私は、ネパール出身のタマング・スーザンです。ネパールは辛いカレーや紅茶などで知られている小さな国です。中国とインドの真ん中に位置しており、多くの山に囲まれた自然豊かな国です。14.7万の国土(日本北海道の約1.8倍)に、約2,930万人が暮らしており、36以上の民族が住んでいます。
現地の高校を卒業後、来日し、日本語を学んでこちらの大学に進学しました。来日した時の夢は、日本でお金を稼いで豊かな生活をすることでした。しかし、日本で色々な方と出会い、少しずつ自分の考えが変わりました。今まで「お金が一番」でしたが、「人生はお金だけではなく、周りの人たち、自然や生き物すべてに幸せがある」ことが、大切だということに気づいたのです。
大学3年の時、ウインドファームの研修で代表の中村隆市と出会い、フェアトレードや有機栽培、アグロフォレストリーについて学びました。そして、自分のできることから世界を変えようとしている仲間たちに出会うことを通して、自分が望む仕事のかたちが見えてきました。
大学卒業後の2020年、私はウインドファームに入社しました。ここでの仕事を通して、私はネパールの生産者の皆さんを支援したいと思っています。この想いは、私自身の体験からきています。若い時に、大切な家族と離れて外国で暮らすのは、本当に辛いものです。もちろん、異文化に触れ、学ぶこともとても大切ですが、困難なことも多くあります。
ネパールでは、農業に従事する機会は多くあるので、その分野で雇用の機会を増やしていくことが大切です。そうすることで、若い人が海外へ出稼ぎに行く必要もなくなり、生産者をサポートしながら、有機農業を広めていく。そんな仕事をしたいと思っています。
キムタン紅茶生産者の紹介
フェアトレードでネパールと日本をつなぐ。その第一歩がネパールのキムタン紅茶の販売でした。
キムタン農園は、首都のカトマンズから約95km行ったところにあるヌワーコット郡キムタン村にあります。キムタン農園は標高1600m〜2000mに位置しており、高山特有の気候が高品質のお茶を作り出しています。
キムタン村にはタマン族が住んでいますが、彼らは中国チベット戦争の時に難民となってネパールに来ました。ダライラマがチベットからインドに行く際、共にチベットを出て、途中のネパールに定住したそうです。「馬」を表すタ(Ta)と「商人」を表すマン(Mang)が合わさってできたタマン族は、その名の通り、昔は馬に乗ってチベットとネパールの交易を行う民族でした。現在、タマン族の多くはヒマラヤに暮らしています。
キムタン村の紅茶農家ケルンタマンさんは、1991年に世界的な紅茶産地として有名なダージリンへ見学に行きました。そして、これなら自分の村で、自然の中で家族と一緒に暮らしながら取り組めると思い、家族や親族15人で一緒に紅茶を作ることに決めました。
その後、ネパールのダンクタから1000本の紅茶の苗を持ってきて、310坪の小さな紅茶農園をスタートさせました。高齢になった現在、農園のことは息子のイサックさんに任せています。イサックさんは、地域の人々に紅茶づくりを教えながらワークショップも行っています。キムタン農園は、キムタン村における初めての紅茶農園なので、そのお茶づくりを見学したいと周辺の村から多くの人々が集まります。
またイサックさんは、他の地域に出て、自分の作った紅茶を試飲してもらいながらいろいろなところへ紅茶を卸しています。この他イサックさんは、地域にある教会の若者グループの代表としても活動しています。
「ネパールの若者は、外国へ出稼ぎに行くことが多いが、どうして紅茶を生産しているのですか」と尋ねると、イサックさんは、「家族を大事にしたいんです。この地域で出来ることをしながら、幸せな人生を過ごすことが一番だと思っています。」と答えていました。イサックさんは、仕事がない若者に農園で働く機会を与えたり、アグロフォレストリー(森林農法)や有機栽培なども勉強しつつ、美味しい紅茶を栽培しています。
(文:ウインドファームスタッフ タマング・スーザン)
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キムタン紅茶物語 目次
2020年、ウインドファームに入社したネパール出身のタマング・スーザン。
来日した時の夢は、日本でお金を稼いで豊かな生活をすることでしたが、日本で色々な人との出会いを経て少しずつ自分の考えが変わってきたといいます。
「入社して、フェアトレードや有機栽培、アグロフォレストリーについて学び、自分のできることから世界を変えようとしている仲間たちに出会うことを通して、ようやく自分がしたい仕事のかたちが見えてきました。」
現在、ウインドファームで、ネパールと日本をつなぐ架け橋になるべく、日々仕事をしているスーザンが紡ぎ出す紅茶のフェアトレードの物語です。
第4話 8年半ぶりのネパール、そしてキムタン紅茶農園への訪問