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農薬、遺伝子組み替え作物の危険

ブラジル・有機コーヒー・フェアトレード国際会議より
セバスチアン ピニェーロの講演

 2000年4月にブラジルで「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」を開こうと決めたとき、基調講演を誰にやってもらうか 、ということが大きな課題でした。有機コーヒー生産者としては、ブラジルの第一人者であるカルロス・フランコさんとエクアドルで「森林保護コーヒー」を広めているカルロス・ソリージャさん。研究者として、コロンビアからは国際有機農業センターのラモン所長、メキシコからは生物学者のパトリシア教授。そして、地元からは「ブラジル有機農業の育ての親」とも言われる2人、宮坂四郎さんとセヴァスチャン・ピニェーロ教授に決めました。私たちが「可能ならば、3つの州で開催するうちのどれか1つでも講演してもらえたら嬉しい」とお願いしていたのですが、結果的にセヴァスチャンは、2つの会議で講演してくれました。彼はブラジルで農学と林学を、ドイツで食品科学と環境科学を学び、これまでに有機農業に関する24冊の本を執筆しています。 (中村隆市)

化学兵器と農薬 結局は同質のもの

講演するセバスチアン・ピニェーロ
 有機コーヒー・フェアトレード国際会議で講演するセバスチアン・ピニェーロ。

 1970年代、ブラジル政府は「国の発達」という名のプランを立て、農薬の使用量を1980年までに27万トンに増やすことを目標にしました。幸い社会が反対したおかげで、現在のブラジル全土の農薬使用量は10万トンに過ぎませんが、当時、宣伝されていた農薬には、ベトナム戦争で使ったホワイトエージェントという非常に有毒性の強いものがありました。戦争で使われた毒ガスは、そのまま農薬へと利用されるのです。  ここに防毒マスクを付ける練習をしている女の子たちの写真があります。彼女たちは農夫ではありません。戦争に使われる毒ガスは人種、軍服、肌の色を区別しないため、マスクを付ける練習をさせているのです。
 農薬を使う農夫も同様に、マスクや装備を必要とします。農業において、それは毒薬ではなく、農薬と呼ばれました。決して戦争で使われるガスと同じものとは言われません。
 農夫は宇宙服のような服装で身を守らなければなりません。しかしブラジルの気候の中でそんな暑苦しい服装で仕事ができるわけではありません。このような服装のままで30分でも過ごせば、脱水状態になってしまうでしょう。その農薬は直接、触るだけでも害が生じます。そのために、農薬の被害はまず農夫から広がりました。

農薬の製造元ドイツで体験したこと

 ブラジルは、ドイツで製造された農薬を輸入しています。
 私は1981年にドイツへ留学することになりました。近所にブラジル人がいるということに喜んで、ある人が私を訪ねてきました。
 その方はとても喜んでこう言いました。「我が国の化学生産品を輸入してくれるブラジルのおかげで、我々の国の経済は潤っています。」
 すぐに私は「残念ながらあなたたちの幸福は、我が国の多くの家族の悼みや悲しみだ」と言おうとしましたが、やっとのことでその言葉を飲み込みました。
 不可解なことはさらに続きます。試験室で食物分析をしたときのことです。彼らは私に「分析の結果をそのまま発表してはいけない」と言いました。
 そうしないと、販売が落ちて会社が損失し、国民総生産も減少し、学者は仕事を失うことなるからです。そこにあるのは、倫理や道徳ではなく、経済的な価値観だけでした。

社会問題へと広がる農薬の被害

 農薬の弊害は、やがて社会的な問題として現れます。
 まず最初に傷つくのは、子どもたちです。ブラジルのリオ・グランデ・ド・スール州のカマクアという町では、人々は道路の側にテントを張って暮らしています。何故か?それは農家のために恩恵を与えるはずのテクノロジーが、田畑から農家を追い出したからです。
 バナナの産地、コロンビアのウラマルで何が起きているのでしょうか?
 そこでは毎日、飛行機がバナナ畑に農薬を散布します。そして、子どもたちは薬品のついたバナナの皮が入っている袋を回収しています。そこで使われるフォスフォラトと言われる薬品は子どもたちの記憶力を害するものです。
 その子どもたちを誰かが守るべきではないでしょうか?
 このフォスフォラトという農薬は、他でも被害を起しています。
 湾岸戦争の後で大量のフォスフォラトがアメリカからコスタリカに送られました。アメリカでは1971年から使用が禁じられているその薬品は、1年間に3万5千人を害し、1996年までに6千人以上の農夫に生殖機能障害の症状がでています。
 パラグアイのイビクイでは、もっと大変な状況になっています。「デルタバイヌ」という会社は、フォスフォラトと、さらに遺伝子組み替えを施されたバクテリアの薬品を散布した種のなかから発芽できなかったものをアメリカからパラグアイに送り破棄しています。そうすると、アメリカ本国で行うより経費を節約できるからです。
 そして、その危険な薬品が散布された種は、3万もの袋のなかに入れられて捨てられています。パラグアイの農家のほとんどは母国語であるスペイン語しか話せず読めませんが、その袋に書いてある言葉はすべて英語です。
 種が捨てられている場所から70メートル離れたところに住んでいる婦人は、そのために井戸水を飲むことができません。さらに栽培している芋も食べることができません。
 また、3万の薬品袋が廃棄された場所から170メートル離れた所には学校があります。256人の生徒たちが、山積みされた薬品袋の上で遊んでいたので、その害が伝染しました。
 これはどういうことでしょか?
 他人への友愛がないのでしょうか?
 このような状況を容認するわけにはいきません。人間性のある関係を作る必要があるのではないでしょうか?
 わたしたちは、食物の現状について考える必要があります。今日、食べ物の残留農薬は、その量と関係なく害を与えるということが分かっています。
 その農薬の害は、人類の最も神聖な食物である母乳を通して、子どもにまで広がります。なぜ、そのような現実に気付かないのでしょうか?

 

人の倫理観が問われる「遺伝子組み替え作物」の問題

 遺伝子組み替え作物の登場、それは人類が生命に干渉する力を持ったことを意味しています。ですから植物や生命の多様性を取り戻すことも可能になります。そして新しい現実を創ることができます。
 しかし、経済的な利益が優先される今の現実のなかでは、それは不可能です。大企業は利益をしか目指しません。
 1万年前に農業は生まれました。その時から農業の自然に対する干渉は大きくなってきています。そして、1300年から農業が生物学的なものになり、人の働きにより自然が被害を受けるようになりました。
 1971年からブラジルは産業的な農業が始まり、機械の投入が大きくなって労働量が減ります。しかし、労働者にとって減ったのは辛い労働ではなく、農業全体の雇用でした。
 それからさらに遺伝子組み替え作物の農業が始まります。そして、大きな力で市場を独占している大企業による経済的な農産業が広がります。その経済的な農産業のなかで、人間の農業労働はさらに減ります。
 この遺伝子組み換え作物を取り扱う企業は、不可解な販売活動をします。
 1日に2百万ドルを遺伝子組み替え作物に投資するこの「ノヴァクス」という会社は、子ども向けの食品には遺伝子組み替え作物を使わないと言っています。そこで、私たちが聞きたいのは「なぜ?子ども向けの食品には遺伝子組み替え作物を使わないのか?」ということです。
 心配なのか、道徳のためなのか、売れなくなる恐れがあるからなのか。
 ノヴァクスは新聞に遺伝子組み替え作物を使うつもりはなく、有機の物を使いたいと言っていますが、その一方で、遺伝子組み替え作物に投資しています。それは、遺伝子組み替え作物と食物のマーケティングを支配するつもりだからです。これが現実です。
 ある農業雑誌に「遺伝子組み替えの種のナスカは未来の大豆です。」という広告がありました。その恩恵は誰のもとへ届くのでしょうか?それは決して農家ではなく、種と農薬を売る人々なのです。
 ここで、私からある単純な質問をしますので、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
 遺伝子組み替えは食べ物の値段を下げますか?
 下げません。テクノロジーは高価なものですから。
 さらにもう1つ。遺伝子組み替え作物は、小規模な経営を営んでいる農家が実行できる農業なのでしょうか?
 できません。それは、そのような目的で作られたものではないからです。
 遺伝子組み替えについて今日、話題になっているのはテクノロジーに対する反対や賛成の意見です。しかしテクノロジーの善し悪しについて議論する必要はありません。テクノロジーには長所と短所があります。
 問題は、いかにテクノロジーの長所を伸ばし、短所を小さくするかということです。これは政府の責任です。しかし、政府に短所を小さくすることは望めません。それは彼らの経済的な目的と相容れないからです。
 遺伝子組み替え作物の与える影響は、人間の検査では分かりません。なぜかというと、その食物の検査は30年間から50年の時間がかかるからです。
 だから私達は気づかなければなりません。まだ遺伝子組み替え作物の悪影響はをよく知られていないことを。
 私たちは、テクノロジーを恐れているわけではありません。
 私たちがおそれるのは、人間の不誠実です。私たちは遺伝子組み替え作物が欲しくないのです。
 夢を破る必要があります。
 ある日突然、牛はカカオの実の遺伝子を貰ってココアミルクが作れるようになるかもしれません。
 それは魅力のある話かもしれません。しかしそれは夢です。
 そして、私たちが問うべきは、今の私たちの倫理の問題です。
 ですから人間関係や人間の多様性を尊重するフェアトレードと友愛のある正しい取り引きについて、このような会議で話し合うことは、非常に大切なことだと思います。命や自然や特に人間を尊重するためにそのような人のつながりを求める必要があると思います。


  

セバスチアン・ピニェーロ

ブラジル生まれ。
ブラジルの大学で農学を学び、ドイツの環境科学大学、大学院の食品化学を専攻。
ブラジル農業省、環境自然資源国立研究所に勤務。
現在は、ラテンアメリカ市民協会のために、有機農業と生物発酵の研究に従事。有機農業に関する24冊の著書を執筆。

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