第5話:アウキ知事の取り組み

AACRIが設立された1996年、ある一人の先住民が知事となって登場する。

(アウキ・カナイマ・ティテュアニャ コタカチ郡知事)

1492年以降、スペイン人の南米への侵略から始まる500年の歴史の中で、エクアドル先住民の社会は崩壊し、多くの命が奪われ、その政治制度、経済制 度、宗教、言語は、全て変えられてきた。これに対して先住民族は、非暴力の平和的な抵抗のなかで、土地を求めて闘い、先住民族自らを再生させるための取り組みを黙々と続けてきた。

その結果、この20年で先住民族の政治参加と権利回復は急速に進み、エクアドルの人口1200万人のうち42%を占める先住民族の中から議員や自治体の 首長が出始めるようになっていた。

インタグ地方を行政区域として治めるコタカチ郡において、初めて選出されたキチュア族出身の知事の名は、アウキ・カナイマ・ティテュアニャ。「自由の闘士」という意味をもっている。「盗んではいけない。嘘をついてはいけない。誠意を持って生きよ」というキチュアの教えを大切にするこの31歳の若き知事の 仕事ぶりは迅速で、彼の存在がインタグの森にとって重要な意味を持つようになるまで、そう多くの時間はかからなかった。

キューバのハバナ大学に留学した後、エクアドルの大学で経済学を教えていたアウキ氏は、経済の仕組みや政治制度を、西洋の社会や文化に統合される形ではな く、自分たちのアイデンティティを失わずに構築することが重要だと考え、より人間的で、環境に配慮した社会を作りたいという情熱を抱いていた。

知事に就任したアウキ氏は、他に例がない徹底した参加型民主主義を導入した。草の根民主主義とも称されるその取り組みにおいて、彼は誰もが参加できる 政治を目指し、皆にこう呼びかけた。「民衆議会に来てください。直接、話をしましょう。あなたたちは、どんな開発、発展、町づくり、郡づくりを望んでいる のですか。皆の意見で、それをつくっていきましょう」と。


(民衆議会で発言するアウキ知事)

アウキ氏は4年に1回、選挙で選ばれる議員の議会とは別に、1年に1回、誰もが自由に参加できる民衆議会を開催した。最初の年は250人の住民が集まり、環境、衛 生、健康、教育など、様々なテーマの委員会が設けられ、年ごとに参加者は増えていく。

これにより民衆の発想はガラリと変わる。これまでは、知事のまわりに議員がいて、その議員たちが考え、決めたことに、民衆は受動的についていくという状 況だった。
しかし、アウキ氏は明言した。「決めるのはあなたたちだ」と。「自分たち(知事、議員)は、市民が手に入れにくい専門的な情報を提供する責任を負う。しか し、最終的に決定するのは、あなたたちだ」と。


(民衆議会の様子)

もう一つ、この民衆議会の際だった特徴がある。それは、年令に制限がなく、若者や子どもたちも参加できるということだ。「子どもであっても、考えは持っている。どんな未来に暮らしたいのかというビジョンを持っている。しかし、ただ要求するだけでなく、青年、子どもたち自身がそれに向けて実際に活動す るということが大事だ。民衆議会というのは、ただ要求を言うだけではなく、1年間に自分たちが何を行ってきたのか、その活動を自分たちで評価し、これから 何をしていくのかということを考える場である。今までは、議員らに全てを任せてきたが、これからはそうではない。民衆が主人公で、自分たちが決めたら、それを自分たちで実行していかなければならない。」

さらに、アウキ氏は「私は、君たちに約束(公約)をしている。もし、私がそれを守れない場合には、君たちには私をリコールする権利がある」と語り、自らの 決意を伝えたのだった。

コタカチ郡はその後、デコインの提案により、法的に条例も制定し、南米で初めての「生態系保全自治体」となるが、これは、「若者が作った」と言われてい る。銅山開発の問題が起こったとき、コタカチ周辺に暮らす若者たちが、インタグ地方をたびたび訪ね、そこで長期間の調査を行った。デコインの若者たちと協力して、「いったい銅山開発とは何なのか」ということを研究し、その結果をコタカチへ戻って人々に報告した。

彼らは、「銅山開発は森林破壊になるし、持続的なものではない。一時的にはお金で潤うが、将来的には、良いことではない」ということを主張し、それを人 々に理解してもらった。

1997年に開催された2回目の民衆議会。それは、銅山開発に賛成か反対かという決定を下す非常に重要な民衆議会となった。鉱山開発に反対する人々は、 賛成票が多くなるのではないかと不安だった。というのも、確かに、銅山開発が森林、環境破壊を引き起こすということが若者の活動ではっきりしたが、それでも人々は雇用を望む。銅山開発は雇用を生み、お金にもなるため、どうしても賛成派の方が勝ってしまうのではないかとの不安が募っていたのだ。

しかし、ふたを開けてみれば、人々は圧倒的な数で銅山開発に「ノー」を示した。それは、鉱山開発により一時的には雇用を得て、収入が増えるが、そのことで、自分たちの生きている場所そのもの、そこにある自然が永遠に失われてしまうということの重大さを、皆が理解していたのである。

こうした取り組みは、2000年「ドバイ国際賞」の受賞につながる。国連人間居住センターとアラブ首長国連邦のドバイ市から、コタカチ郡はその社会参加と透明性のある自治により、世界で最もすばらしい試みをした地方政府の一つとして、賞を受けたのである。

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インタグコーヒー物語 目次

第1話:インタグコーヒーを育むその風土から・・・
第2話:森の人 カルロス・ソリージャとの出会い
第3話:迫り来る森の危機
第4話:インタグコーヒーの芽生え
第5話:アウキ知事の取り組み
第6話:終わらない鉱山開発
第7話:インタグコーヒーの作り手たち 〜その1 コルネリオさん
第8話:インタグコーヒーの作り手たち〜その2 オルヘル・ルアレスさん
第9話:インタグに移り住む人々  〜その1 アンニャ・ライトさん
第10話:インタグに移り住む人々 〜その2 メアリー=エレン・フューイガーさん
第11話:インタグコーヒーの作り手たち〜その3 ホセ・クエヴァさん
第12話:インタグコーヒーの作り手たち 〜その4 アルフレド・イダルゴさん
第13話:インタグコーヒーの作り手たち 〜その5 アンヘル・ゴメスさん

インタグコーヒー生産者協会