1915年、当時29才だったイザウチーノは約250ヘクタールの土地を購入し、彼の父親であるセベーロ・ビルジリオ・フランコが経営するマッタ・デントロ農場から独立する。その後、さらに経営規模を拡大し、713ヘクタールの面積を持つまでになった。
小学校を卒業しただけのイザウチーノだったが、専門書を読むのが好きで、ほとんど独学で自らの栽培方法を確立させる。疑問が湧くたびに250キロ離れたカンピーナス市の農業専門学校の先生を訪ねて新しい知識を得、農業で実践し研究を重ねた。
当時の農法は、開拓時と同様に、原始林を焼き払ってコーヒー樹を植えるという栽培が一般的であったが、イザウチーノはこの頃から「土壌をいかにして豊かに保つか」という今日の有機農業につながるテーマに着目していた。彼は「原始林を伐採した後に残る大量の樹や枝葉の焼却は、コーヒー樹の成長に必要な有機質や微生物まで消滅させてしまう」と考え、樹と枝葉は細かく切り、有機質として土に還元しようと試みた。ときには山焼きを全くしないでコーヒー樹を育てたこともあった。さらに土壌を豊かにするためにコーヒーの実の外皮を原料にした堆肥を根元に施し、豆科の植物であるクロタラリアを樹間に植えて土壌の窒素分を補った。また、コーヒー樹と土を直射日光から守るため、そのまわりに日除けの草をかぶせ、イランジェラという日陰樹を植えた。
この父イザウチーノのもとで、カルロスはコーヒー栽培を学んでいく。後年、化学肥料と農薬を多用する近代農業に疑問を抱くカルロスはコーヒーの有機栽培に取り組むことになるが、カルロス自身の言葉によれば、それは「有機農業との再会」であり、「今日の有機栽培の基礎となったのは、父のそばで働きながら学び、受け継いできた技術です」と語っている。
「ジャカランダコーヒー物語」
ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。
- 第1話.カルロスの祖先から
- 第2話.カルロス・フェルナンデス・フランコの誕生
- 第3話.幼年時代、豊かな自然のなかで
- 第4話.父イザウチーノのコーヒー栽培
- 第5話.カルロスの原風景
- 第6話.初恋
- 第7話.青年時代、ブラジルの大河に橋をかける
- 第8話.ジャカランダ農場主として
- 第9話.農薬の到来
- 第10話.次女テルマからのレポート
- 第11話.カルロスと農場スタッフ
- 第12話.福祉活動との関わり
- 第13話.コーヒーの有機栽培へ
- 第14話.リスクを背負って
- 第15話.ジャカランダ農場が受けた被害
- 第16話.本当の豊かさを求めて
- 第17話.「幸運」な出来事
- 第18話.水俣病との出会い
- 第19話.無農薬野菜の産直運動
- 第20話.チェルノブイリ原発事故
- 第21話.病に倒れて
- 第22話.ブラジル、遠く広く
- 第23話.想いを全て伝えて
- 第24話.有機栽培の意味を実感するとき
- 第25話.苦境を越えて
- 第26話.視線は地平線の遥か遠くまで伸び
- 第27話.コーヒー樹に囲まれた生活空間
- 第28話.コーヒー樹を見守り続けて 〜現場監督 ニーノの仕事〜
- 第29話.労働のなかの静かな祈り
- 第30話.コーヒー園に響く幼子の声と歌
- 第31話.ジャカランダコーヒーの生豆、60キロの重さ
- 第32話.老いてもなお
- 第33話.夏の草刈り
- 第34話.日が暮れて
- 第35話.ある雨の日の事故
- 第36話.土曜の夜、協会で
- 第37話.ジャカランダ農場、故郷として
- 第38話.写真でたどるジャカランダコーヒーの旅路 -土から生まれて食卓に届くまで-