプルな暮らしを営んでいる。米や野菜をほどほど自給しつつ、季節の山菜、野草を食べ、梅干しやみそ、こうじを手作りし、お風呂やストーブは燃料を薪に頼る。庭に畑があり、野山には山菜や野草があるため、冷蔵庫も置かず、畑を見てから料理をする。お金ではなく、自然に依存するライフスタイルは、心地よく安心感がある。「自然が生かしてくれる」のだ。
しかし、福島第一原発の状況は現在も予断を許さず、放射性物質で汚染された大気や海、大地は傷みつづけている。大惨事を引き起こしながらも「経済のためにはエネルギーの安定供給が必要だ」と、原発の推進や再稼働の動きが盛んだ。
この状況下で、虚無感に覆われることもある。しかし、今こそ「問題ではなく、こたえを生きる」ことを貫きたいと強く思う。「私が生きる意味は」「自然に生かされるとは」などを問い、具体的な変化を現実化していきたい。
農村営業時代に感じ、3・11以後の流れの中で深めてきた思いや実践を「半農半スロービジネス」「構造的平和」をキーワードにして、ご紹介したい。
(写真:田んぼのならし作業をする後藤彰さん。できるだけ機械を使わずに耕している=後藤さん提供)
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後藤さんは1977年、東京都稲城市出身。月刊誌「現代農業」を発行する農文協勤務を経て、2006年からウインドファームのスタッフとして赤村在住。「赤村スローカフェ クリキンディ」店長。