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国際有機コーヒーフォーラム報告

人と土をつなぐ多くの出会いのなかで

自然食のお店「産直や蔵肆(くらし)」を経営する

鶴久 ちず子さん

 今回の講演ツアーにジャカランダ農場のスタッフとして参加したアイルトンは帰国後、こんな感想を寄せてくれた。
 「産直という販売のシステムは生産者と消費者の距離をぐっと近づける。そのシステムを通して消費者は、自分が食べている作物がどのように作られているかを知ることができる。また、私が生産者の立場で『あなたが作っているコーヒーをいつも飲んでいます。とても好きです。』という言葉を消費者から聞けることはとても嬉しいことだった。私たち農民にとって、その言葉は励みになり、もっと美味しい最高なコーヒーを作る気になる。ジャカランダコーヒーの消費者と出会い、その言葉を聞いたときにそう感じた。」
 今回アイルトンにこのような消費者との出会いの場を作ってくれたのが、鶴久さんだった。
 長年、有機農産物の産直活動に関り、多くの生産者と出会ってきた鶴久さんだが、南米のコーヒー生産者の来訪に最初は戸惑ったという。どんな農業をしているのか。交流会をしようにもイメージがわかなかった。「とにかく食卓を囲んで一緒に食べてもらおう」有機農産物の産直活動を形成させていくなかで、いつもそのようにして、生産者と消費者の対話の場を作ってきた。
 10人の生産者と150人の消費者による有機野菜の産直活動に取り組んだ15年間。野菜を作る側と、食べる側。それぞれの顔が見える関係を築いていくことが、重要なテーマだった。
 月に1度、生産者と消費者を自宅に招いて例会を開く。消費者からのクレームはその場で報告され、一方で生産者が農業に取り組む日々の想いを語る。食卓を囲み、深夜に及ぶ例会のなかで、口論になることは一度もなく、対話を通して確実に信頼関係が形成されていった。
 しかし、こうした産直活動だけでは、限界があった。150人の生産者に販売していただけでは、農家の生計は成り立たない。生産者と消費者の間に立つものとして、何とかその現状を克服したかった。
 何の経験もないままゼロから立ち上げた自然食品店「産直や蔵肆」は、その決意から生まれた。その場で野菜を販売し、それがどこで、どのようにして作られたのかを伝える。商品に関する説明は、直接お客さんに語りかけて伝えた。
 当初は、仕入れに無駄も多く、売れ残る野菜も多かったという。しかし「辞めようと思ったことは一度もない」。いつでも仲間がそばにいて、知恵を貸してくれた。そして多くのことを学べる楽しみがあった。「産直や蔵肆」を通して生れる様々な人々との出会いが、大きな支えになっていた。
 今でも、日本各地の生産地を訪れ、人と出会う。野菜の仕入れに先立つものは、価格ではなく、あくまで「人との出会い」だという。

福岡県久留米市国分町 296-1
TEL(0942)21-3130
(鶴久 チズ子)


ゴミと水を通して世界を見つめる

遠賀川の水を守る会 会長 松隈 一輝さん

 福岡で行われた国際有機コーヒーフォーラムには、エクアドルのコーヒー生産者からの報告が含まれていた。彼らは自然を破壊する銅山開発よりも、永続可能な有機コーヒーによる発展を求めていた。
 フォーラムにおいてゲストとして参加した「遠賀川の水を守る会」の会長を務める松隈さんは、その訴えを受けてこう語った。「日本の企業の多くが海外で無責任な開発をし、その跡地を放置しているという現状があります。しかし、それは国内においてもすでに行われていたことで、例えば遠賀川流域の筑豊という地域でも石炭を掘り尽くし、家を傾かせ、田畑をつぶして町にし、利益だけを吸い取り炭坑の跡地は放置したまま東京に帰っていったという歴史があります」
 そして今、その炭坑の跡地は、産業廃棄物の最終処分場となり、さらなる負の遺産を押し付けられている。遠賀川の水を守る会の活動に関って以来、松隈さんはこの問題に取り組み続けている。
 松隈さんには忘れられない一つの光景がある。宮田町の最終処分場を高見から見下ろしたときのことだ。見渡すかぎりのゴミ。関東から押し寄せてくる110万トンの産業廃棄物がそこに投棄されていた。露天掘りにより採掘しつくされた炭坑の跡地に、その最終処分場は建設されていた。資源を収奪し尽くし、利益を生み出さなくなると、今度は廃棄物を押し付ける。産業構造の縮図がそこにあった。
 遠賀川の水の汚れをなくそうと、15年前に立ち上げた「遠賀川の水を守る会」。最初は廃油を使ったせっけん作りの講習や手書きの通信を通して環境保護を呼びかけた。しかし、炭坑の跡地が多い遠賀川の流域には、大量の産業廃棄物が押し寄せてくる。この問題に取り組まなければいけないのではという想いは必然的に募る。産廃業者による活動の妨害に「恐さ」を感じながらも現場での調査を始めた。
 「ダムのまわりにゴミが溢れている」「小学校と隣接するような場所にゴミの最終処分場が建設されそうだ」活動を続けていくうちに、そんな情報が自然と集まってくるようになった。
 そのたびに現場に足を運び、調査する。その結果を持って行政に実情を訴え、さらにマスコミを通して広く伝えた。一つの問題を解決する度に自信が深まっていく。そして、自分たちの活動の社会的な責任を強く意識するようになったという。
 将来を悲観はしてない。「ゴミをなるべく出さない社会」を望む市民の声の高まりを、この活動を通して感じている。そして、「そのための技術を発展させ、第三世界へ伝えることは、これまで大量のゴミを作ってきた先進国の責任」と松隈さんは語る。
 フォーラムのなかで松隈さんはこう言って締めくくった。「筑豊という限られた地域で、日本の企業による乱開発の後始末をきちんと見つめていく、そして追及していくということは、地球の裏側の中米や南米の方たちと連帯していく一つの方策となりうるのではないかと思います」

遠賀川の水を守る会
(問合せ先)
〒820-0004
福岡県飯塚市新立岩4-14 松隈 一輝方
TEL/FAX0948-24-5255
年会費2000円 会報「水守り通信」(月刊)をお送りします。

豊かな明日より「今」を

大地から、眼下に広がる海を眺めて 福田 英二さん

 南米のコーヒー生産者との交流のなかで、その「明るさ」が印象に残っている。「彼らは何よりも「今」という時間を楽しく生きようとしている。しかし、日本の農業には、その楽しむべき「今」がない。経済的に豊かな明日、それを求めて「今」という時間は我慢するための時間でしかなくなっている。けれど、その豊かな明日という幻想には限りがなく、いくら「今」を我慢しても、満足できる豊かな明日はいつまでも訪れてはこない」
 農業に携わる前、福田さんは精神科の看護士だった。「患者を完治させ、社会に復帰させる」そのことに最大の価値を置き、仕事に情熱を注ぎ込む日々が続いた。仲間で自分たちの病院を設立し、より充実した精神医療を目指していた。
 が、一方で息詰まりも感じ始めていた。「近代合理主義の枠のなかで、医療現場においても合理性ばかりを追及していた」精神医療の仕事を辞めた後、農業に15年間従事した福田さんは、当時の医療についてそう振り返る。
 30歳のとき、水俣の海を遥かに見据える山の上に移り住んだ。電気も水道も通わない場所をあえて選んだ。そして、海が見える場所にこだわった。
 4人の子どものうち、茜ちゃんはまだ生後10ヶ月。軽トラックに家族6人が乗り込み、急な山道を登っていった。
 農業の経験などなかった。収穫する直前に、サツマ芋は猪に食べられ、あるいは天候の悪化により全滅した。「きちんと生産できるようになるまで、10年はかかるだろう」移住する前に受けたその警告通り、農作業はなかなか実を結ばなかった。合理性の追及と、その結果として確約される進歩や発展。近代合理主義のそんな約束は、農業の世界には存在しなかった。
 しかし、福田さんはそのなかで、農村で生きていくための精神的な理念とも言える新たな世界を構築していく。
 ロウソクとランプの灯で過ごす夜。トタン葺きの屋根の下、雨音が小屋に響く。さらに、自家発電の騒音が加われば、話し声も霞んで聞こえなくなる。その分、より際立つ静寂の闇。発電機を止めたあとは、カエルの鳴声を乗せた風が、屋根の上を通りすぎる。土に触れ、海を眺め、風を受け、陽を浴び、その後に闇の静けさが訪れる。生活は楽しく、充実した「今」が、確かにそこにはあった。
 しかし農村で生きる誰もがその「今」を実感できるわけではない。「経済的な利益が優先され、”ナウでリッチでハイセンスな”ことに価値が置かれていくなかで、『そんなもの必要ない』と言い切るだけの精神文化を日本の農村は持ちえていない」。農業も、経済優先の枠組みのなかで、歪んだものになっていく。そして、農業形態とともに農村が本来持っていた豊かさまでもが見失われるようになる。精神医療と農業。この二つの現場を見てきた福田さんには、精神の荒廃と農村の衰退が重なって見える。
 そして、それは日本に限ったことでなない。遠く離れた南米でも同じことが起こっている。「農場での仕事と生活に誇りを持って欲しいのです」と語るブラジル、ジャカランダ農場のカルロスさんも農村の衰退を嘆いていた。南米においても近代農業の普及とともに、人は都市へと流れていく。
 もし、福田さんとカルロスさんの対話が成立したら・・・どんな世界観が展開するのか。「ブラジルにも行ってみないと」と福田さん。しかし、その前に福田さんは行かなければならない所がある。「農業が、医療、福祉、教育など様々な現場で幅広く活かされている」というデンマーク。福田さんは今年、その新たな世界へと旅立つ。

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