第19話.無農薬野菜の産直運動

卒業後、中村は農村や漁村の子どもたちに映画を見せる活動などを経て山村に移住、自ら有機農業に取り組み始めた。米をつくり、野菜をつくり、鶏を飼った。そして、つくった野菜を町に出て路上で販売してみた。しかし、農薬も化学肥料も使わない野菜は、スーパーなどで売られている野菜と違って、形が不揃いで、見栄えが悪い。そのため、あまり売れなかった。中村は、食べもので大事なことは、安全で、美味しくて、栄養価が高いことだと考えていたが、当時の消費者はそのことよりも野菜の外観を重視していた。そうした体験を通して中村は、「消費者の意識を変えなければ、有機農業は広まらない」と考え、1980年、24歳のときに生活協同組合に就職。無農薬野菜の産直活動に取り組んだ。

消費者が畑で農業を体験する
消費者が畑で農業を体験する

当時、農薬を使わずに栽培された野菜は、農業の近代化から取り残された山間僻地の畑でお年寄りが作るぐらいだった。その数少ない野菜を県内の消費者グループが取り合う状態が続いていた。「少量の無農薬野菜を奪い合っても仕方がない」と考えた中村は、有機栽培で野菜を生産する意志のある農家を探した。自分自身も有機野菜と米を作りながら、一緒に取り組んでいける生産者を増やしていった。

しかし、無農薬野菜の品質が一定の水準に達するまでには時間がかかる。「こんな虫食い葉っぱまで出荷するなんて」そんなクレームの処理に中村は追われた。また、野菜の収穫量が多いときは、売れ残りが多くなるなど、生産者にとっては厳しい状態が続いた。こうした問題をすべて生産者に押しつけている限り、無農薬野菜の産直は成り立たなかった。

産直に取り組み始めて3年ほど経った頃から、状況が変わり始める。農薬の危険性を知った消費者の「安全な野菜を食べたい、広めたい」という切実な気持ちが高まってくるにつれ、ようやく生産者と消費者が互いに協力していく姿勢が見られるようになる。

「無農薬で野菜を作るために、どれだけの労力がかかっているか」それを知るために、消費者が農家を訪れ、実際に畑で草を取り、堆肥の散布作業をするなど、様々な農作業を体験した。その際に農家から野菜の保存方法や伝統的な野菜料理についても学ぶ機会を持った。逆に、農家の方も消費者の学習会に参加し、農薬だけでなく、食品添加物や合成洗剤の問題について勉強した。

生産者、消費者がともに有機農業の重要性を共有するようになると、価格についてもお互いに配慮し合いながら「ほどほどの価格」を考える人が増えていった。

この7年間の産直活動を通して「生産者と消費者がしっかりしたコミュニケーションをとることと、ものごとを長い目で見ることの大切さを実感した」と中村は語る。このとき得た経験は、その後の中村にとって大きな財産となった。

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