2020年から始まったキムタン紅茶のフェアトレード。ネパールの大地で、その紅茶を栽培するケルンさんは、どのような経験を得て、何を思い、日々の仕事に取り組んでいるのか。その歩みを辿る。
ある日、刑務所に入れられて マレーシアでの苦難の日々
1980年にキムタン農園のケルンさんは、家族と離れて初めて海外(マレーシア)へ出稼ぎに行きました。旅行会社の上手い話に騙され、観光ビザでお金もたくさん稼げると考えていたケルンさんでしたが、結局、旅行会社との契約通りにならなくなり、ある日警察に捕まえられて刑務所に入りました。
その後、マレーシア駐在のネパール人になんとか助けてもらい、ケルンさんはネパールに帰国。当時、まだ借金があったので、今度はカタールへ出稼ぎに行くことにしました。
2年間、暑いカタールで、なんとか借金を返済しようと汗を流し働いていた時、ケルンさんはルームメートから紅茶栽培の話を聞きました。そして、自分も帰国して紅茶を栽培する事を決めたのです。
初めは反対が多かった紅茶栽培 家族からも相手されず・・・
帰国して実家の水牛を一頭売って、紅茶の苗を購入し、キムタン村では初めてとなる紅茶栽培が始まりました。ケルンさんは紅茶だけでなく、様々な樹木を山に植えていきます。しかし、その山は今までキムタンの人々が、牛や水牛、ヤギを放牧させるところだったので、ケルンさんは村の皆から怒られました。
またケルンさんは、紅茶栽培の経験のない家族からも反対されました。暑い日の時でも汗を流しながらずっと作業をしても、家族の誰もご飯を持ってきてくれない。そんな日々が続き増しました。
でも、ケルンさんは自分が見た夢が成功すると信じていました。諦めず紅茶栽培に取り組み、紅茶の苗が大きくなって、販売できるようになっていくと、家族や親戚の人々もケルンさんの仕事を手伝ってくれるようになりました。
そして20年が過ぎ、今キムタン村では
現在、 20年前に何もなかった山には、ケルンさんが植えた木が大きくなって緑がいっぱいです。そしてきれいな紅茶の農園も毎年広がっています。
キムタン村では紅茶以外にもいろいろなものを作っています。季節によってジャガ芋、ともろこし、トマト、蕎麦そして麦も栽培しています。ジャガ芋の収穫日には、村の人々が手伝いに行きます。その日は皆で収穫した芋を茹でたり、焼いたりして塩、唐辛子、生姜ペーストに付けて、畑で食べます。
村にはタマン族とビカ族が住んでいます。村全体で600戸の家があり、37戸はビカ族(昔のネパール社会でとても差別された民族)が住んでいます。ネパールで36以上の民族の中でビカ族は、最も人口の少ない最下層の民族。農業に使うスコップやカマなどの金属の道具、また日常生活で使う包丁や鍋、フライパンを作る仕事を生業としていますが、他の民族達はビカ族がさわった水は飲まない時代もありました。
現在も所々にこうした差別は残っていますが、今ではほとんどなくなり、ビカ族は他の民族と同じ仕事でき、普通の生活をしています。ケルンさんは、キムタン紅茶農園を今後この民族のためにも広げて行きたいと思っています。
ケルンさんは今、紅茶の事を自分のお母さんのように思っています。「紅茶を通して自分のことを知ってもらって、色々な人からサポートをもらえて嬉しい」と言います。
ケルンさんは、これからの世代の子どもたちにも、「紅茶を作って、色んな人に飲んでもらうことに、お金よりも大切な幸せかあること」を伝えていきたいと言います。そしてキムタン村を紅茶の村にしていくために、まだ何も植えられていない山に紅茶を栽培していくことを考えてます。そのために今、家で約一万本の紅茶の苗を作っています。
(文:ウインドファームスタッフ タマング・スーザン)
キムタン紅茶物語 目次
2020年、ウインドファームに入社したネパール出身のタマング・スーザン。
来日した時の夢は、日本でお金を稼いで豊かな生活をすることでしたが、日本で色々な人との出会いを経て少しずつ自分の考えが変わってきたといいます。
「入社して、フェアトレードや有機栽培、アグロフォレストリーについて学び、自分のできることから世界を変えようとしている仲間たちに出会うことを通して、ようやく自分がしたい仕事のかたちが見えてきました。」
現在、ウインドファームで、ネパールと日本をつなぐ架け橋になるべく、日々仕事をしているスーザンが紡ぎ出す紅茶のフェアトレードの物語です。
第4話 8年半ぶりのネパール、そしてキムタン紅茶農園への訪問