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フィエスタ・エクアドルを振り返って

〜そこで明らかにされた新しい夢

辻 信一

 ウインドファームでは、2001年10月、エクアドルの山岳地帯と海岸地帯から、「持続可能な人間らしい地域発展のありかたを模索している人々」を招き、交流し、学び、祝福する祭り「フィエスタ・エクアドル」を約3週間、ナマケモノ倶楽部などの市民団体と協力して全国各地で開催しました。

 フィエスタ・エクアドルが終わりました。1年前にフィエスタを呼びかけたナマケモノ倶楽部の世話人のひとりとして、この3週間をふりかえって感想を述べてみたい。

アフガンへの空爆の始まった日に

 フィエスタの開催を控えた9月11日に米国で同時多発テロが起き、10月8日には米英軍によるアフガニスタン空爆が開始された。10月8日の東京は朝から雨、その雨の中、フィエスタのメインイベントが行われた。
森への想いを歌うアンニャ・ライト
 森への想いを歌うアンニャ・ライト
 まずルース・マリーナ・ヴェガのリードで、「ひとつの手、ひとつのこころ、ひとつの思い・・・」 というキチュア語による祈り。ぼくらナマケモノ倶楽部世話人3人が空爆の開始への抗議の意思をこめて声明を発表した。それに続いてアンニャ・ライトとカルロス・ソリージャのリードで「イマジン」を合唱。その日の朝、ナマクラ世話人の中村隆市、ソリージャ、フィエスタ実行委員長の吉岡淳は、この歌を歌うことを決めていたという。
 フィエスタを前に中村はこう言っていた。「昨年、エクアドルのインタグで、カルロス・ソリージャとアンニャと私は一緒に、私たちの共通の夢を希望で膨らませるために、イマジンを歌いました。その希望の歌、イマジンをアメリカ政府は規制し、 敵視しています。私たちは、フィエスタ・エクアドルでも、エクアドルの人々と共に希望の歌を歌い続けましょう」
 アンニャはその後の彼女のツアーでこの歌を歌い続けた。そしてこう訴えたものだ。「私たちが戦争のない世界を想像する力をもつことを恐れる人たちがいる。でも私たちは想像する勇気をもとう。想像から創造が生まれるのだから」。合唱の後、1分間の黙祷。
ダンスチーム ベレフ
 ダンスチーム・ベレフ
 空爆で始まった長い長い1日が終わる頃、参加者はベレフとともに歌い踊っていた。これ以後、フィエスタの間中、ぼくは毎日ベレフと踊った。これまでずいぶんイベントとか会議とかをオーガナイズしてきたぼくだが、こんなに踊ったイベントはなかった。メインイベントの後、踊りつかれたぼくらが控え室でベレフのロレーナの誕生日を祝っている時のこと。ルース・デル・アルバが涙を浮かべながら「アキ・アイ・ムチャ・パス(ここには平和がいっぱい)」と言った。そのことばが、フィエスタの期間中ずっとぼくのこころの中に通奏低音のように響いていた。
 フィエスタの始まる1週間前に中村はこう言っていた。「フィエスタ・エクアドルで来日する人々は、人間だけではなく動物も、植物も、すべての命を大切にしようとしています。また、自分たちの世代だけでなく、未来世代が平和に幸せに暮らしていけるような社会をつくろうとしています。「途上国」での自然破壊型の開発は、人々の生存基盤である環境を破壊し(地球環境の悪化ももたらし)多くの難民を生み出すことにつながっています。フィエスタで来日する人々は、自然の素晴らしさ、重要性をよく知っており、自然破壊型の開発による目先の利益ではなく、子どもたちや未来世代が平和に、幸せに暮らし続けていける社会をつくろうと活動しています。テロや報復戦争など、暴力が前面に現れてきたこの時期に愛と平和と命を大切にする人々が集い、フィエスタ・エクアドルを開催することの意味を、あらためて考え、その意義を感じているところです」

スモールに、スローに 広がるつながり

 フィエスタ・エクアドルはアフガニスタンへの空襲、米国での炭そ菌テロが続く中で繰り広げられた。マスコミにしてみれば、こんな大変な時に「エクアドルどこじゃない」「フィエスタ(お祭り)どこじゃない」ということだったろう。実行委員会の力不足もあって、現に、フィエスタがメジャーなメディアに取り上げられることはなかった。それだけに財政的にも赤字が続いて辛かった。だが、マスコミに乗らなかった分、自前のネットワークやマイナーなメディアの中で、スモールでスローに広がったフィエスタの輪には特別な意味が付け加わったとも、ぼくには思える。つまりそこでは、コミュニケーションの手段や方法そのものがメッセージなのだった。
 ブッシュ大統領が「テロか反テロか」、小泉首相が「正義か悪か」などという子どもだましにもならない二者択一を迫り、「世論」なるものもそれに大きく流されていくように見えた物騒な御時世にあって、エクアドルからのゲストたちは改めてぼくたちに平和ということばをその根元から考え直させてくれた。そしてそのことばの周囲にある様々なことばたち。治安、経済成長、軍事的優位、グローバリズム、エネルギー政策。
 ぼくたちはいつの間にか、安全で自由で幸せな生き方があるとすれば、それは経済大国で、軍事大国で、エネルギー大国に住まない限り不可能だ、と思い込まされていたのではないか。まるでその自分の国が、経済と軍事とエネルギーにおいて優位にたつことによってグローバリズムの過酷な競争に勝ち抜いていかない限り、自分の未来はないとでもいうように。文化でさえグローバル化の波に乗り遅れてはならないという 強迫観念を、ぼくたちはいつの間にかもたされていたのではないか。
 エクアドルからのゲストたちは、皆、「安全で自由で幸せな生き方」を保証してくれるはずの経済力も、軍事力もない「貧しい」「遅れた」地域からやってきた。我々のこれまでのものさしで言えば、それは、グローバル化する世界から取り残された哀れな「後進」地域。

もう一つのヴィジョン 新しい夢

 しかし、彼らがフィエスタ・エクアドルで明らかにしたのは、彼らがもうすでに開発やグローバリズムによって「先進国」を追いかけるレースから下りてしまっており、それにかわる「もうひとつの」ヴィジョンを育み始めているということ。我々が想像 したこともないような豊かな生物多様性と文化多様性を、開発なるものによって壊したり、目先の利益や経済成長のために売り払ったりするのではなく、むしろそれらを守り、またそれらに守られることによって可能になる「安全で自由で幸せな生き方」を選ぶということ。我々が迎えたゲストたちは、世界各地に源をもつこうした新しいヴィジョンを、エクアドルで描き、実現するリーダーたちだった。そして彼らはその新しいコミュニティと地域のモデルをコタカチに、バイーアに、サン・ロレンソに、オルメドに創り出しつつある。
 それがカルロス・ソリージャの新しい夢。彼は言った、「これまでの夢が悪夢と化した今、それにかわる夢が求められている」と。ルース・マリーナ・ヴェガはこれまでの経済(economia)にかわる新しい経済(ecosimia)のヴィジョンを提起した。宗教のように我々を呪縛してきた経済が自然や文化の自己否定(economiaということばに含まれている"no")の上に成り立っていたのに対して、新しい経済は肯定の"si"(yes)の上に成り立つだろう、と。
 「グローバル化する文化」とか主流のメディアにのった「文化」に慣らされた者の五感をベレフやパパ・ロンコンは解放してくれた。それまで抽象的な概念でしかなかった「自然と文化の融合」が、そこでは具体的で身体的なものとして、溢れるような豊かさとして、ぼくたちを圧倒した。
 ルース・マリーナの残していったお話を紹介して、ぼくの感想を終わろう。
「ある時、アマゾンの森が燃えていた。大きくて強い動物たちは我先にと逃げていった。しかしクリキンディ(金の鳥)と呼ばれるハチドリだけは、口ばしに1滴ずつ水を含んでは、何度も何度も飛んでいっては燃えている森の上に落とした。それを見て大きくて強い動物たちはクリキンディを馬鹿にして笑った。「そんなことをして森の火が消えるとでも思っているのか」。それに答えてクリキンディは言った。「私は、 私にできることをやっているの」
  クリキンディはエクアドル、そしてエクアドルで闘っている仲間たち。ぼくたちもクリキンディでありたい。

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