フェアトレード&オーガニック、そして森林農法のコーヒーを育むトセパン協同組合は、メキシコ・プエブラ州の北東部、クエツァラン市に拠点を置きます。山岳地帯の先住民ナワット族を主な構成員とする農業を軸にした生産者組合です。一帯に広がる山深い地域は、首都のメキシコシティーからバスに揺られて6時間の距離にあります。最初にこの地域のことを簡単に紹介していきましょう。
クエツァランという町の名前は、鳥の名であるケツァールに由来します。先住民の言葉、ナワット語が語源で、「美しいケツァール鳥と共に」という願いが込められます。
古代文明が栄えていた頃は、ケツァールの羽は王に捧げられる程に貴重で、価値あるものであったとされます。しかし、残念ながら現在は、この地域でケツァールの舞う姿は見られません。
農山村での人々の暮らしは楽ではありませんでした。山々が連なり、渓谷が入り組むため道は悪く、かつては移動すら困難を極めました。最低限の食糧確保のみならず、収穫物を運び出すのも容易ではありません。さらに、山岳地帯は湿度が高く、夏期には豪雨が襲い、冬期は濃霧に包まれる自然の厳しい環境にあります。
切り立った地形が多いため、それぞれの耕作地は小さいのが特徴です。土壌はこの上なく肥沃で、水はふんだんにあります。とうもろこし、豆類、カボチャ、とうがらし等が栽培され、蒸留酒の原料となるサトウキビも栽培されます。トウモロコシの収穫量は1ヘクタールあたり1トン以下で、トウモロコシ畑と野菜畑からの収穫だけでは、年間の食糧を賄うことはできません。そのため、トウモロコシをはじめとする食糧を、地域外から調達することもあります。
かつて、この地域での商業作物といえば綿とサトウキビでした。その畑は大土地所有者が管理をしており、先住民たちは小作農的に働いてきました。土地の所有者は牧畜にも従事していました。20世紀中頃から商業作物としてのコーヒー栽培が広まり、20年前には自生していたスパイス類の栽培が始まりました。少量ながらも、オレンジやバニラなど、国内市場で販売される作物も栽培されてきました。
山の斜面を耕す農民はとても貧しく、厳しい暮らしに甘んじて来ました。わずかな土地で収穫された作物は、大地主などの裕福な人々に安く買い叩かれ、さらには、生活必需品を高く売り付けられていたのです。
こういった農村地域では、コーヒー畑のみを規模拡大してきたことも問題になっています。コーヒー栽培は困難の連続でした。寒さに弱いコーヒーが霜などの害で壊滅する年もあれば、コーヒー豆の取引がマネーゲームに巻き込まれ、1989年には価格が大暴落することもありました。
こういった厳しい自然環境と社会の状況が背景にあり、山岳地帯の農民たちは自分たちの暮らしと尊厳を守るために組織を作る必要に迫られたのです。なぜなら、団結のみが問題を解決する手段であり、互いに助け合い、前へと進む必要があったからです。
[第2話を読む]
トセパンコーヒー物語 目次
トセパンの概要
第1話「ケツァールの地〜トセパンが活動する地域」
第2話「メキシコとコーヒーの意外な(?)関係」
第3話「トセパン協同組合ってどんな組織?」
トセパンの歴史
第4話「抑圧されてきた先住民たち」
第5章「闘いは砂糖から始まった」
第6話「トセパンを支える作物・オールスパイス」
森林農法・アグロフォレストリ
第7話「森を守り、森を育てるコーヒー」
第8話「「おかげさま」を大切にするフェアトレードコーヒー 」
第9話「森林農法とは?」
第10話「森林農法がもたらす豊かさ〜生物多様性」
第11話「森林農法がもたらす豊かさ〜安心できる暮らし」
トセパンの活動と意義
第12話「トセパンがもたらす組合員の自立と誇り」
第13話「お金はみんなのもの〜トセパントミン」
第14話「より良く生きるため、女性達よ集まれ」
第15話「ホノトラの闘い」
第16話「学び、成長していくこと」
(注)これらの原稿は、トセパンが作成した「30周年組合史(2007)」、ウインドファームとも付き合いが長いメキシコの生態学者パトリシア・モゲル氏の各種論文、ウインドファームスタッフが現地を訪問した際に作成したレポートなどを編集して作成しています