第25話.苦境を越えて

1997年5月6日、カルロスからの手紙が中村のもとに届いた。無農薬コーヒー販売が10周年を迎えたことへのお祝いを伝えるその手紙には、カルロスの近況報告も書かれてあった。

農場を眺めるカルロス
農場を眺めるカルロス

「ジャカランダ農場ではたくさんの仕事をまじめに遂行しています。とても難しいことですが、情熱を持って取り組んでいます。私個人としては、有機農業に興味を持っている人に、土作りや有機コーヒーの栽培について助言や協力を行っています」この他に、エイズや貧困に苦しむ子どもたちやストリートチルドレンへの支援活動の様子も記されてあった。

しかし、それから10日後、「サンパウロの自宅からジャカランダ農場へ向かうバスの中で、カルロスが軽い貧血を起こし、バスが揺れた際に倒れて頭部を強打した」というファックスが、日本の中村のもとに届いた。倒れた際に強打したカルロスの頭部は内出血を起こし、手術が必要だということが後で分かる。

その頃は、収穫量が例年の20%以下という予想外の収穫減が明らかになったときだった。雨が不足したわけでもなく、霜害も起こっていない。この不作は、ジャカランダ農場のあるミナス州全体のコーヒー園に及んでいた。

不作の原因は判明しなかったが、ジャカランダ農場のコーヒー樹が高齢化していることも、その要因の一つだとカルロスは考えていた。ジャカランダ農場のコーヒー樹の半分以上が植換えの時期に近づいており、今後、およそ50万本のコーヒー樹を新植していかなくてはならない。多くの費用を必要とする新植作業を前に、今回の収穫の減少と、さらにカルロスが倒れたことは大きな痛手だった。

幸いカルロスの術後の回復は順調で、7月にはサンパウロの自宅で、少しずつ業務を再開。情熱と気力に衰えはなく、「収穫の減少に対する今後の対策は?」という問いに対して、「私は農業にしても福祉活動にしても、計画を立てて、実行していくことが好きなのです」と言いながら、草刈り作業や堆肥を散布する時期を記入した年間スケジュール表とコーヒー樹の新植計画表を広げた。

「霜害や雨不足についてはどうしようもありません。この計画を一つ一つ実行して、結果を見守りたい」とカルロスは語る。原因不明の収穫の減少も、バスの中での事故もカルロスの有機農業への情熱を削ぐことはできなかった。

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「ジャカランダコーヒー物語」

ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。

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