世界で最初に有機コーヒー栽培に取り組んだ国、メキシコ。この国では、 20部族以上もの先住民族が、伝統的にコーヒーを栽培してきたと言われている。彼らは、豊かな森でコーヒーを育てながら、独自の文化や伝統を築いてきた。
しかし、コーヒーの国際市場価格の低迷や大企業による買い叩き、それに加え、貧困などの社会問題によって、こうした伝統的な栽培方法や文化は失われつつある。
プエブラ州の雲霧林
そんな中、コーヒー生産者たちと共に豊かないのちの森を守ろうと闘う一人の女性がいる。彼女の名前は、パトリシア・モゲル。生物学者でもあり、環境活動家でもある彼女は、メキシコの「アグロフォレストリー(森林農法)」(※注1参照)研究の第一人者であり、現在は、メキシコのプエブラ州ケツァーランにあるトセパン・ティタタニスケ協同組合と共に、持続可能なコミュニティづくりに向けて活動している。
私は、パトリシアに案内され、このトセパン組合を訪れた。
(文/岩見知代子:ウインドファームスタッフ)
パトリシア
トセパンは、5,300世帯もの生産者からなる組合で、メンバーは皆ナワット族である。彼らは、ケツァーランの町を中心とした7地域66のコミュニティに暮らし、アグロフォレストリーによる有機コーヒー生産をベースに、コショウ、 ナッツ、キノコの栽培や畜産にも取り組んでいる。
特徴的なのは、これらの活動が、地域内で資源をすべて循環させて行われているということだ。また、トセパンでは、組合設立当初から女性たちが組合の活動に積極的に参加してきた。女性グループによるパン屋、雑貨店運営やトルティーヤ(とうもろこしの粉からつくられたメキシコの主食)販売が行われており、女性の自立を目指した多様な取り組みが活発に行われている。この他に環境教育やエコツアーの取り組みも数年前から始めている。
トセパンが設立されたのは、今から28年前。自分たちの作ったコーヒーを仲介業者に買い叩かれる現状に対抗するためだった。そして、この設立の時からトセパンに深く関わり、技術面だけでなく、組合運営全体のアドバイザーを行っている人物がアルバロ・アギラルである。アルバロは、ナワットの人たちを救いたいという強い思いからこの地へ移り住み、組合をここまで引っ張ってきた。彼は、組合で唯一ナワット族ではないのだが、組合の代表と並ぶほどメンバーの信頼と尊敬を集めている。
コーヒーの樹と生産者
そして今では、トセパンは、メキシコにおける有機コーヒー生産者グループのモデル的存在にまでなっており、実際、その多様で持続可能な取り組みは、メキシコ政府からも高い評価を受け、1995年には、「フォーレスト賞1995」を、2000 年には「環境賞2001」を受賞している。
組合名「トセパン・ティタタニスケ」は、ナワット語で、「団結すること。 それが、皆が幸せになる唯一の道である」ということを意味する。その名の通り、トセパンをここまで団結させてきたのは、良きアドバイザー、アルバロの指導力と愛情に満ちた人間性ばかりでなく、ナワットの人たちが昔から大切にしてきた「協力」「分かち合い」という考え方、生き方なのである。
ケツァーラン一帯は、生物多様性が非常に豊かな熱帯雲霧林に属しており、 いつも湿度が高い。雨が降ると、雲が低く降り、それと同時に、森からは深い緑の香りが立ち上る。私がケツァーランで過ごした4日間、霧がかからない日はなかった。さまざまな植物や動物が暮らし、豊かな土壌が広がるこの森は、コーヒーに豊かなコクと香りをもたらし、ナワットの人たちの文化と伝統を育んできた。
滞在中、アルバロと共にトセパンを案内し、コーヒーの森のことを話してくれたパトリシアは、森を守りながらコーヒーを栽培するアグロフォレストリーによっ て、この地に住む生物だけでなく、そこで育まれてきたナワット族の生活や生き方そのものが守られてきたのだと教えてくれた。アグロフォレストリーの重要性を指摘する研究者たちは、生物多様性を守るということを強く訴えても、それが この地で生きてきた人たちの文化の多様性をも守っているということにはあまり注目しない。けれど、それがとても大切なのだとパトリシアは言う。
そして、それを守るため、彼女は生産者たちと闘っている。「研究は頭だけでなく、心でするもの」。そう言い切るパトリシアが、単なる研究者ではなく、自ら現場で行動する活動家である所以はそこにある。
パトリシアの父親は、貧しい人たちのためには、無償で弁護を引き受けていたという社会派の弁護士だった。その影響から、幼い頃より社会問題や環境問題に触れてきた。「分かち合うという気持ちを持つこと。そして、社会に矛盾や疑問を感じたら、それをはっきりと訴え、行動することが大切だ」という父親の教えを、彼女はいつも心の中に置き、大切にしてきた。
「今、世界で起こっている環境問題はとても深刻で、どうしようもないところまで来ているのかもしれない。それを考えると悲観的になってしまうこともありました。でも、今は違います。私は、ずっと先の世代のために自然や文化を残したいと闘っているメキシコの生産者たちと、日本の人たちとの強い絆をつくっていきたいのです。持続可能な社会を目指し、私は大きな希望を持ってこれに取り組んでいきたいと思っています。これからもつながっていきましょう。その夢に向かって。」
私がメキシコを去る日、彼女が笑顔で語ったその言葉を今でもよく覚えている。
そのとき、私は初めて「一杯のコーヒーから始まる物語」の原点を見たような気がした。
そしてこの6月、その夢をたくさんの人と分かち合うため、パトリシアとアルバロが来日する。私が彼らやトセパンとの出会いで感じたつながりを、コーヒーを飲んでくださる皆さんにもぜひ感じてもらえたらと心から思う。
豊かないのちの森から始まるこのコーヒー物語は、きっとあたたかさとやさしさに満ちているはずだから。
ナワット族の女性たち