ちゃんと数えているわけではないが、2016年からこの4年のうちに、ぼくはもう少なくとも10回はノンタオ村を訪れている。そのうち数回は、撮影のために映像カメラマンの友人と一緒に滞在した。ジョニとスウェへのインタビューを軸に、「レイジーマン」という思想と生き方を描く作品に仕上げるつもりだ。
ノンタオでは、ほとんどの場合、ジョニとその一族の本家に泊まらせてもらう。最初のうちはジョニ夫妻が住む母屋だったが、ここのところはずっと、裏庭の奥にある木と竹づくりの離れの二階の一部屋に寝泊まりしている。その庭のさらに奥に建てられた土づくりの家にスウェの四人家族が暮らしている。
裏庭と言うとあなたは何を想像するだろう。この庭は“森”なのである。これを説明するのはちょっと大変だ。それは、木の実、果実、野菜などの食用ばかりでなく、建材や道具の素材となる蔓(つる)や竹類、薬用植物に至るまで、80種に及ぶ有用植物が、低いものから高いものまで幾層にも重なる森のような庭なのだ。日本人の目には、庭というよりはジャングルに見える。
その森の中のあちこちにコーヒーの木が植わっている。母屋からぼくの部屋までの二〇メートルの小道の脇にも並んでいるので、ぼくは日に何度も、そのコーヒーの木をかき分けるようにして行き来することになる。花の芳香を楽しんだかと思うと、次に訪れた時には若い緑色の果実、そのまた次の時には、赤や黄に色づいた実がたわわに実る収穫の季節、という具合だ。
ぼくの部屋は四方をこの森に囲まれている。それは賑やかな森だ。鳥や虫の声、鶏たちが積み重なった落ち葉を延々とひっくり返す音、風と雨の音、雷。どの季節にも何がしかの花の香りが漂っている。もちろんこれは、たくさんの人が住む村の中の森であり、人々がその中で、そして周囲で暮らす生活の森でもある。朝にはすぐ近くの小学校の朝礼の音が聞こえてくるし、家の前の通りを走るバイクの音もする。それは人間の子供たちの遊び場でもある。
同じ敷地の中に、この2年の間に二つの新しい建物が加わった。まず敷地への入り口のすぐ左手の道沿いに、ジョニ夫妻の末娘である看護師のムポが簡易診療所として使う小屋。もう一つ、敷地に入って左側にある母屋の前の小さい広場を隔てた向かい側に建てられたのが“レイジーマン・カフェ”だ。全体がテラスのように見えるこの壁のない高床の建物は、スウェがほとんど独力で建てた。ある時の訪問で何かが始まったな、と思っていたら、もう次に訪ねた時には出来上がっていた。この人たちは衣食住に関わるほとんどのものを自分で作ることができるのだ。
キッチンと客用のスペースを隔てる小さなカウンターで、スウェや奥さんのラチェが炒りたてのコーヒーを淹れる。テーブルの竹かごには季節の果物やナッツが並ぶ。どれも手を伸ばせば届くほどすぐ目の前にある森の産物。まさに「森のカフェ」とはこのことだ。
今回の滞在ではそのカフェで、スウェのインタビューを撮影することになった。ぼくはまず、彼がカフェを始めた動機を訊ねた。
「このカフェを始めたのは、私たちのコミュニティにとってのひとつの窓をつくるためです。これは、世界のあちこちから来た人々が情報を交換し、学び合い、その成果を分かち合う場です。私たちも自分たちがもっているものや知識をシェアしたい。一杯のコーヒーを通して、その背景にあるカレン族の文化についても紹介したい。あなたが飲む1杯のコーヒーの中に、私たちのここでの暮らしや、それを支えている土、森、水、そして自然のすべてが詰まっている・・・それを実感してもらう場がこのカフェです」
次にぼくは、彼の言う「レイジーマン」の生き方が、この森のような庭とどうつながっているのか、とスウェに訊ねた。
「私たちが森や自然から学んだことを、そのまま体現しているのがこの農園です。本当の森にはそれを耕す人も、作物を植える人も、雑草を取ったりする人もいません。それでも、森は見事に育ちます」
そう、人間がこの世に現れるはるか前から、森は栄えてきた。
「人間の祖先はその森になる食べ物をいただいて人間になり、今まで生きてきたんです。これこそ、私たちが忘れてはならない大切なことです。祖先はやがて森から種を集め、それを農園に蒔くようになった。私たちはそれを今もこうしてやり続けているだけです。農業とは言っても、あるがままの自然に逆らわず、委ねるやり方です」
それがレイジーマンの生き方だ、と?
「そうです。私の考えでは、レイジーマンとは、焦らずゆっくり待ちながら、自然をよく観察し、そして自然から学ぶという態度、生き方のことです。森に棲む他のいろいろな生き物たちを尊重し、それらと共存する。そうすれば結局はちゃんと自分たちが必要とするものを手に入れることができる。食べては、そのタネをまた蒔く。そしてまた食べる。今ではこの小さな森から、一年を通じて食べ物を収穫することができます。森の多様性が、私たちの支えです。私たち人間も森のように寛容に、助け合って生きるべきです」
「森のように生きる」か。若い友人が発したこの言葉が心に染みる。ぼくは長老の前にいる時のように畏まった気分になった。
次に、ぼくはコーヒーのことに話題を転じた。
森の多様性とはいっても、コーヒーは外来の植物だ。伝統的な農業を大事にしてきたあなたが、どうして新たにコーヒー栽培に取り組みことになったのか。
「私は10年前までコーヒーに全く関心を持っていなかったし、それを飲む習慣もありませんでした。でもすでに、私たちの村のあちこちに、そして我が家にも、コーヒの木がたくさんあった。これは父親が若い頃、政府がコーヒーを有望な換金作物として注目、北部タイの農村に栽培を奨励した時に植えられたものです。一時期は父も熱心にコーヒー栽培に取り組んだものの、ほとんどの農民と同様、父も間もなくこれを放棄、コーヒの木は伐られたり、放って置かれたり、その存在はほとんど忘れられていた。でも、コーヒーの木はすっかりこの農園にも溶け込んで、毎年、花を咲かせては、実をつけていました。
「十年ほど前に大きな変化が起こりました。インタノン山の向こう側にあるメーチェムという地域で、大規模なトウモロコシの単一栽培が始まり、多くのカレン族のコミュニティも、それに加わったのです。
「こうしたトウモロコシ栽培はみるみるうちに拡大していきました。私たちの村でも、始めたいという人が出てきて、私たちは心配になった。もし私たちの村でもこのトウモロコシ栽培が広がれば、森は切り開かれ、大量の化学肥料や農薬がまかれて、土も水も汚染されてしまうかもしれない。そうなったら、私たちが大事にしてきたこれまでの生き方は不可能になってしまうのではないか・・・。
「そこで私たちは解決策を模索し始めたんです。しかし、そのためには、今あるものを守るだけではなく、何かを新たに取り入れる必要がありました。結局、私はコーヒーを選んだのです」
スウェとその家族、そして村の仲間たちは、「トウモロコシをやめてコーヒーを」というスローガンの下、すでにある木からコーヒーを収穫し始めるとともに、苗木を育てては多様な作物からなる農園の木陰に植えていった。そうして、徐々にコーヒー栽培は村人たちが森を守りながら収入を得る一つの手段となった。
(文・辻 信一)