コーヒーの産直活動の歩みをまとめた「ジャカランダコーヒー物語」の発行後、不思議な出会いが続いている。一つの出会いが新たな出会いを連鎖的に引き起こし、その結果、コロンビア、エクアドル、ブラジルの方々を日本に招いての「国際有機コーヒーフォーラム」が実現した。その出会いの軌跡を辿り、今回来日した人々の活動を紹介しながら、有機コーヒー栽培が持つ多様な意味について考えてみたい。
出会いその1"コロンビア" −ラモンさんと宮坂さん
コロンビアで行われた「国際有機コーヒーフォーラム」に、長年有機無農薬コーヒーの産直に関っているジャカランダ農場主のカルロスさんと、(有)有機コーヒーの中村隆市が招待されたのが昨年の5月。これは、コロンビアの国際有機農業研究所の顧問を務める宮坂四郎さんからの申し出によるものだった。
宮坂さんは7歳のときにブラジルに移住。ブラジルの農業大学で緑肥栽培を専攻し、その後ブラジル有機農業協会の創設に参加し、有機農業の普及に取り組んできた人だ。
ブラジルで「ジャカランダコーヒー物語」を読んだ宮坂さんは、来日した際に(有)有機コーヒーを来訪。「ジャカランダコーヒー物語を読んで、感銘を受けました。あなたとカルロスさんの取組みには、単なる有機農産物の取引きを越えた心の交流、励ましや喜びや共感といった人間的なふれあいと、社会的に弱い立場の人々に対する配慮が感じられました」と中村に語り、コロンビアでの国際有機コーヒーフォーラムへの参加を依頼した。こうして、コロンビアへ向かったカルロスさんと中村は、そこで今回、国際有機コーヒーフォーラムのゲストとして来日したラモン・ダリオ・ズルアガさん(国際有機農業センターの所長)との出会いを得た。
新しい技術の開発よりも、過去にある風土に適した技術を取り戻す
ラモンさんの講演から
近代農業と土着の農業の間をとりもつために設立された国際有機農業センターの所長を務めるラモンさんは、日本での講演においてこう語った。
「30年前までは小農民は、その農地の中で全てをまかなうという前提で、それぞれの風土に適した多様な方法で生産してきました。しかし近代農業が普及していく中で、特定の地域に化学肥料や農薬といったものが外から持ち込まれるようになり、それまでの土着の農業は衰退しました。現在、地域開発の方法として有機栽培に近づけるよう小農民と話し合い、次の目標を上げています。
- 適性技術を掘り起こす。
- その技術を価値づける。
- その技術を普及する
このなかの適性技術とは、先住民を含む地域住民の間で伝統的に続けられてきた農業技術です。こうした技術を農業学校などを通じて若い人々に教育し伝え、60億になろうとしている世界人口の問題に答えてゆきたいと考えています」
出会いその2"ブラジル" −クラウジオ牛渡さん
宮坂さんの他にもう一人、ブラジルで「ジャカランダコーヒー物語」を読み、有機コーヒー社を訪れた一人の若者がいる。日系二世のクラウジオ牛渡さんだ。ブラジルの小農民の自立支援に取り組むNGО、日本ブラジルネットワーク(略称JBN)の現地スタッフとして、ブラジル、ミナス州のラゴア村で農業指導に取り組んでいたクラウジオさんは、この出会いの後、有機コーヒー南米事務所のスタッフとして活動するようになる。そして、彼が有機農業の指導を行っていたラゴア村の無農薬コーヒーは現在、日本に輸入されるようになった。
小農民の自立支援に関する取り組みについて、クラウジオさんは以下のように語った。
小農民の自立支援を目指して
クラウジオさんの講演から
「1970年に始まった農業開発の結果、農業機械、化学肥料、農薬が農地に持ち込まれるようになり、伝統農業と生態系がともに破壊され、さらに機械の導入による合理化などによって、農村で生活できない人々が増加しました。それまでブラジルでは農村部の人口が全体の70%を占めていましたが、今では都市部に人口の80%が住むようになり、ファべーラ(スラム)が増加しストリートチルドレンなどの都市問題が発生するようになったのです。
こうした問題を改善するには、農地改革により、農民が農村を離れる必要のない生活を作りだす必要があります。自分の土地を持っても農民がそこで生計を立てていかなければ何もなりません。農村に住んでいる人がそこに住み続けられるような生産の方法、つまり新しい技術ではなく、風土に適した永続可能な農業が求められています。昔の技術を取り戻すため、地域の人々を互いに交流させ、技術を分かち合っていけるようにしていきたいと思います。
JBNの協力により、ラゴア村では家族農業の復権、利益を医療や教育などの社会的ニーズに還元するということをしています。そして有機コーヒー社を通じて今年20俵(60キロ入り)のコーヒーを日本に輸出することができました。大切なことは、商業化の過程においても、より人間的で、より公平な生産者と消費者の有機的な関係を保つことです。消費者が健康的なものを要求することで生産者に協力することができると思います」
出会いその3"エクアドル" −アウキ・ティトゥアニャ市長
クラウジオさんとの出会いは、日本ブラジルネットワークの代表、原後雄太さんとの出会いを生んだ。そして、南米を中心に幅広いネットワークを持つ原後さんを通して、エクアドルのアウキ市長との出会いへと続く。
アウキさんは、500年の歴史のなかで初めて誕生したケチュア族出身の先住民族市長。97年にはエクアドルで初めて生態系保全都市宣言を発表し、原生林を破壊し、重金属汚染を引き起こす日本の企業による鉱山開発に反対し、先住民族文化に根ざしたエコロジカルな地域発展の方向性を打ち出している。
豊かな大地を銅山開発から守り、持続可能な発展の道を進む
アウキ・ティトゥアニャさんの講演から
「地域開発の例として、エクアドルのコタカチ市の例をお話します。コタカチ市では生態系に配慮した発展を目指しています。コタカチ市はアンデス山中にあり、首都キトーから110km、山岳地帯にあり、山の上は雪をかぶっていますが、下は熱帯性雲霧林が広がっている標高差の大きい土地です。大小の湖沼、川に恵まれていて、クイコチャ湖など湖も豊富です。そして多様な生物が生息するだけでなく。様々な民族が暮らしています。
政治的には1996年8月に制度改革があり、コミュニティーの参加が重視され、多数決による民主的な選挙による決定に変わり、先住民であるケチュア人の私が市長に選ばれました。
就任後、人種差別を解消し、参加型の政治を作り出し先住民の雇用を作り出すことに力を入れています。このような先住民の政治参加モデルは、周辺の南米の国々の注目するところになっています。
これまでは商業伐採のため森林の消滅や河川の汚染が問題となったり、セメント原料の採取、輸出用バラの栽培などが地域住民の参加がないまま進められて問題となってきました。そして現在、コタカチ市の村では、日本の企業と国際協力事業団などによる銅山開発問題が生じています。コタカチ市では生態系保全都市宣言をして、生態系を保全し管理していくことを市民に啓蒙しています。さらに環境管理計画を立て、有機農業の推進、エコツーリズム事業など銅山開発に代わる持続可能な産業を作り出そうとしています。
銅山開発は20年ぐらいで終わってしまうもので、しかもそれによる負の遺産は大きく、その傷跡はほとんど永久に残ってしまいます。400ヘクタールにのぼる森林の破壊、カドミウムなどの重金属による畑や川などの汚染、さらに外国人労働者による社会問題の発生が予想されます。
私たちは先住民としてこの500年間に悟ったことがあります。先住民は抑圧されてきました。ペルーとエクアドルの国境紛争、アマゾン地域の石油開発がありましたが、それらは先住民族の利益にはなっていません。宗教、言語、異なる政治・経済の制度が、いつも私たちに押し付けられてきていました。私たちは、こうした問題を克服し、豊かな大地を守りたいと思います」
銅山開発よりも永続可能な発展を〜エクアドルのコーヒー生産者の取り組み
エドガーさん(有機コーヒー生産者協会会長)
ポリビオさん(コタカチ市フニン村代表)
このアウキ市長の主張に続いて、銅山開発に代わる持続可能な発展を目指し、コーヒーの有機栽培に取り組んでいるエクアドルのコーヒー生産者、エドガー・ガマスカンゴさん(エクアドル 有機コーヒー生産者協会会長)は以下のように語った。
「インタグ地方の小農民を代表して有機栽培によるオルタナティブな農業の提案をしています。インタグ地方には主婦の団体もあり、工芸品製作、家畜の飼育もし、家族農業が成り立っています。
生物多様性の豊かな土地において銅山開発は脅威であり、有機農業とは相容れません。コーヒー栽培を中心に有機農法で生産向上をはかっていきたいと思っています。100%オーガニックコーヒーを作り、同時に自給用作物を作って、他の作物と同時にコーヒーを混植することで地域の生態系を崩すことなく農業を成り立たせることができます。日本の企業による銅山開発によって川が汚染され、土に汚染が残るということがどういうことになるか。エクアドルの現状を理解して下さい」
出会いから4年 −ジョゼ・アイルトン(ブラジル・ジャカランダ農場スタッフ)
4年前、ジャカランダ農場でのコーヒー栽培の様子を消費者に伝えるビデオが作成されたとき、アイルトンは16歳だった。農場主カルロスの助手として堆肥作りに関っていた。ビデオのなかで「アイルトンは堆肥作りに取り組んでいますが、作業は大変ですか?」との質問受けても「大変だけど難しくはありません」と緊張した表情で一言しゃべっただけだった。
その後、農場主カルロスの援助により農業学校で学んだアイルトンは確実に成長していた。そして、今回はカルロスの代わりに来日。ジャカランダ農場での取り組みについて以下のように語った。
「大規模農場ではボヤフリヤ(季節労働者)が働いています。そこでは農薬を大量に使っており、その害については何も教えられていません。そのために農薬のために健康を害した仲間がいました。それで恐くなり、農薬は使わない方がいいと気付ききました。ジャカランダ農場では農薬、化学肥料を使っていません。有機栽培を増やし、1993年から完全無農薬で作っています。土の状態を調べると、多様な微生物が存在し、物理的な面でも土が良くなっていることが確認できます。さらにクモ、ハチの類が多くなりミミズがたくさんいてコーヒー農園全体はまるで森のようです。農業学校で農業技術を学んだことがありますが、その時は除草剤の使い方を学びましたが、今ではジャカランダ農場は有機農法であってしかも生産性が高いのはなぜかということで注目されるようになり、他のコーヒー生産者だけでなく農業学校の先生が訪れるようになっています」
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