10年前にスウェがコーヒー栽培を始めるきっかけとなったトウモロコシ栽培の“震源地”となったメーチェム。そこにぜひ行ってみたいと思っていたが、その機会が訪れた。スウェ自身が車で案内してくれるというのだ。ありがたいことに、そのメーチェムの先に用事のあるジョニも途中まで同行してくれるという。
ノンタオ村からはドイ・インタノン(インタノン山)の周りを半周するように、車で2時間ほどで山の反対側に出る。インタノン山は標高2565メートル、タイの最高峰だ。その周囲には昔から多くのカレン族が暮らしてきた。彼らによると、古代にはチェンマイの平地をもそのテリトリーとしていたカレン族だが、次第にタイ族をはじめとする多民族の南からの圧力に追われるようにして、山へ、森の奥へと後退していったという。
途中、山の斜面にはビニール栽培の段々畑が広がっている。日本でビニールハウスだらけの農地を見慣れているはずのぼくにも、山腹が白いプラスチックに覆われている光景は異様だ。しかもこれが、聖なる山、ドイ・インタノンだと思うと切なくなる。
生花とイチゴの大生産地なのだそうだ。どちらも、農薬や化学肥料を多用するため、水をはじめとした環境汚染が懸念されている。特にイチゴへの農薬散布の量は突出しており、残存農薬も大きな問題になっている。散水用の管や、花の促成栽培のために一晩中灯りをつけておくためのコードが張り巡らされている。これは工場以外の何物でもない。
カレン族の友人たちによるとこうした換金作物を手がけてきたのは主に、この100年ほどの間に中国領から南下して定住したモン族。かつてはケシ栽培でも中心的な役割を担ったが、それが禁止され、今ではこうして、都市部で高い需要をもつ生花とイチゴになったという。
それでもところどころに、森が残っている。スウェによるとそれは主にカレン族の居住地域だ。カレンの伝統的な考え方では、山の高い方に森を残し、水源を確保しつつその下方に人が住み、周囲で伝統的な自給型のローテーション農業を行う。ところが、移住してきたモン族は中腹のカレン族の活動地域の上方に定住し、さらに山の上へと向かって換金農業を展開する。モン族系が経営者であっても、実際に畑に出て働くのは、主にミャンマーからの難民、移民、季節労働者がほとんどだという。では、カレン族が伝統的な生き方を維持しているかと言えば、そうではない。自給型の農業をあきらめ、より換金性の高い作物の単一栽培に転換するものがほとんどだ。自分の土地をイチゴ栽培農家に貸し出すことも珍しくない。
メーチェムに近づくと、風景は一変する。ノンタオ周辺の乾期でも深い緑色の森に比べ、この辺りの森は乾燥林のようで、黄やオレンジに紅葉している木が多い。車で2時間ほどかけて、山の反対側に来るだけで、ずい分違うものだ。
やがてメーチェムの中心街のある盆地を抜けて、トウモロコシ畑が広がる丘陵地帯に入った。高台に車を止めて、少し撮影することになった。
ここもかつては、カレン族のローテーション農業の舞台だったという。今は見渡す限り、ほとんどの森は切り開かれ、トウモロコシの畑になっている。まだ1月だというのに、強い日差しが照りつけて暑い。ノンタオの森の中と、こことの温度差にも驚かされる。標高もそんなに変わらないというのに。日陰を作る木立もほとんどなく、風を遮るものもなく、埃っぽい。収穫後のトウモロコシの枯れた茎や葉とわずかの雑草が残っていなかったら、ここはただの不毛な荒地に見えただろう。
ジョニによれば、これはまだ乾期の始まり。これから4月に向かって乾期が続き、その頃にはこのあたりは砂漠のように乾いているだろう。森がなくなるというのはこういうことなんだ、と。ここがかつて森だったと言われても、なかなか想像することができない。
カメラをセットして、日差しの中にスウェとジョニに立ってもらい、インタビューを始める。
「今の気分は?」と尋ねると、ジョニは厳しい表情そのままで、吐き捨てるように、こう言った。「人間は愚かだ。まるで食べ物やきれいな水、そしてきれいな空気の代わりに、お金を求めているんだからな」。
−− 以前は、ここはどういう場所だったのか。何がどう違うのか?
「若かった頃、この地域のカレンとよく行き来していたものです。ここはかつて深い森だった。貧しい人たちによる綿花栽培も始まっていたが、まだほとんどは伝統的なローテンション農業を行っていた。でも今では、ほら、日陰となる木さえない。これはとても重要なことです。生き方を変える時です。まず日陰を作ってくれる木々を取り戻すことです。
「日陰がなければ、まず水がなくなる。水源を見つけるのがとても難しくなる。そして土がダメになる。私たちの村の土と比べて、元々はこちらの土の方がずっと豊かで栄養豊富だったんです。だから食べ物の収穫もいつもこっちの方が多かった。それがどうだろう、今じゃこんな荒れた痩せた土地になってしまった。するとたくさんの化学肥料や農薬を使わなければならなくなる。それがまた一層、土をダメにする。土自体を元の状態に戻すのにはとても長い時間がかかるでしょう」
スウェも、子どもの頃に父に連れられてこの辺に来たのを覚えているという。そして、ほとんどのカレンの人々が昔ながらのローテーション農業に従事していたこと、そのおかげで、このあたりは森に覆われていたこと、を。
その同じ場所でトウモロコシの大規模単一栽培が始まったことを知ったスウェは、10年前、村の若い仲間たちと一緒に視察にやって来ることになった。
「まずは、トウモロコシのモノカルチャー(単一栽培)というものが、実際にどういうものかを知らなければいけないと思ったんです。いろいろと見せてもらい、最後に、コミュニティのリーダーたちとじっくり話をした。彼らが言うには、要するに、他に選択肢があるなら、つまり農業を続けてく他のやり方があるなら、トウモロコシはやめた方がいい、ということでした。なぜか。それは、いったんこれを始めてしまったら、もう途中で止めることは出来ないから、と。やり続けるしかなくなる。最初にかなり大きな資金や化学肥料・農薬が必要なのはもちろんだが、問題は、毎年出費が増えていくことだ。収入も増えるが、それに輪をかけて支出が増え、ローンが膨らんでいく。途中でやめたくてもやめられないのだ、と。それを知った私たちは、トウモロコシをやめよう、と心に決めました」
ただ、「トウモロコシにNO!」と言うだけでは村人たちは納得しない。すでに自給型の農業から換金作物へ軸足を移してきた農民たちを説得するためには、今すでにあるものに加えて、何か新たな収入源を示す必要があった。いろいろと調べていくうちに、だんだんわかってきたのは、トウモロコシはGMコーン、つまり遺伝子組み換えのものであること、またそれをタイ全土で進めているのは、タイ最大のコングロマリット(複合企業)といわれるCP(チャルーンポーカパン)だということ、だった。(注)
スウェは続ける。
「ここで育ったトウモロコシは、食用ではなく、主に鶏、牛、豚、養殖魚などの飼料になります。それで育った畜産品などはチェーンのコンビニで販売される。魚と肉は海外にも輸出される。CPがタネから小売、貿易まで全てを独占しているので、価格も安定していて、損失のリスクが減る。安定した収入を得られる農民は、ローンを組んで農機具や車を買ったり、さらに耕作地を増やすための投資をしたり。すると、多大な債務を抱えた農民たちは、このサイクルから抜け出せなくなる、というわけです」
こうした仕組みについて理解した上で、スウェは、トウモロコシに変わる代替案を模索した。その結果、行きついたのが、コーヒーだった。
「私たちがトウモロコシに替わる代替案を探していた頃には、再びタイの北部のコミュニティの間で、地域の再活性化の一つの手段として、それまで放置され、忘れられていたコーヒーに注目が集まり始めていたんです」
スウェは、すぐにコーヒーについて調査と試験栽培にとりかかった。そして、目処が立ったところで、“トウモロコシを止めて、コーヒーを”と村の人々に訴え始めた。
(文・辻 信一)