ジャカランダ農場  : カルロスさんとの出会い

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ウインドファームのフェアトレード すべてはここから始まった。

ウインドファームのフェアトレードは、コーヒーの有機栽培に取り組む生産者を探すことから始まりました。「農薬なしにコーヒーが作れるわけがない」と言われていた1980年代、ブラジル各地を探し回り、ようやく出会えたのがジャカランダ農場のカルロスさんでした。

もともと自然や生き物が大好きなカルロスさんは、農薬の使用を少量に控えていました。そして化学者である娘から農薬の毒性を知らされ、意識的に農薬の使用を減らし始めます。試行錯誤の末、1980年からは農薬を一切使用しなくなりました。

コーヒーの有機栽培に取り組んだ理由について、カルロスさんはこう語ります。「人類の抱えているすべての問題の解決策などあるものではありません。私は、私のできる仕事のなかで、できることをしていきたい思っています。有機農業は自然を傷めません。多くの手間を必要とするため、たくさんの雇用を生み出します。持続的な食料の生産を可能にし、あらゆる階層の人々にその豊かさを分配できます。」

こうして有機栽培にチャレンジしたカルロスさんでしたが、それは厳しい道のりでした。除草剤を使わないために草刈り作業が増えます。また化学肥料を使わないために有機肥料の散布作業など多くの手間をかけたにもかかわらずコーヒー収穫量は減少しました。しかも有機栽培といっても一般の相場価格で買い叩かれることもあり、厳しい経営を強いられることになったのです。

しかしカルロスさんはこのやり方を続けることで土が良くなり、コーヒーの収穫量が安定し、美味しいコーヒーが作れると信じて有機栽培を続けます。そして、そんなカルロスさんと出会えたことで、ウインドファームのフェアトレードが始まることになるのです。

生産に必要な費用を踏まえた公正な価格を設定し、ウインドファームで直接、コーヒー豆を全量買い取るという約束のもと、カルロスさんは安心してコーヒーの有機栽培に取り組めることになったのです。

コーヒーのフェアトレードが始まると、カルロスさんには日本の消費者から「安心して美味しく飲めるコーヒーをありがとう」という便りが届くようになりました。それまでジャカランダ農場で生産されたコーヒーがどこの国に販売されているかも分からなかったカルロスさんにとって、これは大きな喜びでした。

さらにはカルロスさんのコーヒーのファンになった人々が、実際にジャカランダ農場を訪れてくれるようにもなります。1998年には1回目のスタディーツアーが実施され、たくさんの人がブラジルの土を踏み、カルロスさんと会い、コーヒーの樹に触れました。

スタディーツアーでカルロスさんから熱心に土の話を聞く参加者たち

こうした取り組みが進んでいくにつれて、コーヒーの有機栽培への関心が高まっていきます。その技術や経験を学ぼうと多くの生産者が訪れるようになり、カルロスさんは惜しげもなく有機栽培の方法を伝え続けました。

2004年7月4日、カルロスさんはその生涯を終えますが、生前、日本の消費者の方々にこんな言葉を残してくれました。

「私は今、世界は変わりつつあるということを実感しています。地球上で、私たちは多くの問題を抱えていますが、私たちの未来にたいして、私は絶対に悲観はしません。フェアトレードの出会いを通して私は、有機的に人がつながり、やがては世界全部がよい方向へと変わっていけるのだと、そんな想いを強く抱きました。」

今もなお、ジャカランダ農場のコーヒーは「カルロスさんのコーヒー」として日本の人々に愛されています。

故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をまとめた「ジャカランダ物語」をご紹介します。

「ジャカランダコーヒー物語」

ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。

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