オタバロからいつものようにバスに乗って、インタグへ向かう。インタグの中心地とも言えるアプエラに到着。今回訪れるコミュニティーの名前は、ナランハル。今はほとんどないそうだが、かつてはオレンジ(スペイン語でナランハ)の木がたくさん生えていたことからナランハルと名付けられたそうだ。ナランハルを通るバスは一日一本だけ。というわけで、オタバロから一気にナランハルまで行くのは無理だったため、アプエラに一泊してからナランハルに行くことになった。
翌日、たまたまナランハルのそばまで行くというAACRI(インタグ有機コーヒー生産者組合)4WDに乗せてもらえることになった。そしてアプエラから1時間ほど4WDに揺られ、ナランハルのオルヘル・ルアレスさん(47歳)宅に到着した。
今回のインタビュー対象者オルヘルさんはAACRIの有機認証推進委員会のメンバーでもあり、アグロフォレストリーに力を入れているということで、私は今回の訪問を楽しみにしていた。
でもちょっぴり恥ずかしがり屋さんのオルヘルさん、口が重い。そしてあまり発音がはっきりしていないので、私のスペイン語能力では何をおっしゃっているのかよくわからない。
それに見かねた奥様のグロリア・イェペスさん(37歳)が質問に答えてくれた。 ご家族はオルヘルさん、グロリアさんご夫妻の他、ジェニーさん(18歳)、ディエゴくん(16歳)、マリア・クララさん(12歳)、アルバロくん、そしてパオラちゃん(2歳)の7人家族。現在上の3人のお子さんは高校や大学に通うためこの家には住んでいないのだそうだ。
一番下のパオラちゃんは、最初、私が着いたとき、大きな目でじーっと私の顔を見ていた。あまりに言葉を発しないため、この子、ひょっとして失語症なのかなと思ってしまうほどだったが、その30分後には、最初はどんなだったか忘れてしまうほど笑い声を上げ、裸足で鶏を追いかけ、私に遊んでくれとせがんできた。将来どんな美人さんになるだろうと楽しみな本当に可愛い子だ。
オルヘルさんご夫妻は、ともにインタグのクエジャヘというコミュニティー出身者だ。しかしこのナランハルに越してくる四年ほど前まで、比較的大きな町であるオタバロで五年間暮らしていたそうだ。お子さんの教育を考慮してのことだった。インタグの教育レベルは低く、また子どもたちの教育費を賄うことが出来なかったからそうだ。オルヘルさんは、大工仕事をしたり、ユーカリの木をチェーンソーで切り倒したりして、生計を立てていた。
しかし町での生活は思いのほか厳しく、食べ物の質、特に野菜の鮮度が悪く、奥様も体調を崩され、やはり田舎の暮らし、農業を営む暮らしがいいと山に戻ってきたのだそうだ。
「最初本当にただの森だった」所に、コーヒーの木を少しずつ植えてく。それからオルヘルさんは、森に住むことのすばらしさや、森や土壌を守ることの大切を知り、さらに勉強されていったそうだ。AACRIの技術班とともに、2001年7月からアグロフォレストリーを始めた。
今、オルヘルさんは全部で11ヘクタールの農園を持っている。「うち1ヘクタールがコーヒーだ。420本ものコーヒーの木が植えている」彼はマチェテという鎌を研ぎながら、そう教えてくれた。
研がれたマチェテを持ち、いざ農園へ。オルヘルさんは、コーヒーの木の間を、雑草をざくざくと切りながら進んでいく。途中、振り向いて私に聞いた。「このホウセンカは、切らないで取っておこうか?」ホウセンカがコーヒー栽培にとっていいのか悪いのか、私にはわからなかったけれど、なんとなく、そう私に聞いてくれたことが嬉しかった。
農園には野生のトマトやぺピーノ(メロンのような味のする果物)、様々なハーブがそこらに生えていた。もちろん樹木もたくさんある。アグロフォレストリーを推進しているだけあって、バナナ、パパイヤなど盛りだくさんだ。オルヘルさんは、「自分は教育を受けていないから」と言う。けれども、この森を見れば、オルヘルさんがアグロフォレストリーを体感しつつ、自分のものにしていることがよく分かる。
4メートルくらいの木を指して、「このパッチェという木は、アボカドの木のように、アグロフォレストリーには向いていないんだ。そうわかるようになるまで時間がかかったよ。」と照れくさそうに言う。
コーヒーの木はすでに花の時期を終え、緑色の実をたわわに見をつけていた。植えてから2年ほど経つコーヒーの木は、前年度より収穫量は多くなりそうだ。
「ここを見てごらん。」コーヒーの幹を指して、また彼はおもしろいことを教えてくれた。見ると彼の指さしているところから下は茶色、上は緑色だった。茶色の部分は乾季を越えた部分、緑の部分は雨季が始まってから成長した部分だそうだ。
有機農業で大切なのは肥料だ。大きなプラスチックの中のビオルと呼ばれる手作り肥料を見せてもらった。鶏糞、ギニア・ピッグの糞、葉っぱ、卵の殻、土、野菜くずなどをミックスさせて40日間樽の中で熟成させてから使う。この肥料は豆やとうもろこし、トマテ・デ・アルボル(ツリートマト)にも良いそうだ。樽の中の肥料はちょうど良い具合になっていて、枝を拾ってきたオルヘルさんは中身をかき混ぜ、においを嗅ぎ、冗談で、「うーん、いい匂い」。ようやくオルヘルさんは「インタビューされている」という緊張感が取れて、饒舌さが出てきた。
コーヒーの隣にはトマテ・デ・アルボルと言われる果実がたわわに実っている。トマトと言いながらも、日本で言ういわゆる「トマト」とは違う属の果実である。インタグに限らず、エクアドルではジュースにしたり、アヒ(とうがらしを使ったソース)によく使われる。トマテ・デ・アルボルはインタグでは、実は問題があって、化学薬品を使っているところが多い。しかしながらインタグの農家にとって大きな収入源であるため、またその栽培面積は多大なため、いきなりすべて有機農法に変えるということは難しいようだ。しかしオルヘルさんのところのトマテ・デ・アルボルは違う。彼のトマテ・デ・アルボルはすべて有機だ。化学薬品を使えば、収穫は2倍になるが、それはしたくないと言う。だから、そのままがぶりとかじることができる。
家に戻ったら、私が泊まらせていただいた部屋のベッドの上に鶏がいた。「うわー、入ってきちゃったよ。」と思い、その鶏を追い出すと、なんとまだ温かい卵がベッドの上にあった。グロリアさんに言うと、「きっとそれは、ようこそ、という意味なのよ。アヤに食べてほしいのね。」とケラケラ笑っていらっしゃった。
その夜、オルヘルさんに、有機認証推進委員会のメンバーとして活動していらっしゃる理由を聞いた。「有機農業を進める上ではとにかく『続ける』ことが大事だ。生態系の多様性保全、コーヒーの質の向上、そして有機認証の獲得のために、続けること、それを推進しようと思った」という。
また彼は環境省認定の環境審査官なる資格の取得申請を、DECOIN(「インタグの生態系の保全と防御」というインタグ地域住民の環境保全組織)から出しているそうだ。2001年12月から申請しているにも関わらず、未だ認定が下りていないが、小学校などで、環境教育ボランティアをしている。
部屋にはたくさんの環境保全関連のポスターが貼ってある。そして恥ずかしそうに、私にニ枚の紙を見せてくれた。一枚は「アグロエコツーリズム・プロジェクト」というタイトルがついている一枚の紙だった。アグロ・エコツーリズムとは、一般に、農業とエコツーリズムをミックスしたもので、農家で有機農業のボランティアしたり、農園訪問したり、森林の中で散策したり、そういったことを通して、自然の大切さなどを学ぶツーリズムのことだ。その紙には、環境保全、地域住民の環境保全意識の向上などの目的が書いてある。自分の敷地にキャビンを建て、観光客やボランティアを受け入れたいと言う。
そしてもう一枚の紙は、地図だった。このプロジェクトを始めたら、この農園に、「シエンプレ・ヴェルデ」という名前を付けたいのだという。シエンプレ・ヴェルデとは、永遠に緑をという意味だ。「ここにはバナナがあって、」「ここに行くと川があって。」いろいろ説明してくれる。しかしよくよく聞くと、「この道もキャビンもまだない。」という。私はてっきり、これが彼の農園の図なのだと思っていたのだが、それは彼の理想の農園の図だったのだ。「明日、森とキャビン予定地に行こう。」
翌日、コーヒー農園よりさらに下にある森に向かった。前日と同じようにマチェテを片手にざくざく進む。雨が降っていたので、私はカッパ着用で後について行く。グロリアさんとパオラちゃんと家で飼っているわんちゃんとぶたちゃんも一緒だ。眼前に広がる霧が包む森。歩きながらいろいろな鳥の声が絶えず聞こえてくる。ところどころに、「自然を守ろう。」といった類の木の看板が木にくくりつけてある。「まだ観光客は誰も来ないんだけどね。」と照れくさそうにおっしゃるオルヘルさん。でも「できるところから」を見事に実践している方だと思った。
「クチョ・パチャ(キチュア語で大地の穴という意味)」という谷まで行った。雨が降っていたので、水は濁っていたが、夏には泳ぐことができるのだそうだ。そこでキャビンの予定地、魚の有機養殖予定地の他、トゥタモノと呼ばれる猿、こうもり、鳥の巣なども見せてくれた。巨大なカタツムリも見せてくれた。ユッカ、パパイヤ、バナナ、サトウキビ、様々な食物が植わっている。
帰る日の朝、私は一人でコーヒー農園を眺めていた。そうしたら、トゥカン(オニオオハシ)という嘴の長い水色の鳥が私の目の前にやってきた。AACRIのシンボルであるこの鳥を見るのは初めてだった。そのトゥカンを見ながら、私はオルヘルさんのことを考えていた。オルヘルさんとお話して印象に残ったのは、夢を語るこどものようなその語り口だった。話していることの内容はとってもシンプルで、プロジェクトとしてもまだ未熟というのが印象だ。しかし、本当の意味で「地元」の環境保全活動家にお会いできたような気がした。
私が今まで会った人たちは、外国人との接触も多く、いろいろなプロジェクトに関わっていて、能弁家だ。彼はそのどれひとつでもない。ある意味、典型的なインタグの人だ。言葉は少ないし、ものすごく物事を単純化しているような気がするけれど、でもよくよく話せば、深い根っこはつかんでいると思うし、地域への愛情は充分だ。今はコミュニティーの協力が得られておらず、孤立無援の状態だが、この静かな情熱が、近い未来いろいろな人に伝わっていくのだろう。